第3幕 『ラプンツェル』の魔女の場合 8 <完>
馬車が立ち去って行く様子をゴーテルは黙って見つめていたが、やがて思い返すと小屋へ戻り、瓶に入った液体を握りしめて厩舎から馬を引っ張って来ると飛び乗った。目指すはラプンツェルのいる塔へ―。
森を掛けぬけると目の前には塔が建っている。そして周辺にはもう既に地面だけでなく塔の壁面を覆いつくすかのようにイラクサがびっしり生えている。
ゴーテルは深呼吸するとラプンツェルを呼んだ。
「ラプンツェルッ!私よっ!ゴーテルよっ!」
すると・・・。
「お母様っ?!」
塔から顔をのぞかせたのはゴーテルの愛しい娘、ラプンツェル。
「ああ・・・良かった。ゴーテル・・・。」
「どうなさったの?お母様。こんなに朝早くから・・・。」
「いい事、落ち着いてよく聞いて頂戴っ!さっき貴女に狼藉を働いた王子が私の治療を求めてやって来たの。だけど薬がまだ出来ていかなったので、お帰り頂こうとしたら、あの王子・・・貴女の元へ行こうとしてたのよっ!」
「え・ええっ!そ、そんな・・・お母様っ!怖いっ!助けて・・・・っ!」
ラプンツェルは泣きながら訴えた。
「安心なさい、ラプンツェル。いい?絶対にもう何があっても自分の髪を垂らしては駄目よ?そして今からこのイラクサに、植物の成長を促す薬品を掛けるから塔の窓をしっかりしめておくのよっ!」
そしてゴーテルは薬品をイラクサに蒔いた。すると、たちまちイラクサは急成長し、ぐんぐんと伸びて、塔を全て埋め尽くしてしまい、塔は跡形もなく消えさってしまった。
(このイラクサを枯らすには私の血が混じった薬品を振りまかない限り、絶対に燃やす事も切る事もかなわない・・・あの王子だって手出しは出来ないわ。)
ゴーテルはイラクサで覆われた塔を見ながら言った。
「ラプンツェル・・・。待っていてね。あの王子が国へ帰ったのを見届けたら・・・助けに来るから。」
そしてゴーテルは馬にまたがり、塔を後にした―。
9時―
時間ピッタリに王子は馬車と共にやってきた。小屋の前に既に長い列が出来ていた。
王子は馬車から降りると列の一番前に並ぼうとした所、人々に避難された。
「おい!ちゃんと列に並べっ!」
「そうよ、私達は1時間も前からここにいるのよ?」
「そうだそうだっ!横入りするなっ!」
人々の非難を浴びた王子は憎々し気に言った。
「な、何だ、お前らは・・・平民のくせに・・・この私を誰だと思っているのだっ?王子だぞっ?!」
しかし人々の騒ぎは収まらない。
「王子がどうしたって言うんだっ!」
「そうだっ!そんな事は俺達には関係無いんだっ!」
口々に騒ぐ人々を前に王子は悔しそうに唇を噛み締めると、ゴーテルの家の小屋をドンドンと叩いた。
「おい!薬師っ!出て来いっ!」
「・・・何ですか?騒がしい・・・。」
そこへ仮面をつけたゴーテルがガチャリとドアを開けた。
「おい!薬師っ!お前が9時に来いと言うから来てみれば・・ここに並んでいる連中は8時から来ていると言ってるぞっ?!王子である私にお前は嘘をついたのかっ?!」
「・・・何を仰っているのですか?王子。私は9時に来るようにとは申しておりません。9時に薬が出来ると申しあげたのです。」
ゴーテルは静かに言う。
「な・・何だって・・・?!」
王子は怒気を含んだ声でゴーテルを睨み付けた。
「う・・・嘘をつくなっ!」
「いいえ・・・嘘など申しておりません。」
そして王子と一緒に馬車から降りて来た付き人達をじっと見ると尋ねた。
「・・・どうですか?昨日私は何と申し上げましたか?9時に来るように話していたでしょうか?」
「い、いえ・・・。」
1人の付き人の男性が口籠ると王子が言った。
「お前達!自分が聞いた事を正直に話せっ!」
王子はジロリと付き人達を睨み付けた。
「わ、私は・・・・く・薬師様は・・・9時に来るように話したていたと・・・思います・・・。」
口籠りながら言うと、次々に誰もが9時に来るように話していたと言い始めた。
「ほら見ろっ!薬師っ!彼等は全員9時に来るよう言われたと話しているぞ?!分かればほら、さっさと薬を渡せっ!」
王子の態度をじっと見つめていたゴーテルは溜息をついた。
「私の話が間違いだと仰るのでしたら、あなた方に薬をお渡しする事は出来ません。」
「な、何だって・・・?!ゴホッ!ゴホッ!」
王子は声を荒げた途端、急に咳き込んだ。
「ああ・・・どうやらやはり感染している様ですね・・・。」
ゴーテルは感情のこもらない声で言う。
「ゴホッ!お・・・王子っ!」
1人の付き人男性も咳き込んだ。
「ひいいっ!」
それを近くで見ていた人々は悲鳴を上げた。ゴーテルは人々に叫んだ。
「みなさんっ!ここにいる彼等は『黒死病』に感染しています。すぐに離れてくださいっ!」
すると人々は悲鳴を上げ、王子達から逃げるように離れていく。
「わ、私達は・・・ゴホッ!まだ助かる・・・よな・・?ゴホッ!」
「・・・私が薬を渡せば、治りますが・・・正直者にしか効果は無い薬ですよ?今から私が尋ねる事を正直に全て話すのです。」
ゴーテルはこの目の前の王子だけはどうにも許す事が出来ず、口から出まかせを言った。
「は、話しますっ!俺には家族がいるんですっ!だ、だから・・ゴホッ!」
1人の付き人はゴーテルの前に震えながら土下座した。しかし、もともと付き人達には薬を分けてあげようと思っていたゴーテルは言った。
「あなた方には薬をあげましょう。ただし・・・そこの王子だけは話を聞いてからです。」
「な・・何だってっ?!ふざけるなッ!」
王子の喚く姿を無視するとゴーテルは跪いている付き人に言った。
「さあ、これを飲みなさい。」
ゴーテルは何処からともなく丸薬を取り出すと、その付き人に渡した。
「お・・お前っ!その薬をよこせっ!」
王子が付き人につかみかかるが、兵士は言った。
「いや!これは俺の薬だっ!」
2人が揉み合っている内にゴーテルは素早く丸薬を残りの付き人達全員に配り、彼等は王子に見つかる前に丸薬を飲み込んだ。結局、王子ともみ合っていた付き人も王子に奪われる事なく薬を飲むことが出来た。
「お・・・おまえ・・・ら・・。」
王子は力なく膝をつき、倒れ込んだ。ハアハアと荒い息を吐き、咳も酷くなってきた。
「た・・頼む・・・私にも薬を・・。」
「では尋ねます。王子・・貴女はラプンツェルと言う女性を・・泣いて助けを求める彼女の純潔を無理やり奪いましたね?」
「し・・・知らん・・・そんな・・女は・・。た、頼む・・・薬を・・。」
(ここまで来て王子はまだ白を切るつもりなのね・・・。もう救いようが無いわ・・。)
ゴーテルは溜息をつき、王子の訴えを無視すると列に並んでいた村人たちを呼び寄せ、彼らに薬を振舞った。
付き人達はすっかり具合がよくなり、遠巻きに王子の様子を眺めている。その彼等にゴーテルは言った。
「貴方達、王子が接触した人たちを全員ここに連れてきて頂戴。薬を渡すから。」
「はい。」
付き人達は馬車に乗り込むと、町へ向かって駆けて行った。
「お・・・おい・・・お、俺には薬を・・よこさない・・のか・・?」
「なら、正直に話すのよ。」
すると対に王子は観念してラプンツェルを無理やり手籠めにした事を白状し始めた。その酷い手口にゴーテルは胸がつぶれる思いだった。
「・・・もう二度とラプンツェルに手を出さないと誓うなら、薬を渡すわ、」
「あ、ああ・・・。分かった。もう手は出さないから・・・く、薬をくれ・・・。」
ゴーテルは溜息をつくと、王子に薬を渡した。
「く、薬っ!」
王子は受け取ると急いで飲みこむ。するとすぐに身体が楽になるのを感じた。
「おお・・・流石だな。やはりお前の薬はよく効きようだ。」
「そうですか。それでは早々に立去って下さい。」
すると王子は不敵な笑みを浮かべると、厩舎へ向かって駆けだした。
「王子っ?!何をするのですかっ?!」
王子はゴーテルの馬を厩舎から引っ張って来ると言った。
「決まっているだろう?!ラプンツェルに会いに行くのだっ!」
言うと、馬の手綱を握り、あっという間に森の向こうへ消えて行く。
それを見ながらゴーテルは呟いた。
「何処までも愚かな男・・・。」
そしてゴーテルは今迄作り置きした丸薬を麻袋一杯に詰めて、戸口にぶら下げた。
麻布にはこう記した。
<この袋の中に『黒死病』の治療薬が入っています。ご自由にお持ちください。>
そしてゴーテルは徒歩でラプンツェルの元へ向かった。
ラプンツェルの塔に着くとゴーテルは言った。
「やはり・・・ここへ来ていたのね・・・。」
そこにはゴーテルの馬だけが残されていた。ゴーテルは巨大に伸びきったイラクサを見つめる。そこにはおびただしい血が飛び散り、黒い煙を出している松明が転がっていた。
「おろかな王子ね・・・。私が二度もみすみすラプンツェルに手を出させるとでも思っていたの?」
ゴーテルは溜息をつきながら言った。王子はこのイラクサを無理やり焼き払おうとして、逆に意思を持ったイラクサに殺害されてしまったのだ。
ゴーテルは溜息をつくと、ナイフを取り出し、自分の指先を切り付け、イラクサに血を垂らした。
すると見る見るうちにイラクサはボロボロと枯れて崩れ落ちてゆく。
ゴーテルは土を掘り、一粒の種を植えるとそこから太いツタがスルスルと伸び、あっという間にラプンツェルのいる窓にまで到達した。ゴーテルはそれをよじ登って窓を開けるとそこにはベッドの上でぐっすり眠っているラプンツェルの姿があった。
「ラプンツェル、起きて。」
ゴーテルは愛しい娘を揺り起こすと、ラプンツェルはぱちりと目を開けた。
「あ・・・お母様・・?」
ラプンツェルは目をゴシゴシこすりながらゴーテルを見た。
「ラプンツェル、もうあの王子は二度と貴女の前に現れないわ。それに『黒死病』の薬も誰もが自由に持って行けるようにしたの。だから、ラプンツェル。一緒に家に帰りましょう?」
そしてゴーテルはラプンツェルに薬を手渡しながらニッコリ微笑んだ。
結局王子の付き人達は戻って来る事は無かった。皆責任を負いたくは無かったのだろう。
こうしてラプンツェルとゴーテルは再び一緒に暮らし始め、『黒死病』も終息したその後にラプンツェルは気立ての良い若者と夫婦になり、ゴーテルと一緒に幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし
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