第5話 蒼い時間に舞う猫たち

 夜と朝のはざ間、夜半から降っていた雨も上がった蒼い時間。


 高級住宅街の一角、『水上』と表札のかかった邸宅の門扉もんぴの前に大型犬用のハーネスリュックを背負った大きな猫の影が止まった。

 巨大化したバーマンの雄猫、アキだった。

 

 アキはおもむろに後ろ足で立ち上がり、前足の爪をシャキーン!と出して胸の前で止めてあるハーネスリュックの金具を外した。

 地面にハーネスリュックを落とすと、見る間にアキの体がちぢみ標準サイズのバーマンになった。


 『人間サイズの猫になること。人の言葉を解し話すこと。』

 それが四稀しきとなれるあかしであった。


 アキはハーネスリュックからスマホを取り出し、

『見つけた』

と器用に肉球でメッセージを打つ。


 ちなみにトロイメライの曲が流れる街を特定したのもスマホでだった。

 トロが移動できたと推定される範囲で夕刻にトロイメライの曲が流れる地区は隣市の一ヶ所のみだったからだ。

 それでも猫が移動するには距離があるため、1にゃんが巨大化して2にゃんを背に乗せ交互に走り、暗いうちに街に入り三方に分かれてトロイメライの曲が聞こえる神社を起点にゆうの家を探していたのだ。


 程なく秋の前にシュッタッとミケの雌猫ハルとベンガルの雄猫ナツがアキの前に現れた。

 ナツとアキは猫用サイズのハーネスリュックを背負っている。

 中にはスマホが入っており、GPS機能で各々の位置も一目瞭然いちもくりょうぜん

 直ぐに来ることができたのだ。 


「アキ、ここ?」

「そうだ、この地区のボス猫からの情報だ。夫婦と息子の家族が住んでいたが、3カ月前に車で出かけて帰って来たのは息子だけだった。息子が返って来る前に別な夫婦と息子が来て住んでいるが元からいた息子は虐待を受けていたようだ、と」

「俺の方も、昨日の夕方散歩中にトロ様がこの家から飛び出してきたのを目撃したと※から証言を得られたよ。後、新しく来た息子の方は猫を見れば石投げてくるんでここいらのやつに嫌われている」

 

 ハルの問いにアキが答え、ナツが補足した。


「トロ様は庭の小屋で暴行を受けていたと言っていたな…ナツ、庭を探ってきてくれ」

「了解」


 ナツは、軽くジャンプして塀を越え、庭に侵入した。



 荒れ果てた庭。

 庭はかつては手入れされたイングリッシュガーデンであったが、今は雑草が伸び放題になっている。

 庭の小屋は直ぐに見つかった。

 小屋は物置のようなものではなく、窓のついた可愛らしいガーデンハウスだった。

 


「窓のある小屋…これか」


 ナツは巨大化して立ち上がり、窓からガーデンハウスの中をのぞく。

 猫の目には中をうかがうのに十分夜は開けていた。


 ガーデンハウスの中、横たわる少年の姿。


「そのまま放置かよ!」


 ナツは窓枠に手をかけ、ガコっと力業ちからわざで窓を外す。

 壁に窓を立てかけると、元のサイズに戻ってガーデンハウスの中に侵入した。

 

 ゆうの状態は酷いものだった。

 体を丸めて弱くうめいている。

 意識はうつろで、呼吸も荒い。

 どれだけ殴られたのか、口元の床には乾いた血の跡がある。

 なのに顔には殴られた痕跡がない。


「服で見えない場所だけ狙って殴ったのかよ…」


 ナツのつぶやきが届いたのか、友が目を開けた。

 だが、焦点はあっていない。


「もう…死んでも…いいかな……」

「いいわきゃねーだろ!お前のために雨の中を走り続けて助けを求めたトロの思いを無駄にするにゃ!」

「にゃ?」


 興奮して語尾が「にゃ」になってしまったナツに反応する友。


「そこ!?疑問に思うとこそこ!?」


 暴行を受け長い時間放置され、友の体はとうに限界を越えていた。

 猫がしゃべったことも「異常」に認識できないほど弱っていた。

 ただ、「トロ」という言葉に反応し、強い口調の語尾が「にゃ」をハッキリと耳でとらえてしまったに過ぎないのだが…。


「ト…ロ…は…」

「保護して休ませている」

「良かった…最近の死神は猫なんだ…ね……」

「んなわきゃねーだろ!つか、おいっ!」


 友は意識を手放した。


「マズいな」


 ナツは一通り応急処置の心得がある。

 そのナツをしてマズいと言わせるほど友の状態は深刻だった。

 巨大化して友を運ぶこともできなくはないが、それでは何の解決にならないことをナツはわかっていた。


 証拠映像があるわけではない。

 邸内のガーデンハウスの中、目撃者がいるわけでもない。

 なんとでも言い逃れができてしまう。


 ひそかに助け出せば今回は助かるだろうが、次の暴行があるだろう。

 助け出しても繰り返されるなら意味がない。

 暴行から完全に助け出すためには、今のひどい状態の友の姿をおおやけにする必要がある。


 ナツはガーデンハウスを出て窓をはめ直し、アキとハルの元に取って返した。



「アキ、ヤバいぞ!」


 戻るなりアキに告げる。


「暴行受けたままガーデンハウスの中に放置されてたわ。ありゃ、一刻も早く医者に見せた方がいい」

「分かった、緊急事案としてじん様には事後承諾を得よう。ナツ、ハル、中に入るぞ」

「おう」

「了解」


 ナツとハルはそのまま水上邸内に入り、遅れて巨大化したアキがハーネスリュックを背につけ後を追った。



 ガーデンハウスの前に先に来ていたハルとナツに合流すると、アキはハーネスリュックを下ろし、元のサイズに姿を戻してハルに向き直った。


「ハル、ここいらの猫に伝えてくれ。木でも紙でも燃える物をくわえてきた来たものには「またたび入りのオヤツ」を報酬として出す。昨夜の雨で濡れていても可、と」

「わかった」


 ハルは巨大化し息を吸い込む。


『ニャー!にゃにゃにゃんにゃにゃにゃん、にぁおなーおにゃにゃにゃにゃん、にゃにゃなぅにゃニャーぉ!!!』


 ハルの『サイレントにゃー』が明け方の街に響き渡る。

 猫にだけ聞こえる『サイレントにゃー』。

 

 ハルは四稀しきの中でも一番広範囲に『サイレントにゃー』を響かすことができる声帯の持ち主だった。


 ハルが『サイレントにゃー』している間に、アキとナツはハーネスリュックから『またたび入りオヤツ』を出して報酬の準備を進めていた。

 『サイレントにゃー』を終えたハルが元のミケ猫サイズに戻ると、程なく猫たちが口に紙や木片など燃える物を咥えて塀を乗り越えてくる。


 蒼い時間を刻む空に猫たちが舞う。


 老若雄雌にゃんにゃんさくら猫も自主散歩中の家猫も、にゃん

よわいも様々。

 次々と押し寄せる猫の波は大きなうねりとなり、ガーデンハウスの側の松の樹の根元に燃える物の山(ゴミの山とも言う)を作っていった。

 燃える物を置いた猫たちは、ハル、ナツ、アキから「またたび入りのオヤツ」をもらうと、満足げに去っていく。


 人海戦術ならぬにゃん海戦術おそるべし!


 あっという間に準備は整った。



※『さくらねこ』

不妊手術をした野良猫・地域猫。片耳がV字にカットされ「桜」のように見えることから『さくらねこ』とよばれている。

『さくらねこ』はお家に迎え家族になることも、保護して里親を探してあげることも可能。

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