43 今後の話 —後編—

 

 ジンの言葉に、ロベールの緊張が戻る。


「答えられることであれば、答えよう」


 次の発言で、今後の展開が大きく変わる。

 それがお互いにわかっているからこそ、まずはジンが慎重に言葉を選ぶ。


「……この手紙が本物だとして、どこで手に入れましたか?」


 ジンが気になった点は手紙の真偽はもちろんのこと、その入手経路だ。


 昨日の様子から、ソルが襲撃されてからはロベールは自由な行動ができていなかったこと、そして先程の発言からプリーマが出ていってからソル襲撃までの期間が短いということが推測される。


 ロベールの娘が嫁いだ公爵がどれだけ遠くにいるかは不明であるが、仮にも自分よりも立場が上な人間のホームグラウンドから決定的な証拠を持ってくる、という危険な行動が短期間で実行可能だとは考えづらい。


 ——最悪の場合、話が全て真っ赤な嘘で、伯爵と公爵がグルということもあり得る。


 そう思っての質問だったが、ロベールの答えは意外なものだった。


「プリーマの元執務室からだよ。モルモに出払った時にそこが空き部屋になったからね、掃除をしていた時に使用人が見つけたのだ」


「ではどうしてプリーマはそんな裏切りの証拠となるものを手元に残していたと思いますか?」


「貴族の間では、手紙は複製式のものを使うのが普通なんだよ。約定を違えたりしないようにね」


「複製式?」


「……そういえば、貴族とかと話をしたことは少ないんだったね。このように」


 と、ロベールが懐から出したまっさらな紙に羽ペンで適当な線を描く。


 そして数秒後にその紙をめくると、全く同じ線がめくった下側の紙に映り込んでいるのがわかった。インクの滲みすらも完璧に再現されている。


 ものすごく精度の良いカーボンコピー紙という具合で、これだけ見れば元の世界の技術すら超えているかもしれないとジンは感じた。


 無論EWO時代にこんなハイテクな道具を見たことはなかったが、似ているものなら知っている。


「それはもしかして、“コピーペーパー”ですか?」


 “コピーペーパー”はそれ自体に特別な効果はない合成アイテムで、フレーバーテキスト(それ自体に意味はない説明書きのようなもの)として“書いた文字を完璧にコピーできる不思議な紙”とあった。


 それが現実世界にあるのなら、今見せられたような効果になるだろうとの考えての発言だ。


 ちなみに単体ではなんの効果もない“コピーペーパー”だが、“白紙のスクロール”という魔導書の素材になったりする。


 その効果は“自分が一度でも使ったことのある魔導書と同じ効果を得る”という汎用性の塊のようなアイテムだ。そのため……いやその使い勝手以上にEWOでのプレイヤー間での取引では高価であった。


 というのも、“白紙のスクロール”はその出来によって再現できる魔導書の強さが決まってしまい、最高の出来を求めようとすると最低でも錬金術師アルケミスト魔法使いメイジ系列の職業ジョブレベルを80まで上げる必要があったからだ。


 レベルは割とどうとでもなるが、これら2つの職業ジョブにシナジーがほぼ無く、またEx職になる組み合わせでもない。

 それこそ何キャラも育てた上での金策用キャラとしてくらいしか活用する方法が見出せないのだ。


 それ以外にも初心者お断り・育成度外視のアイテム生産が多すぎたため、後のアップデートで複数のキャラクターでも各々のレベルを持ち寄ればアイテムを作れる“協力生産”というシステムが作られた。


 ——ちょうど“白紙のスクロール”用のキャラ育成をしていたジンにとっては、苦い思い出だが。



 閑話休題。



 “白紙のスクロール”を見るのはこの世界ではありえないとしても、“コピーペーパー”をドロップする最弱の魔物はレベル16。一応レアドロップのため高価だろうが、貴族なら金に物を言わせて買い占めるということもあり得るだろうとの考えだった。


「ほう、これの名前を知っているのか。この紙は“コピーペーパー”の機能を再現したものでね、ドロップによらないものだから比較的安定した値で仕入れることができるんだよ」


 期待していた回答とは少しずれた答えにジンが首を傾げるが、すぐに考えはまとまった。


「それも魔道具というやつですか?」


「魔力はほとんど使われていないが、一応はそうなるね。……とそんなことを熱心に話したいわけじゃないいだろう? どうだい、ワシの言葉は信じてくれるかな?」


「……信じましょう」


 数秒悩んだジンは、真剣な面持ちでそう答えた。


 ロベールに笑みが浮かぶが、その様子を見つつもジンはまだ終わってないとばかりにすぐに片手を小さく挙げた。


「私からはこれで最後です。これから伯爵は、その公爵を相手取るための準備を、進めるということになりますか?」


「……まあ、そうなるな。家族の命を狙われて黙っていられる親はいまい。勝算は少なかろうが一矢報いてみせる」


 ジンの際どい質問に、ロベールは自身の右手を強く握って答えた。

 その姿を見て、ジンが言葉を続ける。


「こう言っては上から目線になるかもしれませんが、素晴らしいお覚悟です。……ですが作戦途中で、その公爵とで勝負することもありうると思いますが、大丈夫なのですか?」


 言外に、伯爵家の兵士たちでは実力が足りないのではないか、と伝えられたロベールは眉をひそめるが、ロベール以外のここにいる4人に親衛隊がやられてしまった事実を思い出したのだろう、大きくため息をついた。


 これにはジンも、少し意地の悪すぎる質問をしてしまったと後悔して言葉を選び直した。


「言い方がよくありませんでした。私はただ、相手の強さが知りたいだけです」


「……それは、強さ次第ではワシに協力してくれるということかね?」


「そういうことです。まああまりにも強ければ、私にもそれなりの準備が必要ですから即座に頷くことはできないでしょうが」


「協力しない、勝てないと言わないのはワシにとって幸運と見るべきだろうな。……近衛騎士の長が“上位騎士エルダー・ナイト”レベル29、というのが。言えるのはこれだけだ」


「……わかりました」


 ロベールは先ほどジンが行ったように言外に真意を含ませて伝え、そして今回は聞き手のジンはそれを正しく受け取った。


 その上でロベールはジンに考える時間を与えてくれるようで、表情こそ緊張したままだがゆっくりと紅茶を啜り始めた。


 心遣いに感謝しつつ、ジンは腕を組んで思考に沈むことにした。


(表向きの最高戦力がルインのレベル33より下……伯爵もどんな蛇が出てくるかわかっていないわけか。じゃあ最悪を意識して動くべきだな)


 最悪中の最悪はEWOの魔王が出てくることだろうが、そこまでの可能性は考慮するだけ無駄だ。

 どれだけ強くなっても生身で敵うビジョンがいまだに浮かばないのだから当然とも言える。


 であれば最悪は魔王の側近である四天王クラスが公爵を操っている、もしくはその公爵本人が四天王クラスの強さであること。


 EWOにおける四天王は、後半戦の出だしと最終決戦の前哨戦として2度戦う敵であり、全員がレベル60以上の最上級職だった。

 もしこの世界で同等のステータスを持つとすれば、1対1で敵う者は誰も居ないだろう。


(じゃあそれを倒すにはどうしたらいいかって話だけどなあ……)


 四天王に対抗するにはレベル、装備、消費アイテム、仲間……その他必要なものが何一つ足りていないというのが現状だ。


 無論公爵との戦いを避けることも考慮して良いが、ジンは逃げ切れると思っていない。

 これは公爵側の立場に立って考えれば自ずと導かれる答えだからだ。


 今回の件で公爵側は“風の祝福の杖”を奪えないばかりか、ルインというタルバンの実質的な支配者を失ったことになる。

 ルインがどれくらい重要な地位だったか知る術はないが、ダンジョンのある町を任されるということはそれなり以上に能力を買われていたのだろう。少なくとも末端の構成員、ということはないはずだ。


 さて、そのような人間が殺されたと知れば、公爵側が何かしらの動きをするというのは道理だ。


 公爵だけの話ではなく転生前でもそうだったが、人間は自分の立場が高ければ高いほど、自身を脅かす存在が多くなることを知っており、それを知っているからこそ無視できないものだ。


 一般人は誰も連れずに歩いたり満員電車に揺られることは往々にしてあるが、一国の長になればどこへ行くにも護衛としてSPを連れるし、誰が紛れるかわからない電車なんて乗らず貸切にするなり防弾仕様の自動車で移動するなりして身を守る。


 そして脅威への対応策の1つが直接的な排除、それが人であれば殺害ということになる。


 ではその中で、今できることは——


(勝負の時、だな)


「1つ、提案なのですが」


 その一言で手にしたカップを置いたロベールに、ジンは続きとしてこう告げた。


「対公爵の依頼を受ける対価として、ソル殿とテレンス殿を私に同行させていただけないでしょうか」

 

 今できることは、仲間の勧誘だ。


「ふむ……それはつまり、ソルをジン君のパーティーに入れるということかな?」


「そうなります」


 ロベールは顎に指を当てて悩むそぶりを見せた後、ちらっと隣に座るソルを見てからジンに向き直る。


 その目は肝の弱い人間なら射殺せそうなほど鋭かった。


「ジン君、君には失望したよ。君はこの話の本質をわかっていないのではないか? 私は、ソルを殺そうとした相手に制裁を下すべく動くつもりだ。それなのになぜソルを相手の元に出向かせねばならない? 確かに君は、私の親衛隊が束になっても敵わないほどに強い。だがそれだけで、君の近くが絶対に安全とは言わないだろう?」


「…………」


 実際のところ、ここまではソルとテレンスを引き入れるための策でジンの想定通りに事が進んでいる。

 なのでこれは予想された回答、予測できた怒りであった。


 しかしそれでもジンの口は急激に渇き、喉は無意識に唾を飲み込む。

 頭でわかっていて尚これだ。

 流石は貴族。人間としての厚みが元は冴えない工場作業員のジンとは比べるまでもない。


「……でしたら、伯爵にとっての安全のラインはどこでしょうか」


「ルインと同じ、いやそれ以上のレベル40だ。先に言っておくがこれを譲る気はない。冒険者で言えば金剛鉱アダマンタイト勇者ブレイブパーティーメンバーに匹敵する強さだ。君も強いとはいえ、職業ジョブ変化は……何故そこで安堵する?」


 ジンは会話の途中ながら、大きく息を吐いた。

 その理由はロベールが言った通り、安堵からくるものだ。


「レベル40。確かに言質は取りましたよ、伯爵」


 四天王のレベル60を想定しているジンにそんな目標を提示されたのだから安堵するのも当然と言える。


 むしろそれくらいならすぐにでもやってやると獰猛に笑うジンを見て、ロベールの顔に困惑の色が見える。そしてハッとジンの表情を見やる。


「まさか今までの行動は私の言質を引き出すための演技だと言うのか?」


「まさか。話を誘導したのは事実ですが、それ以外は全部本物です。先程の伯爵の怒りで私の寿命は確実に縮みましたよ」


 胸を撫で下ろすジェスチャーをしつつもジンは言葉を続ける。


「正直なところ私は、ソル殿以上の魔法使いメイジと出会える自信がありません。テレンス殿も同様です。彼以上の騎士ナイトを探す方が難しいでしょう。是非とも仲間になってもらいたいのです。本当なら私の長い旅に付き合っていただきたいのですが……公爵の脅威が残る以上は伯爵の心理的に無理でしょう」


 無論、『図鑑』を含めたジンの色々な事情を知ってしまっている彼らをこのまま野放しにしておくことは危険だというのもあるが、それ以上に2人の素質をジンは相当に評価していた。


 神がかり的な魔法のコントロール能力を持つソルと、彼女を守護するのに躊躇いのないテレンス。


 それらは能力値に寄らない能力と言えるからだ。


 EWOプレイヤーのジンであっても、ソルのように相手の魔法に合わせて魔法を放つなんて芸当はできなかったし、生身の肉体がある今だからこそ、攻撃の回避はできても進んで相手の攻撃を受け止める度胸はない。


 そしてEWOを知るジンだからこそ、HPや攻撃力などの能力値に限界値があることを知っている。もちろん種族と職業ジョブの掛け合わせで幅はあるものの、同一の種族・同一の職業ジョブ構成なら、レベル99での能力値も同じになる。


 しかしながら、それでも対人戦PVP成績1位のキャラやクランがいれば、常に低迷しているような者たちもいた。


 その差はキャラメイクだけでどうにかなるものでは決してない。運はもちろん、駆け引きであったり、スキルを使うタイミングであったりといった、キャラの性能に寄らないゲームの腕プレイヤースキル。それがキャラのレベルが近い戦いほどはっきりと現れる。


 四天王、そして魔王を想定した際、今はその土俵にすら入っていないが、いずれ対抗するのなら今のうちから優れた者を引き入れて育て上げていきたいというのがジンの偽らざる本音だ。


「…………」


 現実に戻ると、ジンにハメられた上で娘と部下を褒められ、ロベールはなんとも言えない表情を作り出していた。


 伯爵でもそのような顔をするのだな、と思いつつもジンは手を叩いて続ける。


「ですから私は、まず対公爵を目標としてソル殿にも行動していただき、その上でレベルアップを図りたいと思います。この屋敷が安全でないと実証されてしまったからこそ、ソル殿にも力をつけていただきたく」


「私からもお願いしますわ」


 ジンはまだ言葉を続けるつもりだったが、ここでソルから思わぬ助け舟が入る。


「お父様が私を大切に思っていただいているのは骨身に染みて理解しております。ですがそれではいつまで経っても私はお父様に心労をかけるばかり……今回もそうです。私がルインを返り討ちにできるほど強ければ、お父様や屋敷の者たちが苦しむ必要はなかったのですから」


 ロベールは眉間にできたシワを丹念にもみほぐし、絞り出すように全員に告げた。


「……君たちの考えはわかった、その上で聞こう。ジン君、そもそもレベル40になることは可能なのか? できるなら期間は?」


 ロベールの疑問はもっともだ。


 レベル40というのは金剛鉱アダマンタイト冒険者のリーダークラスである。彼らは皆才能があり、その上で数年、あるいは数十年も戦い続けてようやくその境地に至っている。


 それを20歳にも満たない若者が目指そうというのだ。ここが酒場であれば、血気盛んな新人が壮大な夢を語っているように見えたかもしれない。

 事実ロベールも、言葉の内容と、ブロンズという等級だけを考えればそう判断しただろう。


 にも関わらずロベールができるかどうか問いただしたのは、ジンの態度に根拠に裏打ちされた自信、あるいは確信を感じたからだ。


「伯爵に引き続きダンジョン使用の許可をいただけるとして、レベルだけなら数ヶ月あれば可能かと。あとはそうですね、私の運次第です」


 そう言ってジンは、左腰の図鑑を撫でた。

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