第6話 ニャンの三 万太郎爺と魂喰い

 万太郎爺さんがこの世の、否、やつの思うこの世の果ての死の淵に至ったとは、て嘘かまことか。

何処どこかで阿呆あほうの如くにおの尻尾しっぽこだわりてはこれにとらわれ、これをめつすがめつ、気の済むまでもてあそんでいるのではあるまいか、と言うのは我がかすかでひそやかなる慰みに過ぎぬ。

風のことごとくが噂するあの迷惑千万であるにせよ、或いは一足先に失礼とはよくも言ったものだが。

できれば此方こなた側でちょいと鼻っ面をはじいて遣りたかったが、叶わぬ事、畢竟ひっきょうするに奴は珍しくもただの三毛猫であったが、噛み合いでもついに歯が立たなかったのが正しく歯痒い。

毎度毎度何でもせんを越された。

あの大袈裟おおげさ得意とくいな髭面が、障子しょうじなる月影つきかげの如くに目蓋まぶたに浮かぶ。

奴はあの尻尾の長さを比類なしと自讃してはいたが、決してそれだけではない。

てらいもなく、その持つ真の価値は長さにあらず、むしろ如何いかな繊細微妙を表現できるかにあるとうそぶいていた。

あのたった一つのはなを明かして見せたかったものだ。

私の涙を奴は知るまい。

果たしてお気に入りの尻尾を切り離しおおせたのか。

或いはへびの如くにおん自らおのが尻尾を喰い給いしことを願ってまず。

自慢の毛並みを蛇蝎だかつの如くにおおせたか、或いは果たして臨んだ立ち往生が叶ったのか如何どうかははなはだ疑問であるが、さもなければ川を渡るのは決して容易ではあるまい。

奴の脳髄は何処ぞの魍魎もうりょうに喰われたか、或いは此方側に下衆げすの未練を残したまま、はるいまの、くらい他界に転生したやも知れぬ。


つめとがる尻尾を追うてネコ独り

 大跳躍にはるきたるなり


山毛欅ぶなばやしかすみふかりてみち暗し

 大蛇だいじゃそれとも猫独り往く


腸脛ちょうけいにブナどもわらう心地して

 けやきの里にるる嬉しさ


落ちかりち損なっている命の魂の緒をほふり、手ずからすくい拾ってすすり喰らうのはもとより心内にさわりありとして、古来こらい罪科つみとがであると聞き知るに及ぶが、如何なものか。

然しながらネコたるのこの己が身は延々とこれを行いきたって今に至っている。

隕落ちた命は最早これを食するに値しない。

これを食せぬのはこれが抜けならぬたま墜ちであるが故である。

他に類例を見ぬ我が一千年をまたぎ越す命は此のいわゆるたま喰いに依ったと言って過言はなかろう。

何の事もない。

落命寸前の魂をたなごころせて口吻へ一押しして遣るだけで事足りる。

それをこの胃の腑に収めてやると、様々な命に宿った魂をそれらが如何に邪悪なものであれ、ふしぎに然り確りと寂滅じゃくめつ落魄らくはくしてやれた心持ちになるのである。

邪悪なものであればある程その魂魄こんぱくには惹き付けられ、その命が堕ち掛かる頃には我知らず、掬い受けるべきこの掌がその魂の許に届くのである。

脳の髄が等しく持つべき馥郁ふくいく美味は嗅味きゅうみの感覚領域を遥かに過ぎ越しては全身に経巡り、身内みぬちみなぎる麻痺が如き感覚に至らしむる。

一度この魔剤に痺るるが如き感覚に囚われると、最早逃れられなくなる。

この浄化じょうか滅殺めっさつによる寂滅じゃくめつは謂わば薄汚い邪鬼じゃきの行うべき仕事ででもあろうか。

神の懶惰らんだあまねき死の監視の困難さゆえか、或る者の死に際にその役割をひょんなことから天籟てんらいを仰ぎ、この私が引き受ける事とは相成ったのだ。

こうして、境内の朽ち落ち葉を掃き集めては燃した芋や団栗どんぐりを貰い喰う時のもの以上の喜びは我が手に落ちたが、ここにこうして朽ち葉は旋毛つむじ風に吹き飛ばされて境内に星をき散らした。

鬼の役回りは何処どこの鬼の手に渡ったかは定かならず、このに及んでの問題はこの私が只管ひたすらに善の如くなる所業を行ってきたことの是非ぜひ弾劾だんがいではなく、自ら満天星躑躅どうだん足蹴あしげに駆け抜けたか如何どうかは兎も角、羊ならぬネコなるこの己が死に目に際し、羊頭ようとうでも狗肉くにくでもないネコの魂をどこの誰かが、真に落としてくれるかどうかという事であろう。

唯一なる它神だしんか、邪悪ながらも天地を照らす鬼神か、それとも天邪鬼あまのじゃくか。


ひとしずく魂の緒を断つむなきに

 おのが命の永くもある哉


朽ち葉とてつど野面のづらを隠さざる

 星風の吹く天にほし瀰漫


躑躅つつじいわくこそあれ苦青葉

 三味の音にこそいざなわれゆく


団栗を喰うて山奥やま辺の夕べかな

 木霊こだまも雲の行方ゆくえ果敢はかなむ




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