もしや、私は穴に落ちて気絶して、夢を見ているのだろうか……?
「なにしてるんだ、
そう訊いてきたのは総司だった。
「え、穴に落ちています」
他に言いようがなかった。
そもそも、これは現実なのか?
今、こんなところに突然、総司が現れ、花宮、と普通に職場で言うみたいに呼びかけてくることがまず、信じられない。
もしや、私は穴に落ちて気絶して、夢を見ているのでは?
と萌子は疑う。
総司が手際よくロープを下ろしてくれたので、ますますその疑惑は深まった。
なんでこの人、ロープを肩に担いで持ち歩いてるんだ。
カウボーイか。
いや、カウボーイがロープ肩に担いでいるかは知らないんだが、と思ったとき、
「なにをしている。
早く登ってこい!」
と職場と同じ厳しい口調で総司が怒鳴ってきた。
この人、妄想の中でも容赦ないな、と思いながら、はいっ、と萌子は急いでロープをつかみ、登ろうとしたが。
ロープをつかむ手は痛いし、足をかけた土はボロボロ崩れてくる。
「しかたないな……」
と溜息をついた総司は近くの木にロープを
「ほらっ、来いっ」
と萌子の手をつかみ、ぐいと抱き寄せる。
「自分で抱きつけ、俺の手は三本もないぞ!」
ええっ?
抱きつけとか言われてもっ、と思ったが、此処でぐずぐずしていたら、ぶっ飛ばされそうな勢いだったので、仕方なく萌子は総司の両肩に手を置いた。
「そんなので上がれるかっ。
もうちょっとしっかりくっつけっ」
と怒鳴られる。
ひーっ、と思いながら、急いで総司にひっついた。
こ、これはクマ……。
ぬいぐるみのクマ、と暗示をかけて、目を閉じる。
だが、これはクマではない。
とてもじゃないが、クマの形ではない、と理性が告げるので。
せめて人間にしてみた。
これは白い面にチェーンソー持っている人、と考え直す。
あの課長に抱きついていると思うよりは、マシだった。
鼻先にある総司の首筋からは少し汗の匂いもするが、なんだかわからないいい香りもしていた。
そんなことを気にしている間に、もう総司は上に上がっていた。
冷たい山の夜風が吹きつけてきて、ホッとする。
萌子は急いで総司から離れ、頭を下げた。
「ありがとうございましたっ。
いや、びっくりしました。
クマかチェーンソー持ったジェイソンが来たかと思いました」
とまだ顔が強張ったまま、萌子はなんとか笑って言ったが、総司は、
「映画の中で、ジェイソンはチェーンソーは持ってない。
チェーンソー持ってるのは、『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスだ」
と冷静に言う。
「そうでしたか。
すみません」
と言った次の瞬間、総司の姿は消えていた。
だが、すぐに穴の中からカンテラを持った総司が現れる。
ほら、と渡してくれた。
カンテラを持ったままつかまったら、総司が熱いかと思い、お気に入りのものだったが、穴の中に置いてきていたのだ。
「あっ、ありがとうご……」
まで言ったときにはもう、総司は手際よくまとめたロープを肩にかけ、歩き出していた。
「……ざいます」
と誰もいない場所で萌子は一応、最後まで言ってみる。
もう総司がいた気配すらない。
今、ほんとうに助けられたのだろうかと思ってしまったが、萌子が落ちた穴はまだそこにあった。
なんで此処に落ちてたんだ、とかいう世間話すらしないんだもんな~。
ジェイソンの蘊蓄だけ、さりげなく垂れていったようだが……。
さすが田中侯爵、と思いながら、萌子は総司が消えた林をいつまでも見つめていた。
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