第20話 ニャンの十一 阿呆と南京虫

 奇天烈きてれつな奴らは何時いつ何処どこにでも、それこそ綺羅星きらぼしごとくにいた。

居丈高いたけだか威圧いあつ的な音声おんじょうを張り上げ、大袈裟おおげさ抑揚よくようの物言いは恍惚こうこつたる悪態あくたいや悪そのものの自動的は発露はつろそのものであろう。

手を振りかざし、悪臭あくしゅう芬々ふんぷんたる大気のうずかもし成していは多くの者を不気味ぶきみなる陶酔とうすいうずに引きり込み、それらを抜けのぞう落ちにしてしまう。

手前てまえ味噌みそのその阿呆あほう其奴そやつの前に自動人形的に参じては行儀ぎょうぎよく整列する間抜まぬづらの阿呆の面々に音惚おとぼ交響楽こうきょうがくの指揮者の如くに指図さしずしては、悲喜ひき交々こもごも阿鼻あび叫喚きょうかんかまびすしい手挙てあ足遣あしやりの惨劇さんげき体操を繰り広げさせている。

奇妙な傀儡かいらい人形たちは目をき、大口を開けての大合唱の熱狂の中、延々と一糸いっし乱れぬ自動運動を大きく揺らぐことも無く、無心にり出しては一切の狼狽ろうばい疲憊ひびの色やひびきを見せることも無い。

一心いっしんおどるそやつらは、或いは次第に敬虔けいけんなる放心ほうしん無我むがの境地へといざなわれゆく者ともなろう。

くらぶるに野良ネコどもの月影の夜会の様にくはない。

この夜更よふけには大地をうるおすべき霧はつゆほども出てはいない。

斯様かよう阿呆あほうばかりがつどたかっても、それは悪無明あくむみょうの会合に過ぎぬ。

 くの如く踊り叫ぶ阿呆を模倣もほうする手合いもまた大勢いた。

整列を乱せばきらうべき太古の混沌こんとんに時を戻して仕舞うとでも、あがたてまつった挙句あげく噴飯物ふんぱんものの銅像が打倒だとうされてしまうとも思い、毀誉褒貶きよほうへんかまびすしき中、いくさと称した共食ともぐいをおかすを常とし、せわしなくも背に腹をえながらふるえていただけの事であろう。

寒空の下に流離さすらい、喰うためにのみ生きる野良の私が芥箱ごみばこ残飯ざんぱんの恵みにあずかり、それをあさっていた時にもそ奴らの仲間を徒食としょくに漁りほふり殺しては、それを美味うまそうに頬張ほおばっていたことであろう。

正しくくの如くに在ってしかるべき世なのである。

 と言ってその御仁ごじんのそれぞれに全く考えがない訳でもないのである。

つまりはそれらヒトどもの頭の中は混沌こんとんとして、よくは分からぬながら、奴らの言い分によれば、これこそが人なのだそうだ。

ここが厄介やっかいところなのである。

随分ずいぶんと以前から汚染されたのう味噌みそを洗うと言う表現があるようであるが、汚染おせんのほどはともかく、神話以来この方、其々それぞれの神の欠片かけら経巡へめぐりと呼ばれる糸屑いとくずによって成るたましい酢漬すづけのかぶらごとくに酒精しゅせいさらされては次第にこれに馴染なじみながらに発酵はっこう麻痺まひしてしまいにはそれらの意思は狂気きょうき狂信きょうしんに導かれて狂奔きょうほんしては、次第に何か無気味ぶきみなものへと収斂しゅうれんしていくのである。

狂気が作り出すのは統制とうせい統御とうぎょの不能によりもたらされる狂気の惨劇さんげきであろうか。

 うずたかき灰の山は微小びしょう生物の白い死骸しがい堆積たいせきして島嶼とうしょ環礁かんしょうすのを彷彿ほうふつさせるが如くに、地下の墓所ぼしょに積み上げられたる骸骨がいこつの様に累々るいるいたる死屍ししがある何らかの景色をし、そのうちにさざれ石がいわおとなると言うことであったろうか。

すなわちこのように、それらは時を経て小さな地の層を為すに至る。

これら無数の命はどのような過程を辿たどるものにせよ、遂には皆一様に地にかえるのみである。

それもわかっていながら、の地で何事かを為さねばならぬなどと、尚も何ものかにき動かされては、かたわらの者の迷惑もかえりみる事なきまま火山ひやま火噴ひふきを真似ては何かを爆発ばくはつさせ、他者を驚かしてはよろこび、よその地をおとしいれては其処そこの民をしいたげ或いは殺戮さつりくし、そこで得た金色こんじき糞塊ふんかいを押し転がしては生をべていくのだ。

 あらゆるものは訳も知らずに生れ落ち、何処どこへ向かうかも知らずに好き嫌いによって生き、また好悪こうおらず、また是非ぜひもなく生きるのを終えさせられる。

彼らは言わば神と呼ばれるものの責任により生き死ぬのである。

しかしそうこうしながらも神はそれぞれの生き死にの事など知る事ではない。

それが真に神に仕業しわざかどうか知るすべも無いままに、その神なるものはとがてされることも無いままに、あらゆる者どもは言わば自動的に生まれ死んで行くのだが、そのことを彼らの神の所為せいとも出来ぬままに、小さな心を悩ませる者どもも後を絶たない。


 

 病葉わくらばむしうごめきざしあり

  さても虫食いあるも無くとも


 傀儡かいらい手持てもち無沙汰ぶさたに投げれば  

  白き月にぞいとからまる


 海神わたつみ何時いつなぎさ辿たどり着て

  大地をおおい ただ褶曲しゅうきょく


 海山うみやま海溝うみに沈みぬ冥海めいかい

  赤銅あか月独ひと茫洋ぼうように照る



 中には食い物の余剰よじょうをなるべく多く自らの懐中かいちゅうくらにため込むものが居り、これによって周りの者たちをえに困らせるのである。

そののちには実質の価値あるもの以外にも、あたかも何か価値あろうものを多く貯め込む者など、或いは奇妙な蒐集しゅうしゅう趣味しゅみ狂奔きょうほんし、或いは他者を思いのままあやつろうと愚考ぐこうし、或いは成るべく多くの者をき者にできないかと案じ、即ちそうした南京虫なんきんむし亡者もうじゃ連中がこの地平に生まれ出でては、其処そこ彼処かしこ蔓延はびこるのである。

 このような少数の者たちのために多くの無辜むこの者達が大迷惑をこうむる。

誰かが発破はっぱのための爆薬ばくやくを開発し、それを別の悪の用途ようとに使うものが出ては無辜の民を死のふちへと追いる。

困った事に便利で有用なものを悪用するものたちがおり、それを神の名にけて正当化することもおこたらない。

彼らはそれらがそうじて無意味であること、むし悪行あくぎょうであることを知らぬのだ。

 神の名にけて自身の存在意義と行動原理の正統性とを融通ゆうずうしては無理やり自他のへと落とし込み、これを以て道理をげ、何処までも自己を押し通しては他をめっし去っていくのだ。

その様にして南京虫なんきんむしのごろつき亡者もうじゃの奴らどもが、戦利品を積載せきさいした船に乗って意気いき揚々ようようと引きげていく。

或いは滅ぼし、どこかへ追いった先住民のための記念堂を建立こんりゅうしもする。

何もかもがこうして分捕ぶんどり、分捕られ、滅ぼされては何が悪で何が正しいのかが分からなくなっていく。

由緒ゆいしょある銘品めいひんはどこかの誰かにかすめ取られては、何時いつの間にかそれらの糞転ふんころがし連中をうるおす責務を負わされる羽目になる。

うるわしき稚児ちごらのたましいもやがて生贄いけにえにされては、南京虫どもがこれをむさぼり喰らうなどのしき風習ありとは聞くが如何いかに。

 山里やまざとはずれなる椿つばきこずえに月のかる夕暮れ、紅い花弁の落ちこぼれ散らばるかたわらに打ち捨て置かれたる産着うぶぎの中に、くの如き南京虫どもに喰い荒らされ、今しも事切れんとする瞑目めいもくさながらのあわれなる赤子あかごを見た時には、その無きにネコの眼にもまなじりれるのを禁じ得なかった。

 生類しょうるいへのあわれみは同類や同胞はらからを食すのきんを破るを以て地にわる筈のものに非ず。あわれは生来せいらいどこのネコにもネズミにも、ヒトにもコウモリにもあまねく在るもの。

他者をおとしいれるを良しとするやからに対するに、憐みの情をもってするは禁物きんもつである。

他を圧倒するにくび真綿まわためるかの如きさくろうしつつ、長年を掛けて地と天とを己が物としていく。

ネコ一般は斯くの如きたぐいくみすべきものに非ず。

我がたのみとすべき猛者もさ天籟てんらいたるべきさき一閃いっせんまたたく間をすらあざむくほどのもの。


 亡者もさなりし 深山みやまの秋の夕暮れに 

  くや塵埃ほこりたたきて後に


 秋茜あきあかね まなこゆる薄紅うすべに

  何時いつぞやの月 何処どこぞやのそら


 白檀びゃくだんに 静寂しじまかおりて からす

  やみ声音こわねに かわずおのの


 しら月を指す幼子おさなご紅椿べにつばき

  舌に転がしおもかげしの

 

 秋刀魚さんま来て約束の地へ

  うものに小首こくびかしげて命差し出す


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