第19話 ニャンの十 雑の一 洞と褥

 古木こぼく栄華えいがきわめたその昔、瑞々みずみずしくかんずるおのが身の内なるうろの事になぞ、ついぞ思いをる事などない。

今となってはそこに在る洞はそれをかたどふちが在るのみであって、樹々が死につつ己が内に育てる木質もくしつは虫食いに失われ、そのおおむねの本質は寧ろ無に近くなり行くからでもある。

そこに在ったものが失われた場合、それが在った頃との比較の内においてのみ思いをいたすことができると言う事情がある。

視界をさえぎるものが去ってこれを見遣みやれば、其処そこに現れるのは既に舞い散った生の名残なごりたるべき花びらではない。

身にまとう新緑で装い隠す一方、はなやぎの失せた古びた樹肌じゅきさらし、内にはそそぐべき腐敗や埋めるべき空虚な虚空こくうを抱え込む何がしかに過ぎぬ。

斯様かように生けるものはまたくべきもの。

その万事万物の休み、安らい、安楽あんらく安堵あんどすべき行く末を案じても仕様がない。

け落ち切れぬままに春の来ぬ冬を過ごすものの何と多きことよ。

 光に満ち満ちた爛春らんしゅん晴海はるみは在りうべきものであるが、決してあらまほしきものにはあらず。

それは我がネコの意からはまばらないしはうつろなる空を隔てて遠離おんりし、また厭離おんりしたものである。

毒饅頭どくまんじゅうでもらっておのれを捨て去った後に現れても来よう。

時の粒の滑り流れるが如きを彼此ひしの岸辺にたたずむ、かえるがごとく眺むるが如き阿呆あほの境地こそはその者の世の終わりを畢竟ひっきょうする一抹いちまつ一掬ひとすくいのネコの心地として去り行くに如かず。

決してあだネコ一匹如きがこの顕れ現れざるあまねくの世をはかんでいるのではない。

或るネコの命やその境涯きょうがいなど如何の様でも構わない。

モグラもイヌもネコもヒトに於けるもまた同じ。

引きり、眼も見えず、死の舞いの最期にネコ突撃して海にじゅんじた奴ら共の境地とその心地は誰にも判らぬ。

いわんや多くのものわぬむくろどもの心地においてをや。

 百千年のこのしばらくのまたたく間、このネコの頭に鉄槌てっついが振り下ろされることもなく、木にるされたあの幼猫の頃よりこちら、幾たびとなく天地あめつち逆様さかさまを見るとは何とも皮肉である。

数多あまたたえなるものをの当りにし、また降り掛かる火の粉をからくも払いり過ごしたことも数知れず。

すでにして椪笏ポンコツこの上なき有様ありさまにて、長居に過ぎたかんいなめず、今一時はこのたもと縷々るるまった澱滓かすい出しては、ひとみそぎを果たさねばならない。

 我がうろは我がこのけがれを何処どこまでも喰い尽くし、わば自壊じかい浸蝕しんしょくこれおこたらず、熟膿うみ澱滓かすさらすことなく、以て自浄じじょうを果たすべく導標しるべよろしくこの鬱獣けものを無の境地へと導いても呉れよう。

ても嬉しき心地かな、暫くの後にはこの無為むい徒食としょく渡世とせいの旅も終焉しゅうえんを告げる。

懺悔ざんげともまごう独白の末を一体何が止め、どうくく介錯かいしゃくして呉れるのか。

数百千年の命は歴程れきてい遍路へんろとしてはともかく、それを以てしても僅かに歩を進める目先の日々を足下そっかに照らし出すともしびにすら値しない。

ヒトどもが高々百年辺りでの世に辟易へきえきするらしいと言うのも首肯うなずける。

高々百年で古老などとは聞こえはよいが、まず以て聞き苦しい事この上ない。

固陋ころうは我ら生きものにあっては罪悪であろうが、私はこの罪悪を更なる罪過、罪咎つみとがり固めながら歩を進めてきた。

このうろが我が罪過を何処までも完膚かんぷなく喰い尽くし、そそいでくれることをこいねがう。

 

  見遣みやるネコのひとみき宿る

   うろの中にも よどみて


 塵芥ちりあくたつどそそぎに巡りきて

   繻子しゅすしとねの柔らかきかな


 芥子粒けしつぶの我が魂魄こんぱくの濁り絵に  

   ついえし街のにおみたり


 星のみち かえらぬものの眠りしに

   うにかなわぬものとかは知る



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