ついに現れました!
「美味しかったです~」
熱々のローストチキンと、よく冷えた二缶目の酎ハイとパンで晩ご飯を終えた萌子は、後片付けのあと、総司が用意してくれた寝転がれる椅子に転がり、すっかり日の落ちた山の空を見ていた。
「そうか。
それはよかった。
お前も意外に手際良かったぞ。
……野菜を洗うの」
と褒めるべきところは褒めてくれる上司が言ってくる。
他に褒めるところはなかったようだ……と思いはしたが。
ちょっと酔って気分もよかったので、
「はいっ」
と萌子は陽気に返事をした。
そのまま、ふたつ並んだ椅子で酒を呑みながら、ふたりで空を見ていたが。
「あ、ハンモックも乗ってみていいですか」
と萌子は後ろを振り返る。
「いいぞ、乗れ」
「わー、なんか遊園地みたいで、楽しいです。
いろいろ座ったり乗ったりするものがあって」
そう言って、機嫌よくハンモックに乗ろうとした萌子だったが、上手く乗れずに引っ繰り返る。
「……姉のところの子が上手く乗れなくて転がっていたが。
大人も転がるんだな」
と呆れたように言いながら、総司は萌子をひょいとお姫様抱っこして、ハンモックに乗せてくれた。
あの、今……
なにしました? 課長、と萌子は思っていたが。
総司にとっては、甥っ子だか姪っ子だかを抱えたのと変わらない感覚だったらしく。
萌子にはもう見向きもせずに、酒を手に向かいに並ぶテントなどを眺めているようだった。
……今、ちょっぴりときめいてしまった気持ちを返してください、
と萌子が思ったとき、月に薄くかかっていた雲がゆっくりと晴れていった。
「あ……」
と萌子は声を上げる。
「うっすらっ!
すっごいっ!
でっかいっモノが、あそこにっ!」
「……どうした。
幼児のような言葉遣いになっているぞ」
大丈夫か? と総司に言われながらも、萌子は総司の遥か上を指差した。
雲の晴れた冴え冴えとした月に照らし出された白く巨大なもの。
山より大きなデッカイ人のようなものがぼんやり見えた。
「大きすぎて、俺も最初、なにが憑いてるのか、よくわからなかったんだよな」
と総司も自らの真上を見上げて言っている。
確かに。
あまり総司に近寄られると、なんか上の方が少し白く曇ってるな~、くらいにしか見えない。
「これはもしや……」
ダイダラボッチ……と呟きながら、萌子は、そのうっすらとしか見えない霧のような白い人影を見上げた。
ダイダラボッチ、デイダラボッチなど様々な呼び方がある、巨人のあやかしのようだった。
「何処かの山で拾ってきたみたいなんだが。
こいつが憑いてるせいで、週に一度は山に行かないと、苦しくなるんだ。
山が好きなのか、都会の空気が嫌いなのかよくわからないが」
そう総司は言う。
憑く前から山に行っていたのなら、そもそも課長は山好きなのか。
そこはダイダラボッチのせいではないのだろうか、と思いながら、萌子は山に来て満足しているのか、静かに
「表情が窺いにくいですね~」
「そうなんだ。
山が好きなことはわかるんだが。
あとはなにを望んでいるのかよくわからん」
と総司は言う。
「一体なにをしてやったら、満足して成仏してくれるのか」
と真上を見上げて呟く総司に、
「いや、あやかしで仏様じゃないんで。
成仏はしないんじゃないですかね……?」
と萌子は言った。
「まあ、そんなに不自由はないんだが。
俺の上だけ雨が降らなかったりするんだよ。
たまに不気味がられるんで」
と言いながらも、然程気にしているようにはなかった。
仕事で外にいるときなどは困ったりもするのだろうが……。
しかし、これは確かに、ショッピングモールの中では見えないな。
さすがは山や湖を作ると言われる妖怪。
建物の端と端に足がある感じになるだろう、と思いながら、萌子はずっと夜空を見上げていた。
なので、気づくのが遅れた。
いつの間にか、総司がダイダラボッチではなく、萌子の膝の上を見つめていたことに。
萌子の膝に知らない間になにかがのっていて。
無意識のうちに、それを撫でていたようなのだ。
「……ウリ坊」
と総司が呟く。
小さな猪がいつの間にか、萌子の膝の上にいたのだ。
その猪の額には逆さを向いたピンクのハートマークがあった。
猪目神社の神紋に似ている。
「猪だったのか、お前に憑いてたの。
どうりで速すぎて見えないと思った」
と言いながら、総司は萌子の側にしゃがみ、猫にするようにウリ坊をかまいはじめる。
いやあの、ちょっと……
近いんですけど、と萌子は引き気味になっていたが。
総司はあやかしのウリ坊には興味があっても、萌子にはないらしく。
萌子の顔のすぐ側に顔がある状態でも、特に気にするでもなく、ウリ坊とたわむれはじめる。
……あやかしと小さな生き物にはやさしいんですね。
私にもそのくらい、やさしくして欲しいものですが……、
と職場での総司を思い出しながら萌子は思っていた。
「そういえば、兄が何故か自分ではなく、私の方に憑いた的な話をしてました。
もしかして、このウリ坊、あやかしというより、うちの神様の眷属なのではないですかね?」
「そうかもしれないな。
なにかご利益があるかもしれないぞ」
いや、いつから憑いてるのか知らないですけど。
今のところ、なにもないんですが。
恋愛運アップの神社のはずなんですけどね……と思いながら、萌子はウリ坊の額を指差し言った。
「このハート型の猪目ですが。
魔除けになるだけでなく、福も招くんですよ
まあ、島根の猪目洞窟は、夢に見ただけで死に至ると言われる、黄泉へと続く洞穴ですけどね」
と言って、
「死を招いてるじゃないか……」
と言われてしまったが。
「いや~、それにしても、なんで急に見えはじめたんですかね~」
「ダイダラボッチを見ようとしたことで、自分に憑いてるものとも波長が合わせられたんじゃないか?
それか山に来て、力を持ったダイダラボッチに怯えて、ウリ坊がお前の膝に飛び乗ったから見えたのかもしれない」
つまり、普段から見える状態にあったのだが。
単に素早すぎて見えなかったのではないかと言うのだ。
そうかもしれないですね、と萌子は苦笑いしながら、ウリ坊の背を撫でる。
生きているものではないのに、ふかふかとした毛並みを感じた。
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