第四章 勇者詐欺~女神邂逅~

 翌朝。


 僕が目を覚ますと、プリムが寝ていたはずのテントが無かった。僕の荷物もない。


「プリム!?」


 僕はプリムの姿を探した。


 これはいったいどうしたんだ!? まさかモンスターに襲われたとか!? いや、だったら僕が無事なのはおかしいし、それに荷物だけ消えるなんて……!?


 僕は慌てて辺りを探し回った。すると、


「あれ、起きちゃってるじゃん」


 頭上で声が聞こえた。


 見上げればプリムが空中に浮かんでいる。どうやら【浮遊制動レビテーション】の魔法を使っている様子だった。一緒に僕の荷物まで浮かんでいる。


「【強制睡眠スリープ】の魔法かけといたんだけど、意外と耐性あるんだね。驚きー」


 言いながらプリムが降りてきた。

 眉一つ動かさないその能面ヅラには、昨夜の親身さなど微塵もない。


 しかしスリープってなんだろ。僕が良く眠れるように魔法をかけてくれたって事かな?


 ああ、愚かな考えであることは解ってるんだ。だけど僕は、辛い現実を見るよりも遥かに優しく分の悪いその可能性妄想に賭けたい。


「でも男ってやっぱバカ。その間抜け面見る限り、この状況で何が起きてるかまだ把握してないんだね。脳みそゴブリン以下だよ」

「ぷ、プリム……?」

「呼び捨てにすんな」


 恐る恐る僕が尋ねようとすると、プリムが唾でも吐き捨てるような調子で言った。

 爆弾のようなその言葉は、耳から入ると脳内で炸裂し、僕を裂き殺さんばかりに暴れまわった。

 頭の中が真っ白になる。


「あたし賢者なんだからさー、呼ぶならせめて『さま』をつけて。あと、そんな縋るような目で見ないでくれる? マージキモいから」


 そんな状態だから、プリムが僕に吐きつけてきた言葉がよく解らなかった。もう何も解らない。


 いや、これは解らないんじゃない。解りたくないんだ。だってこれはまさにレオンが言ってた……!


「プリム……僕は、勇者さま、なんだよね……?」


 もう誰が見ても明らかだろう。

 だけども僕は、これが『勇者詐欺』だなんて認めたくなかった。だってプリムは僕が初めて出会えた大事な人だから。

 だから……村でした会話みたいに、やっぱり遠まわしにそう尋ねてしまったんだ。

 すると、


「は? お前みたいなザコが勇者に選ばれるわけないじゃん。ぜんぶ嘘なんだよ。詐欺。さーぎ。お前騙されたの。わかる? かわいそうな独身貴族さん?」


 プリムは最大限僕を見下したような口調でそう罵った。


 僕に対する興味なんて欠片もない、細く閉ざされた目。

 その奥から突き刺さってくるのは、真冬の月のように冷たく乾ききった視線。

 これに比べたら、道端に吐き捨てられたゲロだってまだ暖かい眼差しで見つめられているだろう。そんな視線だった。


 つまり僕の最後の希望は、あっけなく踏みにじられた。

 バキバキと心が砕けていく音が聞こえる。でも目の前は真っ暗になったりはしない。目の前には闇のような悪魔がいる。


「でも楽しかったっしょ? こんな可愛い女の子にチヤホヤされたんだからさー、その分の代金はとーぜん頂戴しなくっちゃね?」


 悪魔が傷ついた僕を猶も嬲ってきた。

 僕は目の前の女が向けてくる笑顔をはっきり睨みつけながら、自分の服に手を当てて所持品を確認する。


 一応何かあった時のために、僕は全財産を宝石や金貨に変えて肌身離さず持っていた。

 だけど今、それはない。

 プリムと2人で装備してたダイヤモンドの指輪も、今は彼女の中指に2つ嵌まっていた。彼女はその指輪を朝日にかざしながら、


「そうそう。あたしもねー、なんだっけ。エルなんとかさんと同意見だな。あんた何でも人のせいにしすぎ。自分が妾の子だからー、とか、妹が天才だからー、とか言い訳ばっかりしてるけど、それ結局なんも関係ないからね? 関係あるのは『あんた』。全部、『あんた』が悪いの。妾の子だからとか関係ない。あんたがクソザコで脳みそゴブリン以下だから人から愛されないの。それをあんたは自覚したくなくて他人のせいにしてるの。わかる?

 あとあんたキモすぎ。四六時中あたしの体ばっか見てきて、マージで我慢してたんだから。どんだけセックスしてえんだよ自分のちんこでクソして死ねこのロリコンヘンタイ男っていっつも思ってたし」


 神聖な愛を語り合ったあの蜜の唇から放たれたとは思えない、とても下品で下劣な言葉で僕を罵ってきた。


「こ……このッ……クソビッチがあああああああああああああああああ!!!!!!」


 そう叫ぶと僕は目の前のピンク髪ロリ巨乳クソビッチに掴みかかろうとした。

 だけど、その場から一歩も踏み出せない。

 プリムの稲妻のような蹴りが、僕の側頭部を襲ったからだ。まるで『破砕戦鬼ブラストオーガ』にこん棒でぶん殴られたような衝撃が僕の体を襲った。


 一瞬首が捩じ切れたかと思ったけど、そうはならなかったらしい。気が付くと、僕は近場の大木の幹に逆さになって叩きつけられていた。

 無様に脳天から地面にずり落ちる。


 すると、何かベチャリとしたものが僕の顔に付着した。それは昨夜僕が処理した精液だった。砂と混じり毒々したマーブル色へと変色した僕の分身たちは、みな一様に腐り始めている。臭いが凄い。これも一種の死臭と呼ぶべきなのだろう。後からそこに鮮血も混じった。前歯が折れたのと鼻血が噴き出たためだ。片目の感覚もおかしい。位置がずれてるような気がする。


「アハハハハハハ! てめーはそうやって一生女に搾取されて生きてりゃいーんだよぉ! 身の程噛みしめろ家畜!!」


 プリムが傍までやってきて、実に楽し気に僕を嘲ってきた。僕の腹を何度も足蹴にする。その都度何度も意識が飛びかけた。激痛のためだ。棘付きのこん棒で叩かれたような痛みが、腹部を中心に全身に響いている。


 見上げたプリムの顔に、一瞬エルザの顔が重なった。


「フン。ついでだからそのクソ忌々しい記憶も失くしといてあげるね。次に気が付いたら自分が誰かもわからず森の中にいるの。万が一生きてたとしても、あたしの事は思い出せない。どう? 優しいでしょ?」


 どこがどう優しいのか全くわからない。

 ふざけやがって! このクソ女ァ!!


「……絶対に……復讐してやる……ッ!!」


 そう呟いた僕の口からゴポリ、鮮血混じりの唾が零れ落ちた。


「絶対に思い出すぞ!!! そしてお前を掴まえて、徹底的に犯してやる!!! 僕の子供を孕ましてやるぞ!!! お前の全てを奪ってやるああああああああああ!!!!!」


「こわーい。レイプ犯とか生かしといちゃダメよね?」


 目の前の悪魔が悲劇のヒロインぶった口調で何かほざいた。


 次の瞬間、這いつくばったまま動けない僕の顔の側面に硬いものがぶち当たる。

 それはクソ女のブーツの爪先。一瞬パァンと意識が弾けて、気が付くと僕の体はさっき居た場所から2メートルぐらい先の岩場にぶつかって、そのまま岩の影に木偶人形みたいに転がった。


 首がおかしな方向に曲がって戻らない。

 痛みはなかった。たぶん痛みが強すぎて、頭がバカになっちゃってるんだと思う。代わりに玉のような汗がブツブツと噴き出てきた。シャツが血だか汗だか解らない液体でベチャベチャになってる。


 続けて何か冷たいものが腹の底から湧き上がってきて、それが全身に行き渡っていく感じがしてきた。


 一瞬氷水でもぶっかけられたのかと思ったけど違う。悪寒だ。凄まじい悪寒が、足元から脳天からまるで冷やした油でもぶっかけられたみたいに広がっていく。


 も、もうすぐ死ぬのかな、これ……!!?!?


 そんな中でも変わらず元気なのは、僕の一物だけだった。生き物はその生存本能ゆえ、命の危険を感じると性欲が増すというけれど、きっとこれがそうなのだろう。まるで火を灯した蝋燭みたいに一物が熱く硬くなっている。


「うっわこいつ何おっ立ててんの!? ガーチでキモいんですけど! まあでも、これでよーやく死ぬかなこの不審者。もし生きてたって、この辺りはモンスターだらけだし。そんなにやりたきゃゴブリンにでもセックスさせてもらえば!? キャハハハハハハハハ!!!」


 悪魔プリムの笑い声が聞こえる。


 絶対に……許さ……ない……ぞ……ッ!


 僕の怒りに呼応するかのように、ギンギンに怒り猛る僕の股間。時を重ねるごとにどんどん鋭敏になっていく一物とは正反対に、僕の意識は薄れていった。



     ◇



 気付くと辺りは夕方になっていた。


 結論から言って、僕は死なずに済んだ。というのも岩場の陰に薬草が生えていたからだ。僕はそれを口にし、噛み切った繊維を首の傷口に当てた。それでなんとか生きながらえる事ができた。


 たぶん【薬草採取1】のスキルを持っていたおかげだろう。

 クソ使えないスキルとか思ってて申し訳ない。めちゃめちゃ役に立った。

それから僕は動けるようになるまで待って、近くを流れている小川に向かった。

猛烈に喉が渇いていたのだ。


「……」


 渇きを癒し、川面に映る僕を見る。

 そこに映っているのは、ゴブリンよりも醜い男。

 首が妙な角度にひん曲がっている。蹴りを食らった衝撃か、左目がわずかに飛び出し鼻が砕け、頬が裂けて陥没している。よほど鋭い蹴りだったのだろう、髪もズル剥けて頭皮が見えていた。


 我が顔ながら酷い。

 以前の僕が天使のように思える。

 これじゃ完全に化け物だ。きっと故郷に帰っても誰も僕だと気付かないだろう。いや、もう手放したからあそこは僕の故郷ですらないか。ああ僕は天涯孤独になってしまったんだ。しかも今の僕にはお金すらない。


 そういえば僕の記憶だけど、結局プリムの事は忘れなかった。

 正確には、目覚めてから1時間ぐらいは僕がどこの何者で、どうしてこんな状態なのかわからなかった。

 それで自分の所持品を確認した時に、ある物を見つけたんだ。

 それは指輪の領収書だった。血と泥と精液でごわごわになった紙片の表面には、殆どそれと解らない数字で僕が送った人生最大のプレゼントの値段が記載されている。


 それを手に取って眺めているうち、僕は全てを思い出した。

 思い出してしまったのだ。むしろ忘れていた方がよかったのかもしれない。

 だって僕はもう一文無し。唯一の取り得だったお金すらも失って、この身一つ。

 まだ記憶を失っていた方が、希望があっただろう。だって自分がなんの取り得もない凡人ゴミだって事も忘れていられたのだから。きっとなんの憂いもなく生き、或いは死ぬことができたはずだ。その意味で、確かにプリムは優しかった。


「……」


 死のう。

 それしかない。ゴブリンに殺されて肉鍋にされるよりは、苦しくも痛くもないはずだ。


 そう思ったけれど、所詮僕は死にたくなかった。

 死ぬのは怖い。辛いと解っていても、それでもやっぱり生きたい。そして……。


 プリムに、会いたい。


 ――あああああ!!?

 どうしてそう思うんだろう!?

 あいつは憎い女のはず!

 僕から全てを奪った!

 それだけじゃない、何の能力もない僕をアイツは蔑んだんだ!

 キモいキモいと罵った挙句、僕から金を奪いそして命まで盗ろうとした!!

 それなのに僕は……!

 僕は……ッ!

 どうしてなんだ!!??

 どうして憎しみが湧いてこない!!??

 どうしてそれも当然だ、なんて思ってしまっているんだ!!!??


 ……。

 それも無理はない。

 だって僕は所詮奴隷。レオンみたいなイケメンのチャラ男とは違う。負け犬なんだ。一生地面に這いつくばって、自分の精液ペロペロ舐め腐ってるしかないゴミでしかない。

 ちくしょう……ッ!!!


 この期に及んでまだ女に縋り付こうとしている自分自身に、僕は絶望した。



    ◇



 当てもなく森を彷徨う。


 しばらく歩くと、木立の中に白い柱が見えてきた。

 それは神殿だった。神殿の廃墟だ。

 切り立った崖の間にあり、人の背丈ぐらいの巨石を積み上げて作った柱が5本、立ったままで残っている。天井が崩れて落ちたのだろう、無数の平たい石が散乱しており、中央に円形に作られた広間みたいな施設跡と、その奥に祭壇らしき腰丈の石段があるだけだった。床のタイルは砕け、合間から僕の腰丈ぐらいの茶色い草が繁茂している。もちろん人気はない。


 もうじき日が暮れる。

 夜の森を歩き回るのは危険だ。今日はこの神殿で焚火をして過ごそう。


 そんな風に考えて、さっそく枯れ枝を拾いに行こうとした、その時。


「――アルス」


 突然誰かから声を掛けられた。

 優しそうな声だった。まるで母親が愛する息子に呼びかけるような。


「……」


 警戒して辺りを見回すと、奥の祭壇に一人の美しい女が立っているのが見えた。


 歳は20代前半だろう。

 目が糸みたいに細い。

 燃えるような赤い髪を、シスターが被るような黒い頭巾で抑えている。

 体型はグラマラスだ。はち切れんばかりの乳房と尻を、ゆったりとした足首丈の黒いローブで隠している。

 それだけならまだ清楚と言えなくもなかったけれど、腰に巻いた帯の辺りから長いスリットが入っていて、そこからガーターベルトで吊ったストッキングが見えてしまっていた。生足がもう冗談みたいにエロい。


 きっと年上好きのレオンが見たら、チンコ丸出しで飛びつくはずだ。年下好きの僕でさえ堪らなくなる。


「あなたのような方をお待ちしておりました。アルス」


 そんなセクシー美女が、親しげな笑みを浮かべながら僕の方に歩いてきた。

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