第4幕 『白鳥の湖』のオディールの場合 ⑧

 愛しいジークフリートの腕の中でウトウトと微睡んでいると、頭の中でオデットの声が響き渡って来た。


<オデット・・・・私の元へ帰って来なさい・・お父様の命がどうなってもいいの・・・?夜明け前までに帰って来ないと・・お父様を殺すわよ・・・。>


「お父様っ!」


オディールはベッドから飛び起きた。隣ではジークフリートが幸せそうに眠っている。そんなジークフリートの頬に手を触れ、オディールは涙を流した。


「すみません。ジークフリート様。オディールが私を呼んでいます。言う通りにしなければお父様を殺すというのです・・・。だから・・やはり私は城へ戻らなければなりません。ジークフリート様・・・さよなら。短い間でしたが・・貴方と恋人同士になれて・・私は幸せでした・・。」


眠っているジークフリートに話しかけ、最期に口付けをするとオディールは脱ぎ捨ててあったドレスを着用すると白鳥の姿になり、羽を広げるオデットの待つ居城へ向けて飛び立った―。




 明け方―


湖に太陽が姿を現す頃、太陽の日差しが差し込む城の広間の中央にオデットは立っていた。右手には剣を持ち、そして左手にはロープを持っている。ロープの先には縛り上げられ、気を失った状態で床の上に転がされている父、ロットバルトの姿があった。その姿を上空から認めたオディールは城の広間に舞い降りた。


<オデット!お父様っ!>


オディールは叫んだが・・・飛び出る声はクエックエッと鳴く白鳥の鳴き声のみ。


するとそれを耳にしたオデットが高らかに笑った。



「アハハハハッ!惨めねえ・・・なんて無様な姿なのでしょう!オディールッ!自業自得なのよっ!私にあの男を渡さず、図々しくも抱かれたのだからっ!」


そしてさらに激しい憎悪の目でオディールを睨み付けると言った。


「それだけじゃない・・・・またしても懲りもせず貴方はまたあの男に抱かれて来たわねっ!この淫売女めっ!お前みたいな女は・・・呪ってやる。永遠に・・呪い続けてやるわっ!オディール・・お前が憎い・・・憎くて堪らない・・八つ裂きにしてやりたい位に・・・!」


オデットはオディールに剣を向けると憎悪にまみれた顔で叫んだ。


(オ・・オデット・・・・どうしてなの・・?どうして貴女はそこまで私を憎むの・・?)


白鳥の姿のオディールはなすすべもなく涙を流し続けた。すると今迄気を失っていたロットバルトが目を開けた。ロットバルトの眼前には白鳥の姿になったオディールがいた。


「オ・・・オディール・・。わ、私に構わず・・・逃げなさいっ!」


ロットバルトは必死になってオディールに叫ぶと、いきなりオデットはロットバルトに向けて剣を振るった。


ヒュンッ!


風を切る音と共にロットバルトの右足の太ももから鮮血が飛ぶ。


「グアアアッ!!」


オデットがロットバルトの足を切りつけたのだ。


<お父様っ!!>


オディールは叫んだ。


オデットは血の付着した剣を振り払うと、まるで汚らしいものを見るような眼つきでロットバルトを睨み付けながら言う。


「大体・・・お前が・・お前が黒髪だから・・私もその血を引いてしまったのよ!同じ双子なのに・・何故オディールは金髪で私は黒髪なの?!答えなさいっ!」


そしてさらに剣を振るった。


「ウワアアアアーッ!」


今度は左足を切られたロットバルトが悲鳴を上げる


<やめて!オデットッ!お父様が・・死んでしまうわっ!!>


オディールは大きく羽を羽ばたかせ、オデット目掛けて飛び掛かった。


「お前にこの私が叶うとでも思ったのっ?!」


途端にオディールの前に強い風が巻き起こり、風が刃となってオディールの身体をあちこち切り裂く。


<あああ・・・い、痛いっ・・・!!>


オディールは床の上に倒れ込んだ。白鳥となった身体からはあちこち切り裂かれた傷のせいで血が流れだしている。

それを見たオデットが言った。


「あ、いけない・・・。あまり痛めつけては駄目だったわね。」


歪んだ笑みを浮かべながらオデットは言った。


「何せ、これからお前の身体と私の身体を交換するのだから・・・。お前は私に、私はお前の姿に変わるのよ・・・。そうすれば私はあの男に愛される・・・。」


うっとりとした目つきでオデットが語る。


痛みに耐えながらオディールは思った。


(私はもうどうなっても構わない・・・・ジークフリート様に愛された思い出があるから・・この命が尽きてもいい・・。だけど・・だけどお父様だけは何としても助けなければ・・・!)


「さあ・・・お前の姿を一度人間の姿に戻そうかしら?」


オデットは口の中で短く呪文を唱え、右手をオディールに掲げると、途端にオディールの身体は元の姿へと戻った。


「あ・・・。」


突然人間の姿へと戻ったオディールは膝をついた。身体中の至る所が傷つき、血を流している。その様子を見たオデットが言った。


「あ〜あ・・・ちょっと痛めつけすぎちゃったかしらね?でも大丈夫。ここにはどんな怪我もたちどころに直してしまう魔女の秘薬があるからね・・。」


オデットは懐から瓶に入った薬瓶を取り出すと頬擦りした。


「オ・・オディール・・に、逃げなさい・・・。」


血まみれになって床の上で荒い息を吐きながらロットバルトは言った。


「お父様っ!オデット!お願いッ!お父様を離してあげてっ!」


「煩いっ!オディールッ!私に指図をするなっ!」


オデットは憎々し気にオディールを睨み付けると叫んだ。


「そう・・・どうしても私のお願いを聞いてくれないと言うのなら・・。」


オディールはドレスの下に隠し持っていた短剣を取り出すと、オデットに向けた。


「へえ・・・・オディール・・・そんな短剣でこの魔女である私を何とか出来るとでも思っていたの?笑わせてくれるわね・・・。」


「いいえ・・・違うわ・・・。こうするのよ・・。」


オディールは自分の喉元にピタリと短剣を突き付けた。


「ま・・・ま、まさか・・・オディール・・・?」


オデットは身体を震わせながらオディールを凝視した。


「オデット・・・貴女は私達の身体を交換するつもりなのでしょう・・?もし今私がこの短剣で自分の喉を切り裂いたら?私は死んで、貴女はこの身体を奪う事が出来ない・・・。だけど、もし私のいうとおりにするのなら・・・剣を降ろして大人しくこの身体を引き渡すわ。貴女だってこの身体が死んでしまったら困るでしょう?」


「く・・・っ!」


オデットは悔しそうに唇を噛むとオディールを睨み付けた。


「オディール・・・・言いなさい・・・何が・・・望みなの・・?」


「お父様のロープを切って解放して・・そしてすぐに治療をして頂戴っ!このままでは・・・お父様は死んでしまうわっ!!」


オディールは涙混じりに訴えた。


「フ・・フフ・・分かったわよ。そこまで言うなら・・・助けてあげるわ。元々お前への見せしめの為の余興にしか過ぎなかったのだから。」


怖ろしいほどに冷たい声で言い放つオデットはもはや完全に悪魔の様であった。


オデットはロットバルトのロープを剣で切ると、あっという間にロープは解けた。そしてチラリと一瞥すると、先程の秘薬をロットバルトに降りかける。するとたちどころにロットバルトの傷は塞がった。


「オ・・オデット・・・。どうか元の・・以前のお前に戻っておくれ・・・。子供の頃のお前は気立ての優しい女の子だったでは無いか・・・。」


傷の治ったロットバルトはオデットに語りかけた。


「煩いっ!私から離れろっ!」


するとたちどころにオデットの周囲に風の渦が巻き起こり、ロットバルトはそれに巻き込まれ空中に投げ出されて身体を床に打ち付けてしまった。


「グハッ!!」


「お父様っ!」


オディールは悲鳴交じりの声を上げた。


「さあ・・・オディール・・。私は約束を守ったわ。貴女も約束を守りなさい。その短剣を捨てるのよ。」


「わ・・・分かったわ・・・。」


オディールはついに観念して短剣を床に投げ捨てた。


カラーン


辺りに乾いた音が響き渡る。


「さあ・・それでは早速2人の魂を入れ替える術を使うわ。こちらへ来なさい・・・オディール。」


真っ黒なドレスに身を包んだオデットはまるで悪魔か魔女の様に恐ろしかった。

オディールは覚悟を決めてフラフラとオデットの前に進み出て、眼前で止まった。


「フフフ・・・今こそお前のその美しい身体を奪ってやるわ・・。目を閉じなさい。オディール。」


オディールは命じられるまま目を閉じた。そして心の中でジークフリートに別れを告げた。


(さようなら・・・ジークフリート様・・・・。)



オデットはオディールの左胸に手を置くと、目を閉じて何やら呪文を唱え始めた。

途端に2人の身体から魂が抜け出て来る。


その瞬間、オディールの意識は闇に落ちた—。





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