第8話 ニャンの四の二 森羅と蛇樽

歳蔵さいぞうとの永の別れに泣き暮らした折の夢幻むげんに現れたのはどう言う訳だかどこかのとらわれ猫であったとおぼしい。

何を好んでか下らぬ人間連中にへつらい、何とも憐憫れんびんの情を禁じ得ぬ可哀想かわいそうな奴ではあったが、其奴そやつくくりに酒樽さかだるに命をとさんとするする間際まぎわの奴の目を夢幻のうちに目撃したような、そうでなかったような。

今となっては哀れな其奴の墜ち懸かるたまを切って喰らって遣れなかったのが宵闇よいやみに浮かびかる赤銅しゃくどう色の月の如くに気がかりではある。

それにしても何処かで目にした先客の毒々しくも青蒼あおあおたる蛇をようする酒樽さかだるの中では如何いかなこの私とて瞑目めいもくするばかり、すくい拾ってもほふり喰らっても遣れぬ。

魂の酒漬けとはこれ如何に。


紅く色付く森はまでも深くそのふところにあらゆるものをいだき、くるみ込んでくれる。

歳蔵がおのずからなる魂の緒を如何いか様にし得たかについてはこれを知り得ぬ。


つきあかし じゃの酒樽にあいまみ

 黄泉よみ同舟ふねとぞ あわ瞑目めつむ


重陽ちょうようめぐる命の糸車いとぐるま

 銀のかげりの森羅もりにてぞ


此の世はヒトの世もネコの世も言わずもがなの針尖しんせん一寸、謂わば一刻の一休息の一刹那である。

おおきな目でこれを見遣みやれば時の運針の廻りや陽の経巡へめぐり、潮の満ち干や月の満ち欠けもただただせわしない時の移ろいに過ぎぬ。

やがてはこれらのかまびすしくも騒がしい時がむこともあろう。

いずれまた木々にある無数の葉のそよぎは、やがて其処彼処そこかしこ数多あまたなるきらめきをき散らすほどの星星の音擦おとずれを招くことであろう。

それにしてもこの世は始まるやいな終焉しゅうえんするいこいもあり、全くせわしなく、ニャアと鳴いて周辺あたりを見渡して間然かんぜんする閑暇いとますらない。

しばらくの休みの時の短さを不満とともにかこなげくことなかれとはよくも言ったもの。

ヒトなぞ、あと何度桜を見るかなどと騒いではいるが、押しべてものの持つ時の移ろいは哀れなほど短く、まさしくまたたく間である。

まさに自刃せんとする武将の如くに、最期の桜の花びらの最後の一枚までを目蓋まぶたに焼き付けようと、或いはこの一期いちごに値するさかずきをと思案して瞑目めいもくする。

梅の木でかれた所為せいかどうか、何故なにゆえか歳蔵の髑髏どくろは、これをめるに馥郁ふくいくたる梅のかおりがした。

その洒落頭しゃれこうべに百千年の後にまた会おうと告げた。

さても万年、億年を要して何時いつ何処どこかで巡り合えるやいなや。

何事も事毎ことごとに生まれては消え、んではほどけ、現れては去る。

このネコの毛さえも落ち抜け生え替わり、まるで間然かんぜんする処がない。

やがて最後の枯葉がその枝を去るが如くに、むしり取られるべき最後の毛が抜け落ちる。

最期のものが去り、すべてが終わっては何処かでまた始まる。

あらゆる物の事どもは生起せいきしては終焉しゅうえんする。

見かけ上は連綿れんめんたるものの、実の処それぞれに所縁ゆかりのないよし無し事の繰り返し。

 ある時、田舎の破れ寺でその糞体ふんたい糞雑衣ふんぞうえまとった禅僧の糞坊主がこのネコに教えてくれた名僧の言に言うには、

「ある高僧の宣いて曰く、『言に名利みゃうりこれなく、あるべき行ひはまった虚浮きょふを絶つという。またつぶさに機縁をれば、善く物のしょうに通ずともいう。すなわちおごらすへつらわずして、行蔵ぎょうぞう時にかなひ、さらに幽深ゆうしん吐味とみし、これにより疑義ぎぎべんじ開くべし。まこと稀代きだいの英賢、すなわち仏宗の法将なり』と。さて、如何にや・・・」と。

高僧の言を手繰たぐる糞坊主もまことよほどに暇を持て余したものと見え、ネコ如きを相手に禅問答ぜんもんどうとは思議しぎ不能にしてまた不可解ふかかい

 あらゆる事どもは一見するにひそかにひそかに歩み進んでいるかの如くであるが、いずれも浮薄ふはく不易ふえきの堂々巡りの往還おうかんに過ぎぬ。

今後はくの如き茶番をいとう事もなく、歳蔵も此処ここからの外道げどうかなうとはこの上ない僥倖ぎょうこうであろう。


陽翳ひかげりの軒端のきばいらか

 碧空あおぞら白月しらつきかる

 閃光かげなき涯崕はて


不意ふい不如意ふにょい 下天げてん見遣みやきぞなき

 金輪際こんりんざいを 捨てやりにせん


梅の香の湿しめり 髑髏どくろに染み入りて

 こけの根の ることもなし


破れ寺 らの眠りをかじりおる

 らのまなこ神寂かむさびており


うつくしき 月こそなけれ らの夢

 おそるるまでの 深きしじまの


望月夜もちつくよ 月影ひとつ月を

 (=^・^=)白餅しらもちねてはげつ


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