第10話 ニャンの五の二 あるのみのネコ

 此の地に散らかる我らがネコの命には幾許いくばくの大義も名分もない。

天に散らばる星星にしてまた然り、いわんや星星の皮相ひそう偶々たまたまに生起するネコネズミヒトサルにおいてをや。存在自体の是非をすら問われてはおらぬ。

在るともなく在り、また在るともなし。

そこでは出来できの良否も問われてはおらぬ。

たまさかにヒトのうこの「この世」に発出はっしゅつしたかの如くに見做みなされるが、敢えて申すにネコはこの「ネコの世」に発出したに過ぎぬ。

つづまるところしばらくのネコの世での休息を苦しみ、また楽しむのみ。

無論、このネコの世とヒトの世はともに接し、少なからず交わる。

 の画人の申すには、どうにもヒトは本意にかどうか意義づけを行いたがり、無意味にも意味なぞを見出みいだす欲求を抑え難いようである。

いずれの個にせよ本来無価値的な、あるいは価値如きにとらわれることのない、流れて帰らざるが如き融通ゆうずう無碍むげの漂流物に、あるいは無に過ぎぬ。

諸行しょぎょうが無常するが如くに、美しい花花が時を彩ってはこぞって散華さんげし、名もなき螻蛄おけら蝙蝠こうもりが子を為してはそれぞれに朽ち行き、やがてはその地を去っていく。

おおむねそのようなことであるが、いずれ何の違いがあろう。これらはあらゆるものがそうであるように、命の価値につき、またそれぞれに存在自体の価値を問われることもない。

生がどのように果たされ、果て行くかについては神の意とも無縁ながらに、そのそれぞれの責任とともに、此れもまた不問なのである。

 ネコにせよ、ネコ描きにせよ、その生や死についてもあらゆることがあり得べきことである。

安寧なる最後も、またあらざる睡りもしかり。

白日はくじつ青雲せいうん峻峰しゅんぽうを目指すが如くも、また晴天に暗雲垂れ込め、霹靂へきれきとどろき渡れるもまたあり得べし。

五体の完膚かんぷはこれ有り難くもまた有りうべし。我が幼少のみぎりよりかこちもったる隻眼せきがんもまたむべなりて、あり得べくしてまたあり難し。

すなわち、如何いかならむ郁子むべ山端やまはに与すべき。

人身御供も斯くあろう清次郎の清清しき落命はまさしく有りうべき事。

谷間の百合ゆり石楠花しゃくなげなど、短くはかなくも美しくあらなむとは決して感傷ではない。

 ヒトどもがことてるが如くに、その特質たるべき美しさ、穏やかさはどこから見ても瑠璃るり奇麗きれいほどのへうはあらまほしかろうが、このネコの目より見ればそれらは決するに事更ことさらなる価値でもなく、ちょうはえあぶには食の用をすに過ぎぬ事との変わりなし。

其々それぞれの命や物、事物、形象の叙事じょじとはおよそそのようなものである。

本来それらはただ在るのみであって、それ以上の事がない。

悲嘆的ひたんてき抒情じょじょうはあるがままの悲哀を受容するためにする受け手における端緒たんちょであり、そのもたらすものは感傷的自覚を過ぎない。

 つぼみは開くやいなやただただ其処そこにあるを以てそのもの自体を満喫まんきつ散華さんげするのみで、そこに悲哀はない。

本来あるがままの無にかえるのみ。

死すやし、ながらえるやよし、いやまたし。

其処そこいたずららなり、あるいは果敢はかなきなりを付言ふげんする要はない。

然様さようなれば、在れば還らず、去らばふる里。真善美なるえにしうしなうことの悲しみについては、真善美のこだわりから自らを解き放ち、これを忘却するに如かず。

また明け暮れ悲嘆しつつ枕をらし自らなぐさむるにかず。

 ネコの死は単個たんこなる猫の死を過ぎず、また花花の散華同様、行われるや否や云々うんぬんすべくもなく行われゆくささやかなる時の一過いっかに過ぎず。

ヒトに於いてもまたしかり。生まれるやいなや死すともまたうべなり。かる隻腕せきわんの美しき女人たるのヒトを見よ。

若き頃より痼疾にむしばまれたる悲運に見込まれ、絹本画幅に目にもまばゆ絢爛けんらん精緻なる印象を虚空こくうより抽出活写するやいなや倒れてむ。

その魂は最早傍らの乳飲み子を胸にいだくことを望むべくもあらず。

只々ただただに西方へと晴海はるみの残照に映える冥府めいふに憧れ、これを目指すのみ、絶望もなく。

またく在るべし。

しかして隻腕は独り彼女のみに非ず、また悲哀はその乳飲み子の身においてのみに非ず。

 

 かるべきヒトの命のみじかきに

  哀れは知らずあし南無なむ


 ごう音を無音ともなく聞きにけり

  闇も無闇むやみも消えず消えゆく


 世の菩薩ぼさつなお如来くるがごと

  とこし世にても在らざればなり


 嵯峨さがなるは性分なりてこのかたち

  あてなるうてな解すべくなく


 闘いに行くや此方こなた土性どしょう

  果てに広がる白骨はこつ河原へ 

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