第4話 ニャンの二の一 犇(ひし)めきと沐(あら)われ

 電磁の如くに果てしなく気の重畳ちょうじょうする時空のうずのただ中に、古びた挙句あげく放擲はなたれ捨て置かれた物をわぬ多くのむくろあるじどもは、永遠のごときものをただ延々とながらにその辺りで去来しているのかどうか。

それはも角も不穏ふおんの時を刻みつけたおのが抜け殻が、或いはいつくしみいとおおしむべき命のあかし其処そこから消え失せるのをこいねがいながらも、つまたそれをおそれているかの如くである。

ほのかに青白い風が不断に肌を刺すべく吹きすさぶその場所にあっては、すでにして物言う魂骸こんがいなどおろう筈もないが、或いはかつまとい、脱ぎ捨てた己がむくろなれば千年万年ほどの間は時折、検見けみ検分に立ち寄りたがるかもしれぬ。

しかしながら其処そこ久遠くおん時秋ときを刻み付けたいという希求はついかなうことがない。

風や雨にられ、時の残滓ざんし土塊つちくれおおかぶさってついにはうずもれ去ることであろう。

私があのむくろの一つであればどうか。

早くに片づけて欲しいと願うかもしれぬが、百千年も捨て置かれ、埋もれればやがては気も心も静まり、従うにまた思いが変わることもあろう。

 薄暗いにれ木立こだちの中、月明かりすらもところ淋漓りんりみなぎ瘴気しょうきを発する鬼の矢柄やがらどもがかやの如く、また天をほこの如くに一叢ひとむらを為している。

ネコの頭に巣食う不明不快なるものの渦巻うずまき茫漠ぼうばくとはしていたが、こ奴らのかたわらを抜ける頃には如何どう言う訳だかすっきりとして清々すがすがしい心持ちになってくる。

こ奴らの精気に不思なる我が脳髄のうずい感応かんのうしたとでも言うのか。

我が脳髄にまとわりつくモヤモヤとしたかすみのようなものがさっと晴れて、木立のこずえに照り映える半月のへりかえってくっきりとあたかも降りきたるかに見えるに至って、ネコ独り失声しっせいうちにただただおそれ惑う。

 一個のネコが存在するという事は、ネコ或いはのみしらみやヒトなどと言うものが一つの個の現象として其処そこ彼処かしこにあり、その表象以上の意味を帯びぬというさまに於いて選ぶ処なし。それらがうごめく様はまさしくありが惑い迷わずにして蠢く様に同じ。雲や地や水もまた同じ。

木立を抜けでて大いなる湖岸に独り寂しくたたずめば、夕映ゆうばえを映す水鏡のなす水明かりのように澄み渡って、一点の曇りもなく限りなく平らかなるなぎの水面に映えるべき、やがて迫り来る漆黒の宵闇に浮かび上がる大いなる無に等しいともおぼしき綺羅星きらぼしどものなすべき近くも見ゆる遠景。

その中の一点にすぎぬそれら無数の在るか在らぬかの如き光の粒たるべき銀河の渦巻き、或いはつる、無数の小さき蟲虫むしの蠢きによってかたどられるとも言うべき大いなる幻惑にただ恐れおののく。

個々たるネコの毛の如き一つ一つが織りなす、それらの無数の個々が風に揺らぎ、漣波さざめき、うねりをなし、次第に大涛おおなみを織り成しては何時いつしかしずまり、連綿たるささやかな時の残滓ざんしとともにやがては一点に収束してついにはみ消えるかの如く、其々それぞれに無へとかえっていく。

虫もネコもヒトに於いてもそれらは無数のむしより成り、それは更に細かな肉の包み、水のふくろのような小さきものたちがひしめき合って成り立ち、時にしなりながらも共に振るえよろめき合っているのみ。

それは何処まで細かな草叢くさむらに分け入っても、更に線状や円環えんかん状をを為したるつるの如き小さきものたちが犇めき合い、振るえ合っているには変わりがない。

 これらの揺らめきや犇めき、ないし振るえや揺らぎは何時の間にか恰も存在以上の意義を獲得したかに見え、流動拡散、散逸を経てつどめぐりては地に跳梁ちょうりょう、風や水に跋扈ばっこしては災禍さいかもたらし、地平、水平を小さくまた大きく揺るがしはするものの、一定の時を経てまた一見穏やかな大地へと沈潜ちんせんしていく。

そして、それ以上のことがない。

こうして、あたかも何事も無かったかのように微塵みじんの如き時の地層が降り積もっていく。

そこには羽交はがめに遭った、暗闇のほこら宜しきくらい眼のくぼみを持つ、目撃の役をつかったもぬけがそのからを残すのみ。 

 何時のころからかそれらは此の地にいたずらにかどうか体躯を得てそこにすまいし、陽と地のめぐみとをけては繁栄を謳歌おうかしてまず、それでもそのうちに消えていく。

見えざる地の始まりやその果て、時の始まりと果てとを検分したいという渇望かつぼうついかなうことなく、ただ自らの消え行くところを検見けみするのみ。

地平が波浪風雪はろうふうせつあらわれ浄化されゆく中、この地平にたたずまうことごとくのものたちはすべて、これらの地異、水嵐すいらん、あらゆる微塵みじん翻弄ほんろうされては、暫くの後に風がむように皆一様に地へと還っていく。


ひとの木枯らしやさ

 ざらしに 

 ほねてつきて 心しぬく


物と黒白こくびゃくいらか夢遥か

 やがて消えゆくまじないの身の


月光がっこうにうす紅にほふ桃の花

 死出ししゅつの門をネコ出で立ちぬ


むしどもに喰い尽くされて跡も無し

 さて乾坤けんこん跋扈ばっこせしもの


 て、今宵の宿をさぐらねばなるまい。宿とは言いじょう其処そこは哀れただ一匹のしとねである。

百千匹はおろか、一匹ですら余るほどのもの。

今更いまさら寂寥せきりょうかこっても何となるものでもあるまい。

此処ここに至って我がネコの命は寂寞せきばく、孤独の中の孤独。

死出ししゅつ門幅もんぷくは哀れネコ一匹の一尋ひとひろのもの、僅か二三寸のものに過ぎぬ。

然らばいずれ来れるやがての時のため、その門前に身を横たえ、身清めの支度を致しても差し支えあるまい。

 然程さほどには酔いもせぬのに此のところ夢かうつつしもせず、茫漠ぼうばくとしてあるような有様にして臥し居ての休息などもってのほかにあった。

何時いつの間にやら蜉蝣かげろうも姿をくらまし、首にげた鈴ならぬ木阿弥もくあみとの同行とは相成った。

てどちらの甘露かんろ門に向かったものやら。

入相じっそうの鐘はもう、うの間に鳴り止んでいる。

やぶしとねの一向に定まらぬこういう時にはよく阿弥陀様のご機嫌を伺ったものだが、この辺りには気に入った灌木もなく、もくして間然する処もない。

しゃくさわるが致し方ない。

悩んでも仕方がないので、声をはばかってニャンと小さくいてみた。

既にして、かつての一瀉千里いっしゃせんりの脚をもたぬせつなるこのネコじゃが行き着く果てなどあるのか。

夕日を追い掛けた郷里の昔日せきじつは遠く、毘沙門びしゃもんさながららと仰いだ又吉またきち兄を凌駕りょうがした想い出も今は幻である。


べに蜉蝣かげろふ 薄羽うすばさきの 黄泉よみ光芒かげ

 えには知り得ず 闇に待たれよ


 知らず水先を引導いんどう案内あないしても呉れよう。然様さようかんじてこの小さき蜉蝣にほのかなる安堵あんどの思いをたくしたものの、もはや奴の姿は傍らには見えぬ。

酔夢すいむいざないにはまた若き日々への憧れもあり、今更めいての感慨でこそあれ、それは老い衰える中で迎える寂滅じゃくめつの予感に遠い昔日の穢国えこくでの一夜の死、亡き者共との回向えこうならぬ酔生夢死すいせいむし彷彿ほうふつすべきたえなる感興を我が身にもたらし来る。

この辺りには我が宿やどりと為すべき軒端のきばなどもはや見て取れぬ。

夜風にそよぐ草葉をうらぶれた闇が来りてこれを照らせば、其処そこ此処ここ彼処かしこの蔭は陰翳かげならず或いは夜目に優しい灯ともなろう。


天地あまつち開闢かいびゃくよりは食せず

 みちれ遥か寂寞ゆめより来る


普段我々は鼠なぞ喰わぬが、食するに窮して即ちひんすればこそどんし、またどんしては此の世の同僚たる鼠公どもにおもねり、また高楊枝に土塊つちくれをば喰らう。

いずれもわば自然の成り行きである。

我々が死すれば神々が蟲虫むし微塵みじんをしてこれを喰わしむるのみ。

喰うものはまた食われるもの、あらゆるものは食われるべきものである。

道理にして天理。

我がこのネコは鬼の如くに神々の食い物を拾い喰いしては今に至ったが、此度こたびは果たして食われる身である。

最初で最後の身清めである。

何と神々しき供物くもつ餌食えじき、或いは猫猫しいネコそのものであろうか。

 斯様かようにしてネコは神の庭とも言うべきその場所に発し、また還るべき神の一部ともなるのだ。

さても御身おんみ亦候またぞろ猫一匹を創造したくなるやも知れぬ。

しかしながらこの辺りになると、此の世での新たなる出立しゅったつはこれを一事いちじとして首肯しゅこうせざる無きにあらず。

猫としての矜持きょうじは再びまたいたずら懊悩おうのうとしての葛藤かっとうを生むのみ。

て、探しあぐねた灌木の茂みの中で、幾度か瀕死の私の腹をたしてくれた鼠たちの目と命とを数えながら眠ることとしよう。

扨てもこの夜は長い夢への立ち寄りが叶うであろうか。





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