第22話 ニャンの十二の二 乞食王の2

 人間どもの言う神の神話というものには、悪魔の呪詛じゅそだの何だの、或いは死んではよみがえる何者かが幅を利かし、或いはまた小動物変化、怪物変化などの変身 奇譚きたんに事欠かない。

出自は出鱈目でたらめ或いは不明ながら、何処どこからかこのネコの脳髄のうずいに忍び込んできたのか、純真そうなヒトの幼女が理不尽りふじんなる時間の渦に巻き込まれては怪物と化し、イヌネコネズミを従えては悪事を働くなどである。

更には死神にすら見捨てられては不死の妖怪と化していく。

時に悪魔の貪欲どんよくな配下が目晦めくらましを掛けては、ゴミに金箔きんぱくを被せて市場にき散らし、無辜むこの小さきもの達はコロリとだまされて転がされ、失意に苦しむものの、それでも地にかえっていく。

時を経てのろいが解けて民が覚醒したとしても、あたかも何事も無かったかのように元通りになる、そのような時間の行き来の中、にも付かぬ物語が織りなされていく。

生まれては死に、死んでは生まれ、それが幾度も繰り返される継代けいだいあやによってそれらはねられ混交こんこうされては離れ近づいては、また花英はなぶさからき散らされる種や花粉の如くに拡散し、次第に離発散りはっさんしていく。

並べて見遣みやれば、これを以て一般は世に事も無しとは言う。

「このような私が国王と会っては国民が浮かばれぬ。お主もそうは思わぬか」

 そうか。いや正しくその通り。

誰が国王であろうと、それがどれほどの名君であろうと常に国民というものはだまされ、搾取さくしゅされては憐憫れんびんこれ禁じ得ぬほどに浮かばれぬものなのだ。

そしておよそヒトというものはその国民そのものの命を生きていかねばならぬ。

それに引きえ古今にらず東西に依らずまた未来永劫みらいえいごう、ネコにはニャン頭税とうぜいもなく、ヒトの国におけるが如き下らぬ取り決めなど一切無いのだ。

無論、国による助けも何もないが。

「お主は好いのう。何のわずらいもなく、またわずらいも無い。うれいも無ければ迷いもない。人間は大変だ。見知らぬともがらとはおろかか、気心の知れたはずの側近とまでも腹の探り合いをせねばならぬ。親しい奴は猶更なおさらだ。人間の世界には裏切りもある。事もあろうに味方は敵なのだ。兎にも角にもづらい。これもあって父は多くの者の首をねた。私は私で、やりたくもないのに何の因果か国王の役どころだ。権力者などとは言え、自分の力で何かを勝ち取った訳でもなく、何の権威も無いものが幻想のように如何どうにももろあやうい寝殿しんでん幽閉ゆうへいされる身にもなってみよ。

 皆が皆幸せになれぬものか。隣国りんこくのかわいい姫君を貰ってもみたが、何と私はそいつに毒を盛られて殺されかけたよ。更には家来に頭を刎ねられかけて、何とか逃げ延びはしたが。それからはこのあばら屋暮らしさ。いやはや何とも」

 何と此彼こやつもそうそう悪い奴でもないらしい。

死にぞこなないらしいが、反吐へどの出るほどに臭い溜息ためいきを吐きながら、目の前の神でもないこのネコなぞに主などと言う。

まあ、主も王も変わらぬ。

御前おまえが王なら私があるじでも構いはせぬ。

与太者よたものの乞食が王で、浮浪ふろうネコが何だか判らぬが主である。

だが、この乞食王は神頼かみだのみするでもなく、自分の食い扶持ぶちを思いわずらうでなく、領主としての事かどうか、うそまことか領民を思いやってもいる。

どう見ても乞食で信心しんじんの持ち合わせはなさそうであるが、或いは本物の国王か。

いや、ただれ者かも知れぬ。う言う手合いはまあ、王にらず乞食に依らずどこにでも居るものだ。

不意にネコに歌心がただよう。


無鉞むえつ乞食王こつじきおう

いつかのどこかに奴がいた

紙魚しみと言うでもないほどに

夏の葉裏はうらを歩きおる

風采ふうさいもっ浮浪人ふろうにん

きさきはとうに相想あいそうをつかし

周りのものはみな風と去り

以て自身は王でなし

故無ゆえなき王をはばからず

王たることにせきもなく

また王たるにたけからず

国の行く末をこれ知らず

つわものどもは草叢くさむらに   

やがての森は新緑に

信仰は以てあつからず

いつわりりの王、すめらぎ

流離さすらいネコに手を伸べた

そんな奇妙な奴がいた


「なあ、お主よ。俺は亡き父から王位を継いで既に20年ほどになる。しかし俺は王座、王冠やしゃくどころか,もうこの世にさえ未練はないのだ。既に周りには誰もおらぬ上、当然話し相手もおらぬ。如何に心を込めて聖書の章句を唱えようとも、何の救いも訪れはしない。王妃は子さえ為さずにここを去った。最近では夜に日を継いで明け暮れを過ごしている始末。よい事なぞこれっぽっちも無い。子供の頃は本当に良かった。何も考える必要が無かったのだ」

 何と身勝手な。だが、理路は立っている。

平民の生涯に鳴る二つ三つの鐘はおなぐさみだ。

農奴のうどには鳴る鐘すらもない。

兵士など、何も知らぬ若い美空に天を仰いで野にたおれ行く。

食うや食わずの極貧ごくひんの農夫の暮らしぶりなど思いも及ばぬ事であろう。

想像力の欠如は実にこれを如何いかんとも為し難い。

ただ、自身の立場から遁走とんそうするのではなく、曲りなりにもそれを務めたのであると言いたいのであるとすれば、なおかつ何者かに執着している風でないとすれば、それは多少はほめてやってもいい所であろう。

「もはや私は何が欲しいと言うのではない。

いや、何も要らぬ。

それどころか、この私など此の国には要らぬと言っていいのだ。

此の国も私がいなくなれば、他の誰かが治めるだろう。

これが私の仕事であったのかどうか。

私がこれを行う必要があったのかどうか、今となってはそれが良く分からないのだ。

今でも夢に見るのは戦争の時の事だ。

父も元気であったから、連戦連勝の頃はよかったが、それでも多くの兵を失くし、その頃の国力の疲弊ひへい筆舌ひつぜつくせぬものがあった。

あの世ではきっと兵士どもが私が死んであちらへ行くのを心待ちにしている事だろう。

勇猛果敢ゆうもうかかんにして人間としても立派な多くの兵どもが若くして死んで行ったものだ。

幾らとむらっても弔いきれない兵士どもが。

おお神よ、我は何とつみ深い王であった事か」

 流浪るろうの民でなければ国土あっての国、国あっての国王、何もかもが無限の内にあるわけではない。

領民りょうみん臣民しんみんあっての国王である。

知ってか知らずか、貴様きさまのような国王であればその臣下も領民も可哀想かわいそうであろう。

兵士は何をもって死に行くのか、何に命をささげるのかすらも判らず知らず、或いは考える暇もないままに、父母や神の名を口にしながら命を落としていったのだ。

まあ、つまりは彼らの仕事はただただ命を落とす、そのことにかずであったのだろうが。


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