第29話 由香里のやりたい事

「由香里がやりたい事?」


「うん。私って……というか、私たちって自分でやりたい事とか余り考えてこなかったよね?」


 そう言いながら由香里が、手を前に突き出しながらグッと伸ばす。


「だから、お爺さんにいきなり自由にして良いよって言われて……施設の心配も殆どなくなった状況で、改めて私は何をやりたいのかを考えてたの」


 窓から差し込む夕日のせいだろうか?


 そう言った由香里の顔が、どうにも寂しそうに見えたのは……いや、多分気のせいではないだろう。


 なんせ由香里はこれまで、俺以上に自分の事を二の次にして弟や妹達……母さんや俺の為にも、身を粉にして頑張ってきていたのだから。


 だからそんな由香里が今、悩んでしまっているのはある意味では当然なのかもしれない。


 実際、俺にしたってまだ何かをできている訳ではないのだから。


「先週末爺さんと相談して、何か答えは出たのか?」


「ううん、ぜーんぜんっ」


 ニカっと笑いながら言う由香里に、思わず笑ってしまう。


「なんだそりゃ」


「あっ、ヒドイ! 人が悩んでるのに、今笑ったでしょ!」


 由香里が頬を膨らませながら俺の方を見てきて……暫く見つめあってる内に、どちらともなく笑い出す。


「まっ、別にそんなに急がなくても良いんじゃないか? 俺だって自分が何をやりたいかなんて全然分かってないんだし」


「海人君は適当だなぁ……まぁ、そこが良いところなんだろうけど」


「ちょっと待て、それって褒めてる? 貶してる?」


「んー、半々かなぁ」


「半々か……」


 思わず肩をすくめながら言うと、今度は由香里が質問してくる。


「海人君は、やっぱり陸上部に入るつもりなの?」


「まぁそうだな、取り敢えず体験入部して合いそうなら入部するつもり」


「そっか……ねぇ、私も陸上部のマネージャーになりたいって言ったらどう思う?」


 そう聞いてきた由香里の瞳は真剣そのもので……それに対して、否と言う理由が俺にはまるで無かった。


「別に良いんじゃないか。俺としては歓迎するよ……まぁ、俺もまだ部員じゃ無いけど」


 少し照れながらそう言うと、由香里が意外そうに目を見開いた。


「止めたりしないんだ?」


 そう聞かれて、俺は思わず首をひねる。


「逆になんで止めると思ったんだ?」


「……だって、やりたい事が人の手助けをする事って、何かそれって変じゃない?」


「そうか? 俺は、人を手助けするのだって立派な目標の1つだと思うけどな」


 俺の純粋に思ったことを伝え……少しだけ付け加える。


「ついでに言うなら、俺としても知り合いが同じ部に入ってくれるなら心強いかな」


 照れ臭くて、そっぽを向きながら言うと……クスッと由香里が笑うのが聞こえた。


「海人君、自分1人じゃ不安なんだ?」


「いや……別に不安とかそういうんじゃないけど」


 少しからかう様な口調の由香里に、思わず頭をかきながら反論する。


「ふふっ、海人君がそう思うんならそうなんじゃないかな? 海人君の中ではっ」


「はぁ……折角真面目に話を聞いてやったのに」


 そう言いながら席を立ち上がると、由香里が「ゴメンゴメン!」って言いながら手を合わせて謝ってくる。


 まぁ、別に本気で怒ってるわけじゃないから別に良いけど……と考えていたところで、由香里がグッと俺の左脇に体を近づけてきた。


「ちょっ、由香里?」


 吐息が頬にかかる距離にまで、急に近づいてきた由香里に戸惑っていると、由香里の顔が近づいてきて……。


「……相談乗ってくれて、ありがと。凄く気持ちが楽になったよ」


 耳元で囁くようにそう言うと、即座に体を離した由香里が止める間も無く教室を出て行った。


 突然の事に思わず一瞬呆けていたが、少し時間が経つと動揺した自分が何となく恥ずかしくて、思わず熱くなった自分の左耳を指でかく。


「……ったく、一体何だったんだアイツは」


 口ではそう悪態を吐きながらも、どうやら由香里の気が少しは晴れたらしい事が分かり、安心した。


 なお寮の自室へ戻った時、俺の顔を見た真司から、変にニヤニヤしていて気味が悪いと言われて、少し喧嘩になったのは別の話。

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