第5話 そうして俺は養子になった

 全速力で息を切らしながら養護施設へ戻ると、正門前に黒塗りの車が1台停まっていた。


 つんのめりそうになりながら、慌てて室内へ駆けこむと、弟や妹たちがリビングを不安げに覗いているのが見える。


「皆、ちょっとごめん」


 そう言いながらリビングへと入ると、母さんと由香里の前にスーツ姿の女性が座っているのが見えて……直後、由香里と目が合うと、感極まった顔で席から立ちあがり、抱き着いて来た。


「海人君、おめでとうっ!」


「へっ?」


 突然の事態に頭が追いつかず母さんの方をを見ると、そちらも少し涙ぐんでた。


「一体何事?」


 そう尋ねると、逆に由香里にキョトンとした顔をされる。


「えっ? 海人君養子になる事が決まったんだよね?」


「あー……まぁ、そうらしいんだけど、何でそんなに喜んでるのかなって」


 例えば弟や妹たちに養子縁組が決まったら、そりゃ良かったなぁ……とは思うが、それは未だ幼い彼らに親が出来た事を喜ぶものであって、俺には当てはまらないと思うんだが……。


 そんな事を伝えると、由香里にため息を吐かれた。


「海人君、ずっと皆の事ばっかりで自分の事を何も出来てなかったじゃない? 近所の工事現場で手伝いしてお金を稼いだり、家事の手伝いをしたり、空いた時間でも皆と遊んであげてたり……」


「いや、それは由香里だって同じじゃんか。皆の面倒を見たり、家事したり、俺の勉強を見てくれたりとか色々してただろ?」


 そう指摘すると頬を赤くして、由香里がそっぽ向いた。


「べ、別に私は好きでしてたから良いの! でも、海人君は運動とかも出来たし、もっと色んなことをしたかったんじゃないの?」


 そう言われて……少し、昔の事を思い出す。


 中学に入ったばかりの頃、体力測定の成績が良かったせいで、体育教師から運動部に入る事を猛烈にすすめられたけれど、断ったあの日の事を……。


 由香里の高校入学が決まって、喜ぶ姿を見て心の底から嬉しくなると同時に、わずかに痛みが走ったあの日のことを……。


 だが、別に俺はその事を不幸だと思ったことは……。


「海人さん。私では不甲斐ふがいなくてできませんでしたが、大人にはもっと甘えても良いんですよ?」


 そう、母さんに言われた。


――甘える? だけど、俺はもう中学3年生で、施設の中では一番年上で……。


 そんな事を考えていると、由香里がジッと俺の眼を見て聞いて来た。


「海人君は、何かやってみたい事はないの?」


 そう言われて俺は、思わず黙り込み……そして、言葉が漏れ出てきた。


「……俺は、高校生になってみたかった」


 一度、自分の中でせき止めていたモノが吐き出されると、濁流だくりゅうの様に気持ちが流れ出ていく。


「部活をやってみたかった、友人と一緒に遊びに行きたかった、もっと色んなものを見てみたかった」


 初めて自分の口から出たやってみたかった事は、とても陳腐ちんぷで……でも、それらは心からの願いだった。


「そう、ですか。……敦盛さん、海人さんの願いを叶えることは出来ますか?」


 そう母さんが、スーツ姿の女性に問いかけると、神妙な顔で頷き返した。


「岩崎財閥の総力をあげて、海人さんの願いを叶えてみせます」


 そう敦盛さんが応えると、母さんが俺の方を向いて聞いて来た。


「敦盛さんはこう言っていますが、海人さんはどうされますか? 先ほど伺いましたが、もしどうしても海人さんが嫌だと言うなら、養子縁組は破棄しても良いとおっしゃられてました」


 そう母さんに言われ、由香里の少し寂しそうな……それでいて温かな笑顔を見て考える。


 俺は――。


「俺は、岩崎さんの養子になります……いや、ならせて下さい」


 誠心誠意、敦盛さんと……ここには居ない爺さんに向けて頭を下げた。


 そうして俺はこの日から、大空 海人から岩崎 海人になったのだった。

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