2 “白鳥の旅立ち亭”の朝

 ジンがハクタの町に辿り着いた翌日。


 ジンは夜明けと共に目覚めた。鳥の鳴き声が心地よいと思ったのはいつ以来だろうか。

 そんなことを思いつつも、ジンは寝ぼけながらも数年続けたルーティン通りにいつもの洗面所へと……


(とと、ここは俺の部屋じゃなくて宿屋だな)


 ベッドから降りて1歩目を踏み出した時に気がついた。今は日本にいるわけではないということを、別の世界に転生したことを改めて実感した。


 ジンは朝やるべきことをぼうっと考える。


(朝食を摂り、冒険者ギルドに依頼を取りに行くことは確定だが……あとは寝癖直しや装備の確認くらいかな……)


 と、ここまで考えて気がついた。


(昨日は考え事と疲労とですぐに寝てしまったが、今の持ち物だと着替えも全くないのか……ここら辺もゲームとは違うところだよな)


 ジンは寝巻きはもちろん下着の替えなども所持しておらず、冒険に出ていた時の服で寝ていた。


 今はギリギリ問題ないが、明日以降は衛生的によろしくないだろう。アイテム収集のために装備の充実はもちろんだが、まずは生活水準を上げることを優先させたほうがいいかもしれない。


(不衛生な冒険者、という評判が広がってしまうのは決していいことではない)


 ジンがこの先もずっと冒険者でいるかどうかは分からない。

 それでも清潔でいることに越したことはないし、何より元日本の一般人として不潔でいることには抵抗が強い。


「よし、今日の稼ぎは服と日用品に使おう。素手でも戦えるし、武器関係は明日以降でも問題はないよな」


 決意を込めて呟き、ジンは部屋を出た。まずは寝癖の確認からだ。




 宿屋の裏手にある井戸で桶に組んだ水を鏡代わりにして寝癖を直し、その後宿屋のロビーで朝食を摂った。


 夕食とは違い質素にパンとサラダだけだったのだが、このサラダ、見たことのある植物は一つもないにも関わらず滅茶苦茶美味しかった。


 金銭に余裕ができたらアイテムのコレクトついでに食材にも手を伸ばしてみようか、ジンがそう考えるほどには衝撃的だった。


 その後すぐ部屋で出発の準備をし、ギルドで依頼を受けるために白鳥の旅立ち亭のカウンターに鍵を預けようとした。外出時に鍵を預けるシステムは日本とあまり変わらない。


 すると、カウンターに立つ男性店主から声をかけられた。冒険者を相手にすることが多いからか、目つきは鋭く、筋肉の塊のような体型をしている。


 その威圧感ある姿は、元凄腕の冒険者と言われても違和感がない。


「もし連泊が希望なら、昼までに追加で1泊分払ってもらいたいが、できるか?」


 店主はギルド経由でジンの宿泊代を受け取っている。そのため、ジン本人がお金を持っていないのではないかとこのような心配をしたのだ。


 また、ジンが大きな荷物を持っていないことも彼が気を回した原因である。……本当はただ何も持っていないだけなのだが。


(そうか、昨日ギルド経由で払った分は1日分だけだったか)


 ジンはジンで、店主の気遣いをありがたいと思いつつも支払いのタイミングには今後気を付けておこうと心に留めておく。


 まだお金はあるから問題はないが、次回は気をつけないとな。お金が足りずに泊まれませんでした、となるのはなんともマヌケな話だからだ。


「問題なく払えるぞ。ちなみになんだが、この場で複数日前払いという形を取ることはできるか?」


「できる。ただし最長で1週間分だ。帰ってこなかった日があったとしても払い戻しには応じられないし、前払い分が無くなったら部屋の荷物も処分させてもらう。問題はないか?」


 宿屋としては、部屋の確保のためにお金を払ってくれていれば問題はない。


 とはいえ倉庫がわりに利用されては敵わないため、正規の料金を請求することで少しでも本来の宿屋としての使われ方を維持したいという背景もある。


「わかった。朝夕食付きで2泊分、追加で払おう」


 そう言い、背負った麻袋から4000クルスを取り出して店主に渡した。……やはり大銅貨を10枚単位で渡すのは体積的な意味で多いんじゃないか、日本から来たジンはそう思う。


 だが大量の大銅貨を受け取った店主は、淡々と数を数える。慣れた手つきであるし、特に苦痛にも感じていなさそうだ。


「確認した。帰ってきたときはカウンターで鍵を受け取れるようにしておく。無事に帰ってこい」


 店主はそれだけ言うと、ジンから預かった鍵と金を持ってカウンター後ろの扉の中へ持って行き、それっきり出てこなかった。


(ぶっきらぼうで決して接客に向いているとは言えないけど、いろいろと気遣いのできる優しい店主さんだったな。料理も旨いし、しばらくはここを拠点にするのもいいかもしれない)


 そう思うと、ジンはギルドに向かった。

 これから向かうのは今のジンにとっての仕事のはずなのだが、足取りは軽かった。

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