第17話 ニャンの九の一 伊助のこと

 て、伊助は何処どこへ行った。

伊助の事に話を移そう。

この世に悉皆しっかいつるのところなしとは言うが、果たしてまこといつわりか、扨て如何いかがか。

そうは言うものの、如何いかな神や仏にも見損みそこないがあるのであろうか。

切り捨て御免ごめんとはくのごとし。

あらゆるものは切り捨てられたが最期さいごである、これは道理。

切り捨てとは覚悟かくごとともにその場から立ち去るのではなく、覚悟もなくそのいとますらも与えられることなく、其処そこで切り捨てられ、その場で残骸ざんがいとも言うべき塵芥じんかいするという事である。

言わば、ある無辜むこなる存在が無ではない何ものかに置き換えられるのだ。

そのものでありながらも、つそうではない影のような残るべきかすのような何ものかに。

元の存在の欠片かけらのような何ものか、それは本来その位置を占めていたあるじのような実存在が脱落だつらくするかのような何ものかである。

言わば主体不在の薄皮うすかわの衣服のみが、恰も脱皮せられた薄皮の抜けがらのようにもぬけが其処に脱ぎ捨てられているようなもの。

衣服ならば着用の用を為すものの、薄皮の抜け殻では使い回そうにもどうにもならぬ。

墓場の辺りに脱ぎ捨てられたその衣服を見て、或いは着用にと付言ふげんするやからもおろうが、それも一切どうでも構わぬ。

 伊助の言うことには、どうやら妙な魚にあたったと言うことらしかった。

何かの毒の所為せいで本来、渾然一体こんぜんいったいのものであるはずの頭と体とが隔絶かくぜつ分断され、何時いつの間にやら体が言う事を聞かなくなった、自分が自分のようでなく、奇怪あやしくなりやがったと。

やられた。清水にまうはずの何時いつもの魚どもの無毒を妄信もうしんして食ったのが不味まずかったのかと。

 大海に棲まう魚たちは本来無毒であろう。

或いは魚共の叛乱はんらんか、或いは食われることをいとうての所業しょぎょうか、何とみずからに毒を仕込むとは。

しかしそれにはまず自身を捨て去る覚悟がなければならぬが、言うまでもなく悪敵手あくてきしゅの排除には自らに仕込む毒は打って付けとなるは明らか。

しかも効果は覿面てきめんであろう。

切って捨てるも造作ぞうさなく容易である。

だが切り捨てが魚の本意ほんいとも考えられず、奴らの所為せいかどうかはよくはわからぬ。

 ただ、魚の奴らも奇怪しかったとは言う。

元気もなく、我慢ながらにかどうか、腹を天に向けて浮かんでいたらしい。

つまりはこれらの魚の犠牲ぎせいは自らに仕込んだ毒の所為と言うよりも、我らの存在を超えた者たちの介在かいざいを考えざるを得ない。

この状況を彼ら魚たちが嘆く事すらかなわずに、ただただ辛さを抱えたまま苦言をていすることもなく、顔をしかめてひたすら苦しんでいたものと言えよう。

「まあ、魚も俺たちも、きっと見えないよこしまな奴らにやられたんだ。

そうでなければ神か仏か何かにだ。

周りの仲間たちにも狂い死にした奴が多くいたらしいが、あいつらだって俺同様、魚が、就中なかんづく雑魚ざこが好きだった。

魚を喰うだけの俺たちには何を如何どうする事もできなかった」

 ヒト共も弱り果て困っていたらしいが、それは魚共も伊助らも同じ。短い寿命をさらに短く細切れに切り刻まれ、言いたい極僅ごくわずかの事さえ言えずに切り捨てられて仕舞った。

振るえる体の置きどころにも困るようになり、奴が悶絶もんぜつながらに幾度か蚊のくような声で絶叫するのを聞いた。

そのうち奴はろくしゃべる事も食をる事も出来なくなった。

俺の眼を震える横目に見据みすえて一すじ涙を流したが、本意は知らぬ。

魚だけは喰うなよ、無様ぶざまさらすべからずとでも言いたかったのであろうか。

 恨み言など一切無かったが、不知火しらぬいに伊助ありと、その名をとどろかせた挙句あげく沙汰さた、魚のたたりとは言え、痛恨のきわみこの上ない。

かぐわしき梅の花弁の、透けるが如くにあわ果敢はか無い枝の上の残雪ざんせつとも見紛みまごう春まだ浅き朝未あさままなじりを決するが如くに虚空こくう見据みすえたまま、か細い叫び声とともに身悶みもだえしつつ絶命した。

 その昔、伊助とは何でも競い合い、しのぎけずった。

実のところ奴は半死半生で生まれ出でて何とか成猫せいびょうとなった、捨てられた挙句に運よく私のほこらに連れて来られて乳を貰った得難い生を得た奴であったのだ。

珍妙ちんみょうなる三毛の衣をまとい、無論のこと野にも里にもいたが、若い頃の本来の居場所は森であった。

山では何も思いわずらうことなく、生きの良い川の魚を鱈腹たらふく食べたものであった。

そこには鳥もいれば野ネズミも蝙蝠こうもりもいた。

山野を渡り歩けば幾らでも食い物があり、何の不自由もなかったのだ。

山猫の本分は山に住まいし、気儘きままの内に生きる事。

その気高さ加減は生を生きるに微塵みじんてらいも韜晦とうかいもなく、只々生きることを要諦ようていと為すに明らかである。

日々従容しょうようとして、ただ野の小さき自然に翻弄ほんろうされるのみである。

 山を下りて海辺の浜辺に定まるようになった伊助の知り合いの中にはその内に奇妙きみょうな踊りを踊るネコもいたらしいが、恍惚こうこつとして舞うその様は目にした誰しもが陶酔とうすいする程のものでああったとも言う。

念仏のような甘美な楽曲に自らそれに漂うかのように、昼夜をかたず瞑目めいもくさながらに舞い続けるその様は、やがてそれ自体が修行の如くに延々と、つい仕舞しまいを果たしつつ、ネコをして解脱げだつせしめんとしたかどうかは知らず、あらゆる迷いを断ち切ったかの如き夜舞よまいネコとはなった事であろうか。


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