第1幕 『灰被り姫』の姉の場合 7

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 翌日―


アナスタシアが朝早くからハンスと農民たちと一緒に畑を桑で耕していると、昨日会った青年が馬にまたがって現れた。

そして馬を降りるとアナスタシアの前までやって来た。今日の青年は昨日の身なりとは違い、まるで農夫のような恰好をしている。


「おはよう、アナスタシア。今日は僕も農業体験をしたくて来てしまったのだが、大丈夫だろうか?」


青年は笑顔で言う。


「は、はい・・・それは構いませんが・・・。でも貴方は高貴な血筋の方のように見受けられますが・・・本当に宜しいのでしょうか?」


アナスタシアが青年の顔を見上げて言うと、笑みを浮かべた。


「それを言うのであれば、貴女も同じだ。伯爵令嬢でありながら、こんな朝早くから畑仕事をされている。」


「あ、あの・・・私は好きでやっているだけですので・・・。」


すると隣に立っていたハンスが声を掛けて来た。


「アナスタシア様。この方は俺が鍬の使い方を教えますので、どうぞクレソンの方を摘みに行かれて下さい。」


「そう?ありがとうハンス。それでは申し訳ございませんが、私はこれで失礼致します。」


「え?アナスタシア?」


青年の顔に戸惑いの表情が浮かんだ。


(どうしたのかしら?ひょとするとハンスではなく私に教えて貰いたかったのかしら?)


アナスタシアが足を止め、青年の方を振り向くとハンスが言った。


「アナスタシア様。今日は町にクレソンを出荷しに行かれるのですよね?急がれた方がよろしいですよ?」


「え、ええ。そうね。では失礼致します。」


アナスタシアはスカートの裾を摘まんで青年に挨拶をすると足早にその場を後にした。



青年はアナスタシアが去るとハンスを見た。


「君・・・どういうつもりだ?」


「それはこちらの台詞ですよ。何故貴方はアナスタシア様に近付かれるのですか?」


「それは・・・。」


青年が言い淀むとハンスは言った。


「お嬢様は・・・・婿を取って、このジェイムス家の当主になられるお方なのです。安易な気持ちで近付かれないで頂きたい。貴方はそれに・・畑の耕し方を学びに来られたのですよね?」


「・・・。」


青年は黙ると、アナスタシアの去って行った方角を見つめるのであった—。



 太陽が真上に登る頃、アナスタシアは一緒に働いた若い3人の村娘たちと木の下で昼食を取っていた。


「アナスタシア様。クレソンがあんなに簡単に収穫できるなんて驚きましたわ。」


「本当。私もそう思います。自生する野草があれば本当に楽ですよね?」


「ところでアナスタシア様。明日はお城の舞踏会ですが、また今回も行かれないのですか?」


1人の村娘がアナスタシアに尋ねた。


それまで黙って村娘たちの話を聞いていたアナスタシアは口を開いた。


「ええ。行かないわ。だいたい夜会用のドレスを持っていないもの。ここへやって来てから3年になるけど・・私は今着ているような服しか持っていないの。」


「アナスタシア様・・・。奥様やドリゼラ様、エラ様はいつもきらびやかな世界に生きていらっしゃるのに・・・アナスタシア様は他の貴族令嬢方達のようにお茶会にすら参加された事が無いではありませんか?」


するとアナスタシアは言った。


「私は・・・貴族令嬢達のように殿方についてのお話や、レディーのたしなみについての話より貴女方と働いたり、こうやってお話をする方がずっと楽しいわ。」


アナスタシアが笑顔で答えると、彼女達は瞳を潤ませながらアナスタシアを見た。


「ああ、やはりアナスタシア様は天使のようなお方ですわ。」


「本当に。アナスタシア様のお陰でこの領地は他の領地に負けない位裕福になりました。」


「どうぞ、どなたか婿をおとりになって、是非爵位を継いで下さいませっ!」



その時だ。


「アナスタシア。」


背後でアナスタシアは名前を呼ばれ、振り向くとそこには先程の青年が立っていた。


「貴方は・・・。」


すると青年は口を開いた。


「アナスタシア、少し2人で話せないだろうか?・・・君達、悪いが席を外して貰えるかな?」



「「「は、はいっ!」」」


青年の顔に見惚れていた娘たちは慌てて返事をすると、荷物をまとめてその場を去って行った。


「あの・・・お話と言うのは・・・?」


アナスタシアが声を掛けると青年は隣に腰をおろし、腰に下げていた布袋からボトルを取り出した。


「アナスタシア。これを君に渡したいと思って。」


そのビンには白いクリームが入っている。


「あの・・・これは?」


「あかぎれによく効くと言われている軟膏だよ。アナスタシアの手荒れを見て持って来たんだ。」


「あ、ありがとうございます!」


アナスタシアは真っ赤になって礼を述べた。


「今はまだ6月だと言うのに・・・そんなにひどいあかぎれをしているなんて、真冬になると一体どうなってしまうんだい?」


「あ、あの実はまだあまり真冬に栽培できる野菜が数が少ないので、あまり手荒れはありません。でも冬の間も収穫できる野菜を今ハンスと研究中なんです。」


「ハンス・・・あの青年ですか?彼はアナスタシアの恋人ですか?」


その言葉に驚いてアナスタシアは顔を上げた。


「恋人?まさか!彼は私の大切な友人ですよ?」


「・・・そうですか。でも少なくとも彼の方は・・・アナスタシアは身分の差に関係なく誰とでも平等に接する方なのですね?」


優し気な顔で青年は語る。


「そうですね。この地位は私が努力して手に入れたわけではありませんから。」


(最も・・・ここまで私が変われたのは・・あの神様のお陰だけど)


「ところでアナスタシア。明日の夜はお城で舞踏会が開催されますが・・・参加されるのですか?」


青年は真剣な顔でアナスタシアを見つめる。


「え、えっと・・・参加・・するかもしれません。」


アナスタシアは咄嗟に嘘をついてしまった。何故ならここで「行かない」とはっきり告げれば目の前の青年にしつこく理由を聞かれてしまうような気がしたからである。


「そうですか・・・。」


「あ、あの貴方は・・参加されるのですか?」


すると青年はにっこりと笑うと言った。


「さあ、どうなのでしょう?参加するかもしれません。」


そして青年は立ち上がった。


「アナスタシア、今日はありがとう。また・・来てもいいですか?そうだな・・例えば一月に一度とか・・・。」


「はい、私は別に構いませんが?」


すると青年はほっとした表情を見せた。


「ああ、良かった・・・。断られたらどうしようかと思いましたよ。アナスタシア、今夜その軟膏を塗ってみてください。もし効果があるようでしたらお持ちしますね?」


そして青年は木の下にくくり付けていた馬の紐を解くと、ヒラリとまたがった。


「ありがとう、アナスタシア。貴女のお陰で有意義な時間を過ごす事が出来ました。」


「いえ、大した事はしておりません。それではお気をつけてお帰り下さい。」


青年はアナスタシアの言葉に笑みを浮かべると馬にまたがり、去って行った―。




その夜―


食事の後、ドリゼラとエラが明日の夜開催される舞踏会について楽し気に話をしていた。


アナスタシアは1人離れたテーブルで領地で栽培されたハーブティーを飲んでいるとエラが声を掛けて来た。


「お姉さま、本当に明日の舞踏会・・・また参加されないのですか?」


「ええ。行かないわ。」


するとドリゼラが言った。


「馬鹿ね。エラ。アナスタシアが行けるはず無いでしょう?だって1着もドレスを持っていないのだから。本当に・・・まるで平民に成り下がったわね。」


「ドリゼラッ!またお前はアナスタシアの事を・・・!」


母が窘める。


「アナスタシアは自分には1着もドレスどころか、アクセサリーだって買った事はないのよ?それらは全て・・・貴女達2人の為にお金を使っているのだから。今後一切私の前でアナスタシアを貶めるような言い方をするのは・・・許しませんよっ?!」


「わ・・分かったわよ・・・。」


ドリゼラはむくれながらも返事をした。


その様子を見ながらアナスタシアは思った。


(本当にお母様は変わられたわ・・・。今だ残念なのはドリゼラだけど・・・でも、ジェイムズが健在で、使用人達は屋敷にいる。ドリゼラと母はエラに意地悪をしていないから・・・きっと運命は変わっていくわよね・・・?)


そしてテーブルの上に置かれたビンに入った軟膏をじっと見つめながら思った。

あの青年は一体何者なのだろう・・・と―。






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