第1幕 『灰被り姫』の姉の場合 8

1


 舞踏会当日―


この日もアナスタシアは朝から領民達と畑仕事に精を出していた。鍬を振るってジャガイモを掘り出していた時の事。


「痛いっ!」


1人の村娘が声を上げた。


「まあ、どうしたの?マリ。」


アナスタシアが声を掛けた。


「あ、あの・・・。ちょっとあかぎれが・・ヒビ切れてしまって・・・。」


マリと呼ばれた娘が真っ赤になっている両手を包み込んでいた。


「見せて頂戴。」


アナスタシアはマリの手を取ると、じっと見つめた。うら若い娘の両手は労働の為、爪の中には土が溜まり、手の平も甲もあかぎれが出来ており、特に親指は深いヒビ切れでパックリと割れている。


「酷い傷・・・これはかなり痛いでしょうに・・・。」


今迄よく、こんな酷い傷を我慢してこれたものだと思うと、アナスタシアの胸は熱いものが込み上げて来た。そして、昨日青年から貰った軟膏の事を思い出した。


「マリ。今日の作業はもういいわ。綺麗に手を洗ってきたら、私の所へ戻って来て頂戴。」


「はい・・・。アナスタシア様。」


マリは鍬を荷車に乗せると、手を洗いに泉へ向かった。アナスタシアはその姿を見届け、再び作業を再開した。



「アナスタシア様。戻りました。」


マリが背後から声を掛けて来た。


「あ、マリ。戻って来たのね、はいそれじゃこれを使って見て。」


アナスタシアはポケットから瓶に入った軟膏を取り出した。


「あの・・アナスタシア様、これは?」


「昨日、ここにいらした方が、この薬を置いて行って下さったの。軟膏ですって。これを使ってみて。その後は・・・そうね。作業部屋に置いておいて貰えるかしら?誰でも自由にこの薬を塗れるようにしましょう?」


「え・・・でもその方はアナスタシア様の為にプレゼントして下さったのではないですか?」


マリは驚いた様にアナスタシアを見つめた。そんなマリにアナスタシアは笑みを浮かべながら言う。


「いいのよ、だって私は畑仕事しかやらないけれど、貴女達は家に帰っても仕事があるでしょう?私の手荒れなんか、貴女達に比べると全然たいしたこと無いのだから。


「アナスタシア様・・・本当にありがとうございます。皆で大切に使わせて頂きますね。」


マリはアナスタシアの手を握りしめると言った―。




その日の夕方・・・。


ハンスと一緒に畑仕事から戻って来ると、丁度屋敷では母とドリゼラ、エマの3人が舞踏会に参加する準備をしている最中だった。

3人供、今回の舞踏会の為に新しく慎重したドレスを着用し、メイド達の手によって美しく変身していく。

そんな様をドアの隙間から見ていると背後からハンスに声を掛けられた。


「本当は・・・羨ましいのではありませんか?アナスタシア様。」


「あら、そんな事は無いわ。ただ、3人供美しいから見惚れていただけよ。私とは大違いだなと思って。」


アナスタシアは背の高いハンスを見上げながら言った。


「いいえ、アナスタシア様。貴女ほど美しい女性はいないと俺は思っていますよ。」


ハンスは熱のこもった瞳でアナスタシアを見降ろすと言った。


「何を言ってるの、ハンス。からかわないで頂戴。それじゃ私はお風呂に入って来るから。」


そしてアナスタシアはハンスの前をすり抜けてバスルームへと向かった。



「・・・。」


アナスタシアは裸のまま鏡の前に立ち、自分の姿を眺めていた。手荒れだけでなく、日に焼けた肌・・・しかし、毎日夜明け前から日が落ちるまで畑仕事という肉体労働をしているので、余分な肉は一切なく、スラリと引き締まった美しい体型をしている。勿論出る所は出ているし、引っ込むべき部分はちゃんとそのようになっている。

茶色の濡れた長い髪は素肌にへばりつき、鏡に映るアナスタシアは妖艶なイメージを醸し出した美女であった。

暫く無言でアナスタシアは鏡に映る自分の姿を見ていたが、やがてため息をつくと湯の張られたバスタブの中へその身を沈め、天井を見上げた。

アナスタシアは目をつぶり、ドリゼラとエマの事を考えた。

ドリゼラももう16歳。本来なら決まった男性が見つかり、婚約を交わしていてもおかしくは無い。


「ドリゼラ・・・貴女に素敵な殿方が見つかれば・・・完全に私は運命から逃れられるのに・・・。」


未だにアナスタシアは時々夢でうなされる。つま先を切り落とした時のあの激痛を・・・そして目玉を飛んできた鳩によって繰りぬかれた時の死にかける程の痛みは未だに夢の中で断続的に襲ってくる。だから、アナスタシアは自分を戒め、前世の悪行を償う為に身を粉にして働いているのだ。


「どうか、今日の舞踏会でドリゼラに恋人が出来ますように・・・・。」


アナスタシアは窓から見える月に願った―。



2


「それでは行ってきますね。アナスタシア。そうだわ、何かアナスタシアにお土産を持ってきてあげるわよ。何が良いかしら?」


母トレメインが言った。


「お土産ですか?それならクッキーや焼き菓子のような持ち帰れそうなスイーツがあれば・・・それが欲しいです。」


そのお菓子があれば、明日畑仕事の合間に皆に配ってあげる事が出来ると思ったからだ。


「あら・・?そんなのでいいの?」


するとドリゼラが意地悪そうな笑みを浮かべた。


「本当に相変わらずアナスタシアは色気よりも食い気なのね?そんなんじゃ例え舞踏会に行っても誰にもダンスのお相手にすら誘って貰えないわよ?あ・・でもどのみちダンスは無理よね~畑仕事ばかりでダンスだって習っていないのだから。」


「お姉さま・・・言い過ぎですよ?」


エラが窘めるように言う。そんなエラはこの童話の世界のヒロインだけあって、目を見張るような美しさを放っている。きっと男性達は誰もがエラと踊りたがるだろう。




「エラ、ドリゼラ、お母様、皆とても綺麗よ。それでは楽しんで来てくださいね?」


アナスタシアは屋敷の外まで見送った。

3人の女性達は立派な馬車に乗り込むと、月夜の道を馬車は走り出した—。


馬車の姿が見えなくなったところで、アナスタシアは屋敷に入ろうとした時、突然眩しい光がアナスタシアの目の前に降りて来た。

やがてその光は人の形を形成し、中からアナスタシアの運命を教えてくれた金の髪の美しい青年が現れた。


「あ!貴方様は・・・っ!」


『久しぶりだね。アナスタシア。元気そうで何よりだよ。』


「神様・・・っ!」


『神様?ああ・・・私の事をそう呼んでいるのか?』


神はニコリと微笑むとアナスタシアを見つめた。


『それにしても、アナスタシア。お前は見違えるように美しくなったな・・・。恐らく内面の心の美しさが外見に影響を及ぼしてきたのだろうな?』


「そ、そんな・・・美しいだなんて・・っ!わ、私よりもこの童話の世界のヒロインであるエラの方が私なんかよりもずっと・・・!」


すると、突然神はアナスタシアの顔を両手で包み、上を向かせると突然口付けをしてきた。

それはほんの一瞬であったが・・・。


「な・な・な・何をされるのですかっ?!」


アナスタシアは生れてはじめてのキスに顔を真っ赤にして神に言った。すると神は優しい笑みを浮かべると言った。


『今私はお前に祝福を与えたのだ。』


「祝福・・・・?」


『ああ、そうだ。アナスタシア。今迄お前はよくやって来たから褒美を与えたのだ。きっと明日になれば分かるだろう。それではな、アナスタシア。機会があればまた会おう。』


そして光は徐々に弱まり・・辺りは完全な闇夜へと戻った。


「い、い、今のは一体何だったのかしら・・・?」


アナスタシアは未だに心臓の激しい動悸が収まらない。

そして自分の唇にそっと触れ・・・顔を真っ赤にするのだった—。










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