42 今後の話 —前編—


 、ジンとアンドレは再び伯爵邸を訪れていた。昨日の侵攻戦とは異なり、正門から堂々と入っていく。


(まあ、昨日帰されるのは当然だよな……)


 報酬の話の後、今後の話をしようとしたところで伯爵が倒れてしまったのだ。


 失神するように床に倒れ伏した時は、その場の全員が慌てふためき、下級回復薬を使うという単純な解決方法にすぐにたどり着かなかった。


 加えてその直後、ジンたちが遭遇しなかった兵士たちが執務室に乗り込んできてあらぬ疑いをかけられたり……などなどトラブルが重なりひとまずあの場はお開きとなったのだ。


 今のジンとアンドレは、正門からの兵士に連れられて屋敷を目指している。

 昨日は見る余裕のなかった庭の景観を見ていると、庭師であろう男と目が合う。


 男はにこやかな表情でジンたちに会釈をした。


 ジンもそれに笑顔で返しつつも、不思議な気持ちになった。


(俺が伯爵邸に攻め入って、兵士たちを大勢負傷させたことは知っているはず……だよな? もしそうなら恨みを向けてくる人もいるかと思ったんだけどな。伯爵の人徳が成せる業、ってやつか)


 そういえば今案内をしてもらっている門番の兵士からも、ジンとアンドレへの警戒感は感じても恨みなどの悪感情は感じられない。


 昨日のうちに屋敷で働く者全員に通達でもしない限りは無理だろう。その上で、全員がその通達を守れるとすれば……相当にロベール伯爵への信頼が厚いということだ。


 いずれはこういう、部下たちに信頼されたい大人になりたいなと漠然と考えているうちに、屋敷のかなり近いところに来た。扉の前で不動の姿勢をとっていた若い執事風の男性がお辞儀をしている。


 代わりに門からここまで先導してきた兵士が傍に控える形で行く手から逸れ、直立の姿勢をとった。


「ジン様ですね、ご案内いたします」


 どうやら屋敷の外と中とで案内役も違うらしい。勿論この執事の男性からも悪感情は感じられなかった。


 案内役を分けることに何の意味があるかは知らないが、こういう細かいところも作法としてあるのだろうな、と執事風の男に頭を下げながらもジンは考えるのであった。



「昨日は色々とすまなかったな」

「こちらこそ、伯爵の体調についてもっと気を配るべきでした」

「いやいや、ワシもあそこまで自分が衰弱していたとは思わなんだ。そっちのソファに掛けてくれ」


 2人の会話は謝罪から始まったが、謝り合戦になることはなく和やかな雰囲気で会話を始められそうだとジンは内心ホッとする。


 昨日も訪れた書斎にはロベールの他に、ソルとテレンスがいた。ソルは最初からソファに座り、テレンスはその後ろに腕を後ろで組んで控えている。


 ジンは示されたソファ、ソルの斜め向かいの場所に腰掛けると、すぐにソルの手によって紅茶が出された。


 ダンジョンに潜ったり町の外で会うことが多かったため、ソルには外見以外で生まれの良さを感じることがあまりなかったジンだが、その所作からしっかりとした作法を身につけていることがわかった。


「昨日の今日だ、あまり良い茶は出せなくてすまないが、是非飲んでくれ」


「私も好きなお茶ですから、お口に合うと嬉しいですわ」


「わざわざありがとうございます……とてもいい香りです」


 紅茶を褒める所作など知る由もないジンは適当なことを言いつつ(本当に良い香りではあったが)、一口含む。


(これは——)


 湯気を通してでも充分だったそれが、口を通って鼻に抜けるとさらに濃くなった。

 そして香りだけではわからないすっきりとした甘味、さらには僅かな苦味も感じつつジンは満ち足りた息を吐く。


(——うまい、な。本物の紅茶ってこうもうまいもんか)


 転生前、紅茶を飲むにしてもペットボトル100円の安いものしかほとんど飲んだことのないジンはこんな感想を抱くのが限界だった。感じている美味しさに語彙が全く追いついていない。


 それでも紅茶の美味しさでジンの緊張が適度にほぐれたのを感じたか、ロベールは話の切り出しとして2本の指を立てた。


「ワシは今後、2つの理由で問題が起こると思っている。1つ目は、ワシや親衛隊たちがルインによって操られていたということ。短期間だったため領地運営自体にそこまで支障は出なかったが、政治的に見れば失態だ。根も葉もある以上、他の貴族から攻撃を受ければ簡単に弾き返すことはできない」


 貴族の争いなんて、根無草でかつ庶民である自分は知ったことではないと考えていたジンだが、ふと昨日、ロベールから言われた内容を思い出した。


 これから貴人たちと関わることが増える、というのはまさか——


「そういうことだ、ジン君。君たちの実力がどれだけの人に知られているかわからないが、他の領主が君に指名依頼という形でこの争いに協力させる可能性がある。特に内情を知っているからな、情報提供だけでもブロンズはおろかアイアンの相場以上の金は出してくるだろう。ワシとしては是非とも断ってもらいたいが、冒険者である君に強制することはできない」


 強制することはできない、としつつもロベールの表情は固い。それを通したいがための報酬1億クルスだったかもな……とジンは考えたが、そもそも結論は決まっている。


「私はロベール伯爵の立場を危うくさせる気はありませんから、心配は無用です。ですが……結果として協力することになってしまった、ということはあり得ますね」


「その言葉で充分。一介の冒険者に、政治絡みの云々まで読み切って行動しろというのも無理な話だからな」


 そう言いながら、ロベールが額に浮かんだ汗を拭いた。

 表情や口調には全く出ていなかったが、この短いやり取りが相当重要なものだったのがジンにもわかってしまった。


 それがどういうことなのか確かめるべく、ジンはロベールに断りを入れてからアンドレと2人で小声で話し合う。


「なあアンドレ、もしかして俺は伯爵に恐れられてる?」


『畏怖である、の。ルインという脅威を打ち倒した者もまた、伯爵にとって脅威であることに変わりはないから、の』


「そんなつもりはなかったんだが……」


『力を無闇に振るわないのはジンの美徳故、そのままで良いと我は思うのだがな。それこそ、次以降気をつければ良い』


 ほら戻った戻った、と言わんばかりにアンドレはジンを手で追い払う。

 これでは本当にどっちがリーダーかわかったもんじゃないな、とジンは考えながらも席についた。


「すみません、話を遮ってしまって」


「構わないよ。……では話を戻して今回の問題2つ目だ。これはワシしか知らぬことだが……ソルを魔人に売った裏切り者がわかっている」


「領主様、それは本当ですか!?」


 ここまで沈黙を守ってきたテレンスが、勢いよく口を開いた。


(そういえば、ソルはテレンスがいない一瞬の隙を突かれて襲撃を受けたんだったな)


 ハクタでまだ無職ノービスだった頃、ソルとテレンスに聞かされた内容はなかなかに衝撃的だった。

 まさか自分の部屋で、しかも身内で、自分を殺そうとするものが現れるとは誰も思わないだろう。


 それを思い出すと、ジンにもテレンスが息巻くのが理解できる。自分の最も大切な人間が、ともすれば自分がその場にいなかったために傷つけられたのだから。

 そしてその者に、報いを受けさせることができるかもしれないから。


「落ち着けテレンス。……ジン君、アンドレ君は聞いているかもしれないが、ワシにはソル以外にも血の繋がった娘がいる。気立がよくてな、その子は公爵の跡取りに嫁いだのだ」


 話の流れから、おいおい……と今度はジンが変な汗をかきはじめていた。

 公爵といえば最も位の高い貴族であり、王の血縁の場合もある。元ゲーマーの日本人としてそれくらいの知識はジンも持っている。


 それ以上続くなよ、というジンの想いはあっさりと裏切られた。


「ソルを売ったのは、その公爵家からの人間だったのだ。しかも長くワシに仕えていた、な」


「そんな……」

「まさか、あの人が……」


 ソルの顔が青ざめていき、テレンスの表情も驚愕に染まった。


 使用人、しかも爵位が上の家から来たということはソルやテレンスが知っている人物だと考えるのが自然だ。

 しかもこの反応だと、全くのノーマークであったらしい。


「奴……プリーマは間違いなく優秀であった」


「プリーマ? どこかで聞いたことがある気が……」


「奴はソルが襲われる少し前にモルモに代官として派遣されたはずだ。思えばそれも公爵家の指示だったわけだが、もしかしたらそれで——」


「アイツか!」


 ジンの脳裏に浮かぶのは、樽のような体型で小馬鹿にしたような言葉を吐き出す男。

 怪しさ満点のただの小物だと思っていたが……バックに居るのはとんだ大物だったというわけだ。


(そうなると、作りかけの拠点を捨て去るという選択にも頷ける。公爵家という後ろ盾があるから、あんな片田舎の屋敷なんてどうでもよかったんだろう。それに、倉庫での戦闘を考えると恐らく職業ジョブも……)


「プリーマを知っているなら話は早い。とにかく奴の指示で何名かの使用人が動き、あの魔人を引き入れたのは間違いない。証拠も上がっていることだしな」


 ロベールはそう言うと、ジャケットの内ポケットから数枚の紙を取り出してジンに見せた。


「……我が家に多分な貢献もしてくれた。それ故にワシの目が曇ってしまったのだな。まさか大胆にも公爵と直接やりとりをしているとは思わなんだ」


「拝見しても?」


「構わないよ」


 ジンは手紙のうち1枚を手に取り、本文を軽く読むことにした。触ってすぐに分かったが、以前ハクタのギルドから貰った手紙のように上質な紙だった。普通の手紙のやり取りをするのに用いるものではないだろう。


(ふむ……これは確かに、ただの報告書というわけではないな)


 そこには確かにプリーマの署名がある。さすがに公爵の名前まではなかったものの、二人称に“偉大な○○”という表現が何度も見つかった。


 これが公爵を示しているのは雇用関係を考えればおかしくないし、王に次ぐ地位であれば“偉大なる”なんて仰々しい形容詞を使っても不思議はない。


 加えてその内容は、各使用人や兵士の異動、テレンスなどの護衛の行動パターンなどで公爵家からすれば毒にも薬にもならないようなものだ。


 唯一利益があるとすればロベールのスケジュールだが、それでも屋敷を空ける日だけを伝える理由はないはずだ。


 それにそもそも、公爵家からの出向というとはいえプリーマの立場は一介の使用人。一番上の上司である公爵と直接やりとりをするのは違和感がある。


 それ故にジンは、こう結論づけた。


「確かにこれは、限りなく黒ですね」


「そう思うだろう? であれば今後は——」


 ロベールの続く言葉を、ジンは手紙を返すことで遮る。


「ですが、いくつか疑問が残ります。……お伺いしてもよろしいですか?」

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