第25話 ニャンの十三の二 君と蝕の2

「大方のものも昔からその通りではあろうが、私は幼い頃から見知らぬものが好きであった。

まあ、夢想するのもそれはそれでよいが、矢張りそれでは物足りぬ。

王宮には多くの古今東西の文物ぶんぶつがあったから、それらは見も知らぬ者に対する憧れや欲求をある程度満たしてくれたのには違いない。

当然の如く、それらの宝物の出所の事、さらに朝貢してくる国の使者の顔つきや服装、言語など、あらゆる事が興味の対象となったのだ」

 ほほう、博物か。

なるほど、この王も聞けばそれほどのおろか者でないことが分かる。

だが、果たして本当にそうか。

「見知らぬものに対する興味や欲求は人間本来のものであろうが、私はことの外それが強かったのだ。

だからこそ、唯一の王位継承者であったにもかかわらず、父と母である王と王妃の反対を押し切って勘当かんどう覚悟かくご放蕩ほうとう流浪るろう、放浪の旅に出たのだ」

 何と、こ奴、流離りゅうりうれいなきに非ざるこの俺に同じ血の流浪の御仁ごじんか、これは恐れ入った。或いはこの夜舞いネコもはるかに及ばぬほどの多くの事どもを見聞きしておるやも知れぬ。

御前おまえ、妙に神妙しんみょうな顔つきになって来たな。

まあ、よかろう。放浪とは申せ、そこは何と言っても王の子じゃ、従者は腕利きが一人二人と付いていったんだ」

 ほれ見ろ、私のような着のままでも、孤立無援こりつむえんでも無かったのだろう。だが、まあ、それはよい。

 さあ、それではその続きはどうだ。

「少々話し疲れたな。

たかがネコ如きにお相伴しょうばんさせるなど、しかも酒を飲むでもなく、まったくこの私も老いれたもんだ。

しかし、それにしてもお主は若いのか年を経ているのか、見当もつかぬ。

いま、私とお主が共にこの時を過ごしておるのだが、このように昔から今に渡って我々の傍らにあり、また、この刹那せつな、刹那において我々が使って、かつ古びをもたらす何ものか、時折思いが及ぶのだが、このものの正体が今に及んで、とんと見当が付かぬのだ」

 こやつ、或いはもしかすると相応の者かも知れぬ。

いや、しかし一般にネコに斯様かようの事を吹きかけるのは、どう考えてもやはり頓馬とんまであると相場はそう言うかもしれぬ。

「さあ、お主にも食い物をつかわそう」

 そう言うと、乞食こつじきにしか見えぬ男は奥の部屋から黒いパンと干し肉のかたまりのようなものとを持ってきて、千切ったものを私に分け与えた。

葡萄ぶどう酒はどうだ。いや、酒は要らぬか。それでも、まあ飲め」

 そう言うが早いか、パンと肉とを置いたその傍らの螺鈿らでん象嵌ぞうがん細工がくすんで見える天板のふちの、少し明るく見える部分の表面に赤黒いものを垂らした。

「これはな、驚きあなどることなかれ、私を王とは知らぬ近くの農奴が毎月届けてくれる在り難い天の恵みの葡萄ぶどう酒なのだ。

毒が入っていなければな、ははは。

血のようにも見えるが、決して血ではないぞ。

少しぐらいの毒が入っていようと、これこそが俺の至福だ。

これを飲みながら聖書の細かな文字を一字一句 辿たどりながら読むのだが、お主、これは果たして罪ではあるまい」

 そんなことはこのネコには分からぬ。

弥撒ミサでもあるまいに、葡萄酒とパンなら聖書が許す至福とは言い得て妙だが、決して悪い組み合わせではなかろう。

まあ、人間とは大方その様なものであろうから、貴様がこれによって断罪され、懲罰ちょうばつを受けるとは思われぬ。

「いやあ、うまい。

さあ、ではお主にも地獄の書のこの章句を読んで進ぜよう。

何がいいかな。ああ、ここだ」

 乞食の王はソファの後ろの棚から聖書のようなものを取り出しながらそう言うと、其の個所かしょひもといてネコを相手に読み始めた。

「汝、死に行くものよ。そなたに我がこの眼球を与えしんぜよう。

この眼球ひとつで黄泉よみの暗がりの隅々すみずみまでもが見果みおおせる事であろう。

しかし、何と言ってもこれはただの眼球ではない。

その昔、死に急いだ我が子が身を以て私に残したものであるが故、断じて粗末に扱ってはならぬ。

これをおのが眼球と思い為して、その導標しるべなき奈落への階段を下っていくがよい」

「・・・」

「さて、お主はこれを何とするか」

「・・・」

「そうか、猫には申す事など無いと言いたいのか。然にあらん。

在るのかないのか分からぬ死後の事など考えるのは、人間位のものだろうからな。

だがな、此の世というものは実のところ、何処どこまで行っても得体の知れないもので溢れ返っておるのだ。

すると、これらを余さず知りたいと言う欲求は当然のことながら、それは決して叶わぬ事でもあると言わねばなるまい。

つまり人間には自分の死後が天獄なのか地獄、煉獄れんごくなのかすら分からぬのだ。

もしかするとそれ以外かもしれないが、或いは巷間よく聞くように、死後の世界など無いのかも知れぬ。

勿論この世も同じ、これで終わりと言う事がない。

だが知りたい。

我々の知り得ぬ、戦場のように限りなく死に近い所もあり、また一方で陶酔感に満ちた桃源郷のような、限りなく天国に近い所もあるのかも知れぬ。

 あの世が神の国であるのなら、死後においてそれを希求せよと言うのは、何とも穏やかで子供じみた考えだろう。

それよりも死後の真の有様を知りたいと希うのが本来だろう。

それを、恐らく死後の世界がどの誰にも知り得ないだろうと考えて、神の国に転生するなどと、人心をたぶらかすにも程があるが、これは何と言うことであろう。

そこで世界を見限ってしまう人心にも問題があるのだが、まあどん百姓とあらばそれも仕方があるまい。

ただ、少々学のある貴族連中はそうも行くまい。人心をたくみに丸め込んでしまうにはこれに越したことがないからだ。

まったく無垢な人民たちは苦も無くこれにはまるものだが、これで大人しくなるものだから為政いせい者は楽になる事この上ないというものだ。

真面目に日々の暮らしを行うことで年貢をしっかり支払って徳を積む。

これが天国への近道と言うのだから全く恐れ入る。

と言って此の世以外の世界がないという証明はされてはおらず、誰それが死後を垣間かいま見たなどと言う流言りゅうげん飛語ひごがある程である。

何たることか、ははは」

 ほう、こ奴も所謂いわゆるただのいかれトンカチでもなさそうだ。

酒が入った所為せいか、先ほどのすこぶるつきの饒舌じょうぜつに戻りつつあるようだ。

 長くなるやも知れぬが、さて如何どうしたものか、何処どこで退散しようかと思案を巡らせながら後ろ足で頭をいた。

「先ほどの話でもないが、王位にく前の若い頃に、いや生きている内に私はこの世のありとあらゆるものを自分の目に焼き付けたいと思ったのだ。

習俗にせよ、学問にせよ、宗教にせよ、其々それぞれの国々でどう異なるのかを実際にこの目で見て回りたかったのだ。

どうだ、王であるかどうかに関係なく、これは決してまっとうな考えでないとは言いきれまい」

「・・・」

「見聞を広げるべきであると言う私の意見を、そんなものはあちらからやって来るのだと、父は愚かにも黙殺したのだ。

父の考えも判らぬではないが、またこの世がガレイリオがそう申したように、きっと得体の知れぬ大きな力に動かされていることぐらいは、私にも想像がついたのだ」

 さて、出奔しゅっぽんしてしばらくの後、自らを手に掛けたこの乞食の王の落命の間際に、何と言うことか我がたなごころが間に合い、哀れ合掌がっしょうついでに、奴のたまを落としてこれを喰らい、その魂魄こんぱく寂滅じゃくめつさせたのが我がこの化け猫たるわが命の所以ゆえんであると言えよう。


 いにしえつはものの骨肉と脳みそうま

  ら眼の光る


 猫はう 乞食こつじき王のたま

  契りてかんとこし世の末


 えんたましず 見遣みやる 

  山端やまはかる東雲しののめしょく


 片喰かたばみ双葉 かんばし 森を行く

  悪霊あくりょうり 熊退散す


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