第28話 ニャンの十四の三 皴枯れ声と戯作者3

「お礼を言うのはこっちよ。また頑張ってくれれば何も要らないわ。本がヒットしたらご馳走してね」

 私にガラガラ声を振り掛ける主の、何と欲のないことか。

 彼女はその後暫く編集長を務めた後、さっさと出版社勤めを辞めてしまった。

 そこを止して食い扶持ぶちの宛ては在るのかとネコながらに心配もしたが、どうやら自身が大金を出資していた後輩の会社に引き抜かれたらしかった。

 これにより、ガラガラ声はかねてから興味のあった映画製作の途に歩を踏み出すことと相成あいなった。後輩の会社の自主制作部門でのシステムの立ち上げと、一先ずは全体の広告部門を手伝うこととしたのだ。業績はうんと伸びて実入りも大きかったが、多忙を極めた。

 時は流れて、妻を亡くした件の三流戯作の流行作家と気乗りしないながらもりを戻し、夫君に描かせたネコの物語を完成させるのと同時に、程なくして生まれた赤ん坊を老母に見せる幸運を得た。

「ホント、黒猫の冒険譚ぼうけんたんが赤字にならずによかったわ」

「まあまあじゃないかな」

「以前のあなたの作品の映画化が好評で興行成績が良かったから、私のせいで帳消ちょうけしになっちゃったわね」

「何を言うんだい、君が再婚してくれたから、それだけでも俺は天にも昇る気持ちだったんだ。それに、ぼくはその後も売れ続けたから、恩を受けたこと以外、何も言うことはないんだよ」

 その矢先に老母が亡くなったが、気落ちした彼女は頭痛と目眩を繰り返すようになり、病院で頭の検査を受けたが、期せずして頭の中に奇怪なるかたまりを見出したのだった。

「あのね。できものがあったの。実は頭の腫瘍しゅようなんだって」

「なんと。おお、神よ、こんな事って。僕に何かにできることはないのかい」

「良くなるよう、精々せいぜい祈って頂戴。それから、赤ちゃんに歌うように、ララバイもうたってね」

「そんな」

「手術がうまくいけば大丈夫よ」

「そうか。きっとうまく行くよ」

「ありがとう」

 物事はそう都合よく運ぶものではない。

 はじめは良性と言われて手術を受けたものの、実は性質たちの悪いものであったらしく、その後の検査では何処どこからか飛んで移ってきたものであることが判明した。

 後はあっという間であった。

 佳き人がこの世を過るのはくの如くである。外連味けれんみのない清々すがすがしい命の歴程の上において見えるが如くである。

 夫君が死に水を獲るのと同時に、私はそのたましいを食って寂滅じゃくめつしてった。夫の戯作作家は自身の度重なる死別につき、これを悲観する様子はなかったようである。


 佳かるべきヒトの捨てたる魂緒たまおをば

   餓鬼がきよろししくもネコの身の食う


 清々すがすがし ヒトの去り行く夕べにて

   食うて寂しくなりにけるかな

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