第15話 ニャンの八の二 ネコ描きの譫(たわ)ごと

 さて燐火も天に召されて程なく、先にも述べたとおり奇妙なヒトの絵描きに出くわした。

本性はと言えば表向き単なる生まれついての絵描き、次いでの所のネコ描きであったろう。

日頃の乏しい飯糧はんりょうを分け振舞ふるまっても呉れる。出会いから程なく居心地の良さを言い訳に居候いそうろうを決め込んだが、何とその薄汚い野良ネコを一時の友ともしてくれた。

売れぬ絵を描き、ましてや死神の如きネコなんぞと暮らすとは、余程よほど酔狂すいきょうな世捨てであろうと思いした。

世をあざむ手管てくだでもあったのか如何どうか、少なくもこの若輩じゃくはいネコの吾輩わがはいには人付き合いの下手な厭世えんせい人と見えたのである。

「お前は俺が何故なにゆえに絵をえがくのかは分かるまい」

 何を考えたか、こ奴はネコ如きに向かって言問こととい語りを始めた。

「実はこの俺にもよくわからんのだ。そのように当然のことに、俺に判らぬものがお前に分かろう筈もない」  

 その通り、今更いまさら事立ことだてて言うまでもない。これも奴が幾度となく自身の内で反芻はんすうした思念しねんであるには違いあるまい。

「俺はこれらを描いて如何どうなるものでもないと、我ながら今更ながらにそう感じている。

くのごとくにことごとくのものを写し描いても、きりがあるようであって、本来、限がない。

一つの画幅がふくにしてさえ、画竜点睛がりょうてんせいと言う境地きょうちがまるでわからぬ。

ましてや多くを描けば描くほど、きわまる心地などまるで無いのだ。

一方、有限のこの世界を限りある筆の運びで描いて終わりとすれば、実は人間にはこれしか術はないのだが、何とあわれでさびしい事であるか。

如何いかに画業とは言え、この世をその目と手というはさみ画布がふに切り取ったのみではないか。

その暗幕の裏に潜んで此方こなたうかがっているのは、あるいは皆がそう呼んでいる神なのではあるまいか。

 我々がどの様に描こうが、其処彼処そこかしこに転がる被造物ひぞうぶつに似せて画幅上に創造した心算つもりになっているに過ぎぬ。

畢竟ひっきょうやつの模倣をしておるに過ぎぬのだ。

写しは即ち偽物にせもの、そのまがい物を創るに一身をくし命をついやしているとは何事ぞ。

奴はあの布切れの奥でしたり顔にほくそんでいるに違いない。

この世を創りなおさねば、何を描こうにもついに奴の意を絶することにはならぬ。

なんと、嬉々ききとして行きつ戻りつするかごの鳥に径庭けいていを為さぬではないか」

 なるほど、籠の鳥とは神の手になる貴様のその脳髄のうずいって貴様が如何様いかようにものを表現しようとも、くだんの被造物にとっては如何どう足掻あがこうとも無駄な抵抗に過ぎぬとな。

然様さようすれば、この世を写し取る手合いの、私のような絵描きが如きにあっては、その作務さむまさしくこの世を去るまでの手遊てすさびに過ぎぬ」

 即ち御前おまえが描く風物も、それを描く御前自身もまた作り物には違いなく、神ならざる身のヒトにあっては、神ならざるものを描くと言う企てはついかなわぬという事か。

 私が背中せなを丸めながらにわが思念に入れた合いの手なのか、或いは彼奴きゃつの私に言った言なのかは判然はんぜんしない。

「成る程、お主自身が石ころ同然の作り物に過ぎぬと言う自覚はあるようだが、そうして描くうちに時を得てようようにそれと気付いたのだな。

だが、その様でいて、その様でないものを描く、或いはそこに何やら不明のもの、即ちたまならざる何事かを込める、それこそが所謂いわゆるヒトたるの行うべき画業ではないのか」

 これまでこの絵描きにあっては、描くことこそがいわば被造物としての天祐てんゆうすなはち生きる事であったのであろう。

一方で、人間としての生活において生きた他者との関係性においては然程さほど拘泥こうでいしなかったとおぼしい。

此奴こやつがヒト共の所謂いわゆる芸術の探求においておのれを全うしたのか如何どうか、或いはおのが才能に絶望しこれを見限ったか、それは知らぬ。

小屋には未完され放置されたる絵が数多あまたあり、果たして奴の居らぬ世では野火のびき物とは相成あいなったが、それはそれでまた佳い。

奴は死ぬまでの間を描くと言う闇の内に生きたことであろう。

 食は乏しく私はせさらばえたが、短い放浪から小屋へ帰還かえると、如何どういう訳だか奴は出奔しゅっぽんし、其処にはあるじ不在の絵のみが堆積たいせきしていたのである。

奴によると、ある時をさかいに絵はしかるべき手遊びともなったとは言う。

ひとたび描き上げてしまえば、その絵は名品であれ何であれ、当人には既にして用済みの何がしかのゴミなのである。

多くの自らの絵をゴミならざるものと思い為し、その一一との縁を絶たないためにその多くを未完としたのか如何どうかは知れぬ。

出来上がったものはすべて、身の内より出来しゅったいする糞塊ふんかいに過ぎぬとは奴の弁である。

また、おの亡骸なきがらとともに荼毘だびされては、その真の主の許へ、地へと還り、ともにこの世の表を去るにくは無しとも。

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