第5話 ニャンのニャのニャ 俗名と戒名

 君津弥太郎左右衛門時貞きみつやたろうざえもんときさだは前世の俗名であると長老から聞き及んではいるが、聞き触りだけはよいかも知れぬが、はて如何なるものか、転生てんしょうなどとは言え、真に足るべき本当の処を知らぬ。

名もなき者のつよさをこそ思い知るべきであろう。

まったく、名など要らぬ長物ちょうぶつである。

ヒトどもの所謂いわゆる戒名かいみょうですら、わば架空かくうそぞろ移ろいつつ交わす通行票代わりにささやき合うほどの渾名あだなに過ぎぬ代物しろものであろう。

いわんや俗名ぞくみょうをや。

まあ、ネコはせぬが、後ろ足で詰屈かがんで蹴飛ばすのが関の山であろう。

 ても我がこの肉塊、脳の髄は誰にれてやろう。

もうそろそろ七月の中元である。

澎湃ほうはいとして月の如くに張りみなぎった我がももの肉は既にしてしおれ、毒気をはらんだ脳髄もようようしぼすたれつつあり、残りは然程多くはない。


萎み居る そは吾輩のかげに似つ

 検見けみせぬほどの夜舞いなりしか


此の頃はゆめはかなくもなりにけり

 つるべき名も月も身も世も


陽炎かげろう目眩めまいともども沈みゆく

 泡沫うたかたあおゆめ歸去かえ


骨白しらむ 我らはかず ほの青き

 夢路を急ぐ 迷い猫かな


名にし負うたかき尾峰に雪ぞ降る

 不死にてぞ積め 清きこころの


 私には来るべき今際いまわの際が到来しつつある。

ただ、それが何時いつ何処どこで行われるのかが判然しない。

見えざる鉈鉞おのが我が喉首を目掛けるのが今日なのか、明日なのか。

しかるに、じつの処そんなことは如何どうでもよい。

来るべきほかの予定などありはせぬ。

何時何処でが分かった処でどうにもならぬが、今度ばかりはしっかりと喰って貰わなければ、れてのお陀仏だぶつとはあい成らぬ。

本心はおのが骸を隠すにかず、晒さずにかずという事である。

我が脳髄を狭い部屋から解放して白日の下に晒し、誰かにすすり喰らって介錯かいしゃくしてもらわなければならぬ。

臓腑は風雪ふうせつるに任せて溶融け、骨は砕け散る機縁なくば形象かたちを保って留め置かれ、或いは石となりほうり遣られる。

死屍累々の一つならば、いやそれでも骨とともに闇の地平に繋留とどまらねばならぬ。

そうなると一つきりならば何やら一寸ちょいとうらさびしい。

いず寂滅じゃくめつすべきには違いないにせよ。

 て此処で私が路傍に死屍を晒そうとも、これは既にして夢の如き一千年をまたきたった化け猫の果敢はかなき抜けがらである。

ありとあらゆる毒気を吸い尽くした挙句の、大いなる無為むいの抜け殻は放置するに厄災やくさいもたらさないとも限らぬ。

汚穢おわいまみれ、毒気どくけたたえた我が本懐ほんかいたる所以ゆえんのもの、たとえ青白き見映えの骨たりとて虚無こむの一人や二人ではそのたたりははらえぬ事であろう。

扨て如何いかんせん


びて ほふるにかたし 抜け殻の

 月の何処いずくに うずめせしかな


れネコの 果ての彼方の 天蓋てんがい

 わらいなけ ただ独り


 ニャ、ニャ、ニャン。




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