2 鍔迫り合い

 ギルドの商談スペースは、役所や銀行窓口を彷彿とさせる作りとなっていた。


 ジンのような客が座る椅子とカウンター、それを挟んで向こう側に見える職員用の椅子、そしてそれらを区切るように大きめの衝立がカウンターに取り付けられていた。これなら、座っていれば隣の席から覗かれる心配は少ないだろう。


 シアンはその中で、最もギルドの出入り口から遠い場所を選んでジンを座らせた。

 その後すぐ、ジンが頼んだ飲み物が他のギルド職員の手でカウンターに置かれる。


(これがドージって飲み物か。見た目はまんま麦茶なんだけど、味はどうなんだろう?)


 EWOの知識は他の追随を許さないジンでも、この世界にのみ存在する飲料の名前は知る由もない。とりあえず飲みたい飲料のイメージとして麦茶を伝え、それっぽいものを持ってきてもらったのだ。


 コップに入ったそれは透き通った茶色をしており、漂ってくる匂いもどことなく焙煎された麦の香ばしさを感じさせる。自分の拙いイメージでよくここまで合致するものを持ってきたなとジンは感心し、それに手を伸ばした。


「さて、まずはそのドージを飲む前に少し確認したいことがあります」


 シアンの発言にジンは動きを止め、彼女を見た。


「さっきの魔物素材の件か?」

「それも関係はしますが、まずは」


 まずは、の“ま”の部分から急にシアンが動いた。


 そして後を追うようにジンも動く。


 何かが乗り越える音と、割れる音が冒険者ギルド中に響いた。


 一瞬だったがかなり大きな物音が聞こえてきたことで、酒盛りをしていた冒険者たちも静まり返り商談スペースの方向を見た。


 特に音に近い者は、武器に手をかけている。


 武器を持った彼らは、ハクタの華ともいえるシアンが——普段はオープンな買取カウンターから動くことがほぼないと言われている彼女が、商談スペースなどという半プライベート空間に向かっていくのを目にしていたからだ。


 そんな中で何かを割るような音が聞こえれば、自然と何かあったと考えるべき……と冒険者の勘の部分が彼らを動かした。


 だがそんな彼らは、ジンとシアン2人の姿を見たまま動けずにいた。


「……どういうつもりかは、聞いていいんだよな?」

「……勿論です」


 視線の先で、シアンとジンの2人が2人ともに短剣を当てて、固まる野次馬の様子を気に留めることもなく言葉を交わしていた。


 しかもそれは、カウンターの外側で起こっていた。


 仮に冒険者側が狼藉を働こうとすれば、自然と冒険者側がカウンターの内側に、事を起こすはずだ。


 となれば今この状況は、先に刃を向けたのはシアンということになる。


 ひと目見ただけでわかる、異常な状況。

 冒険者と受付嬢がトラブルになることはあれど、それを受付嬢側から起こすことはベテラン冒険者でも聞いたことがなかったからだ。


「私のスキルには、ジン様のレベルが写っております。およそ1ヶ月で変化する量ではないものでしたから、私のスキルをも騙せる道具をお持ちの可能性も考慮し、不意を突く形での武力行使としました」


「ならなんで、直前に声をかけた? あれがなければ警戒されなかったと思うぞ?」


「私が何もしなければ、ジン様はドージ入りのカップを手に持っていたはずです。例え普通のカップであっても縁の固い部分で急所を突くなどすれば凶器になり得ますから、そこを配慮したまでです。……まあこの状況を考えると愚策というよりは無駄だったかもしれませんが」


 シアンは表情こそ変えなかったが、短くため息をついた。


 シアンは無警戒だったジンに対して攻撃を仕掛けた。ジンのレベルを完全に信用できなかったのもそうだし、仮にスキルに写るレベル以上であってもあの状況でなら勝ち目があるからだ。


 お互い臨戦態勢から始まる試合や組手であれば、シアンの対ジンへの勝率は5割を切るだろう。同じ職業ジョブであれば、レベル差によるステータスの差がそのまま力の差になるという、シアンからすれば当たり前の内容だ。


 ゆえに手に武器のない一瞬であれば勝ち目はあると踏んでいたのだが……結果として短剣を突き立てたタイミングは同じ、つまり引き分けまで持っていかれてしまったのだ。


「普通に声をかけなければまだ大丈夫だったと思うんだけどなあ……というかシアンは高レベルの盗賊シーフだったんだな」


 ジンの言葉に、シアンは目だけで首肯した。


 ジンは先ほどまでのシアンの流れるような動き、そしてその速さから彼女が高レベルの盗賊シーフであるとすぐに理解できた。


 ジンが反応できたのは、奇襲対策として“気配探知”が反応したらすぐに動けるようタルバンにいる頃から訓練していた成果が現れたにすぎない。


 それに条件付きとはいえ下級職最速の盗賊シーフレベル25と互角に持っていけたということは、シアンとジンとのレベル差がほとんどないことの根拠でもある。


「だけどこの、首に刃物があるって状況で普通に話せるのはすごいな」


「恐縮です。これでも修羅場はいくつも潜っておりますので……ジン様も、そこまで動揺しているようには見えませんが」


「冷静に対処できたことに、俺自身驚いてるよ」


 ジンは短剣を動かすことなく肩をすくめた。


 ジンは自身の首に当たる感触から、シアンの短剣が真剣ではなく固いゴムのようなものでできた模造品だと判断できた。


 が、一方でジンがシアンに当てているものは“シーフダガー”、紛れもない真剣だ。おそらく少し動いただけでも傷が入り、血が出るだろう。


 そのような状況でも、シアンは最初に話しかけてきた時と変わらず感情の見えない表情をしていた。そこをジンは誉めたのだ。


「とはいえ、もう短剣を解いても構わないよな?」


「はい、もう攻撃の意志はありません。ジン様もそれは分かりますよね?」


 シアンはゴムの短剣から手を離し、両手を上げた。


 どの世界でも降参の合図は同じなんだな、と少し感心しつつも、自分の持つ“気配探知”に目の前のシアンは反応していない。


 つまりはそういうことだ、とシアンは言いたいのだろう。


 それでもさっきは突然攻撃してきたじゃないか、という言葉は飲み込みジンは短剣を鞘にしまった。


「さて、ジン様が私の実力以上であることが分かりましたので早速本題に入らせていただきます。ドージの替えはすぐに持って来させますよ。……さて、皆様も席に戻ってください。ここから先は私とこの方との商談ですよ」


 野次馬に見られていることに配慮したのか、シアンは冒険者たちを席に座らせた。


 大体の人間が首を傾げたりしていたが、シアンとジンが武器をしまっていることや雰囲気的に険悪ではない事を察したか、現場に近い人間から徐々に座っていき少しずつ賑わいを取り戻していった。


 とはいえ先ほどと比べると盛り上がり方は微妙で、ジンを含めて微妙な雰囲気になってしまったギルドを特に気にする様子もなく、シアンはカウンターの内側に戻っていった。ジンにはそれが、一仕事終えたと言わんばかりに胸を張っているようにも見えた。


「いや、マジでこのまま続けるのか?」


「はい。当たり前ですが、本題は何も話せていないんですから。内容もジン様に非常にメリットのある内容だと思っていますので、ぜひ最後までお付き合いください……とはいえ、まるで興味のない話にお付き合いいただくのも申し訳ありませんから、先に概要だけお伝えします」


 するとシアンは、カウンターの下から数枚の書類を取り出した。どれもこれも会社で回ってくるような内容だったが……差出人は全て『冒険者ギルド本部』のようだ。


「簡単に申しますと、冒険者ギルド全体で一般枠向けの現場講習を予定しておりまして、ジン様にはそのモデルケースとして、ある職員の引率をお願いしたいのです」

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