第12話 ニャンの七の一 簑笠と蝦蟇(がま)

 何時いつだかの人里に暮らしていた折、ある夏の盛りの夕間暮れの木蔭かうろの中で見た夢とも見紛みまごう幻であったか。

暑苦しさの中、山吹やまぶき色のかしぎに容赦なく気を引き摺り込まれそうになりながらも、漸くこれに抗って夢幻の均衡きんこうしている内に、葬送の行列かいずれか、霞んで一様にも見えるまだら模様の浅葱あさぎ色宛さながらの簑笠みのかさかぶったようなものの、行軍こうぐんよろしき一筋の長くほの暗いさく状の線条を低い崖の上から眺めたことがあった。

 あれはそも夢か幻か、或いは何処いずくよりつどい来たれる者どもか。くだんの簑笠は揺らめく陽炎かげろうね退け、それをよくよくめ上げれば、玉虫色さながらに黒灰色の陰惨いんさんかげりのある長々しき繋列けいれつが、決して協和せぬ雑音とともにうごめき、ひしめきよろめきながら退きつ進みつしているのだ。

見る間に不意に反吐へどの如き気色けしきが悪景色を伴いつつ、逃れようもなくおそい掛かって来るのである。

その場からどうにも動けず眼をらそうにも、まなこくぼみの中の法螺ほらや胃の口吻こうふんやらが勝手に吸い寄せられるのである。

ひどい吐き気に身をよじりながらもしばらくはその行列に眼をくぎづけされる様となった。

我が臓腑に染み付いたしきけがれどものうらみがあたか彼奴きゃつへの強い磁力を帯び、それが眼の窩みや口吻から放擲はなたれんとするかの如くであった。

見る間にそれは蛆や蛭、蛻などが挙って南京虫への狂信よろしく身悶えしつつも、約束の死地へと赴く狂奔きょうほんの有様とも見て取れた。

 行軍の内なる彼らは決して悲嘆ひたんに暮れるでもなく、皆一様に眼を半眼に見開き、恰も何ものかを見透かすかのように刈萱かるかや宛らの浮動感を身にまとっては、恰も痛痒つうように耐えるかの如くに身悶みもだえしている。

またあえぎつつ何事かをうれえるようによろこもだえ、あるいが何事かを唱えつぶやき、くなる状況をいといつつもその甘美さに酔いれながらにこれを迷妄めいもうする風体ふうていであった。

その様はわば乖離しつつ統合するかの、発条ぜんまいの如き奇妙な振動のうち漸進ぜんしんnするていで、奴らの列の先頭が目指す先を見遣みやれば、其処には眼もくらむはずの陽光が跡形なく吸い込まれ行くかの如き暗黒の穴倉あなぐらが見えている。

一旦其処に入ったものは


光すらも出るに能わざるが如く、また窺い見るに困難でありながら見過ごすには惜しく覗きたくもあるが、素面で視線を寄せるべきものでもなくい。これを察するに無聊行者がこの世の最期の畢竟にあってその邪念のすべてを捨てに行くような場所か。

さらに言うならばこの地を捨て、己が内なるあらゆる此の世を終焉しゅうえんさせるための、あがたてまつられるべき鬼やじゃがこれをべる、所謂いわゆる闇の地平の入り口か。 

 災禍さいかが通り過ぎていくように、自失の生きものたちが砂塵さじんもてあそばれながらに目指すのは、自らの死の舞いがその現身うつしみたる移し身を夢境むきょう奈落ならくへといざなうべく心地よく迎え入れる桃源郷とうげんきょうでもあろうか。

あたかわずかばかりの時のかさねひだ其奴そやつらがみ込まれ、且つねられゆく様の心地よさをえて知るかのような物見ではあった。

 目に見えぬ鎖につながれた虜囚りょしゅうとも言うべき我々ネコをはじめとするあらゆる生きものは、知らぬ間に狭き間口ながらにはなはだ大きな穴に引き寄せられては、高から低へと流れる水のように、順に滞りなくこの穴に吸い寄せられては転がり落ち、その深淵に呑み込まれていく。

何処どこのどのネコがどのような順で繋がれるのかは知らぬ。何時かは判らぬが、カメもウサギもヤモリもヒトも順不同に並べられて繋がれては、否応なく滑り込まされていく。

順を待つのを億劫おっくうがるともが割り込んでくることがあれば、其処はそれに応じて孔穴の大きさも自在に変わり、事と次第は実に滑らかに順調にはかどっていく。

順に繋いで落とし込んでいくのは鬼の仕業しわざか、実に鮮やかなる手際がこの困難な作業を可能ならしめているのか。

繋がれたものどもが持つのは恰も陽光の内か外かの鈍色にびのみを取り出したかの如きもので、一切の明度彩度が奪い去られた、いわば黒い耀かがやきとでも言うべき無明の如き光、何かを放つよりはいっそ音も光も匂いも併せ吸い込んでしまいそうな黒耀こくようである。

 またこんなこともあった。

これは若かりし頃、何時ぞや疲れた体を押して森への帰途を辿たどるうちに、ネコのこの私が畔径あぜみちの傍らを田圃を東西のはすいに走り貫くてつわだちよぎった少し後の蒸し暑い夏の夕暮れ、赤い夕陽に鈍く照らされた鉄の塊が傍らにある轍を轟音とともに過ぎ去っていった折の事であった。

身を揺さぶる轟音に身をすくめ、思わず振り返るやわだち予程よてい刹那せつな重なった途端の大きなガマガエルが耳をつんざきしみの音にはじけるとともに踏み蹂躙にじられていった。

巨蛙きょあひしゃげた黒灰色の片脚を其処に置き去りに、もんどりうって彼方かなたへと消えていった。

そこに物言わずに独り放り置かれたたる脚がたいそう不憫ふびんではあったが、其のままるに任せた。

 斯様かように時を選ばずに立ち現れる異様なる闇の間隙すきが、先ほどの簑笠の穴倉同様、これら蛙や鼠に鼬、鼫にヒトやネコなど小さきものどもを不断に、騒々しく或いは音もなく呑み込んでは立ち処に消え去るのだ。

そのあくる朝も晩も蛙らの悲愴なる合唱と思しき音声おんじょうは鳴り止まず、恰もその辺りの月光なる田園での葬送の儀らしきものがしめやかに執り行われたのであろう。

あの後脚の主はこの界隈かいわいでも重鎮じゅうちんででもあったか、このネコには何の意味もないが、或いは名も以て為し、耳目をほしいままにしたものであったやも知れぬ。

も言えぬ申し訳の無さと憐憫れんびんの情とがネコの身をおそい、このネコは宵闇よいやみの大合唱の中、合掌につき、ネコ立ちに立ち尽くした。

蛙と私とはあの時、或いは分かち難い表裏であったのではあるまいか。鉄塊に圧倒されたのがこのネコではなく、蛙であっただけのことである。果たしてその折りは其奴の順であったのだ。

 暫くの日々が彼らを、おおいなる蛙星あせいが墜ちた悲しみとともに途方に包み込んでは暮れ行くことであろうと観じた。

何とこのはかなさ、もろさそしてあやうさの上に等しく、ネコをはじめ在りとある我々の命がいただかれているのである。

蛙たちはそのことを知ってか知らずか、連綿たる生死に対する讃歌さんか哀歌あいか挽歌ばんかに、そしてまた諦念に至るかまびすしい時の迷いの道程にあって、やがては無上の悦びの表象というべき滂沱ぼうだたる涙にうち流されていく。

日頃蛙のことなど考える由もないが、歳蔵や伊助の事が思い起され、これを想うたびに哀切あいせつこの上ない感興かんきょうに見込まれる。

それにしても蛙の奴は川を渡ったのかどうか、それとも川に流され清められたのか。果たして魂を削ぎ落せたのか。


 見ず知らぬかわず隠るるとき上縁うえ

   音も匂いも見えずなり行く


 夕間暮れ 冥途めいどみちの開くとき

   さびしきことの 思われもする


 おののきておののき往かん暗がりに

   耳目じもくすべてをふたぎて末に


 ネコ独り あやみつつつき見遣みや

   月星ほしなめりて 宵闇を行く



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