第71話 アルテシア姫

 アルテシア姫との謁見は、エ・ダジーマの近くにある孤児院の院長室を借りて行われた。


 アルテシア姫がエ・ダジーマに来ると学長が出迎えざる得なくなって大ごとになるし、ぼくたちがアルテシア姫の公邸に出向くとなると、ぼくたちが大変だろうという配慮からだった。


「はじめまして! あなたがキーストン・ロイドね。ロイド子爵領にはずっと昔に行ったことがあるわ。ロイドご夫妻にも挨拶したけれど、その時はまだあなたはいなかったわね」


 おぉ……。俺は感動していた。我が愛しの孫娘が素敵なレディになって目の前に立っているのだ。再び会い見えることがあろうとは、これほどの喜びがあろうか。


 ……というぼくの前世の部分が感動に打ち震えていた。実際に身体がプルプル震えているが、周囲から見れば田舎貴族の息子が王国の姫君に対面して緊張しているものと映るだろう。


「アルテシア……姫さま、はじめましてキーストン・ロイドです」


 最初にウルス王の記憶そのままにその名を呼んでしまった。すぐにそのことに気が付いて慌てて「姫さま」を足す。「殿下」の方が良かったかもしれないが、慌てていたのでそこまで頭は廻らない。


 アルテシア姫が一瞬動きを止めた。その様子を見ていたレイチェル嬢は、ぼくがアルテシア姫を呼び捨てにするところだったと勘違いして、いや勘違いじゃないけど、慌ててぼくの頭を押さえて下げさせる。


「姫さまどうかご容赦を、姫さまに会えると伝えてから、ずっとキースは緊張で変なのです。どうかお許しを」


 そういって自分も一緒に深々と頭を下げる。レイチェル嬢のそういうとこがぼくは好きだよ。


 もちろんシーアもよく事情が呑み込めないままに、主人が頭を下げさせられているのを見て、何度も何度も頭を下げる。うん。シーアが一番大好きだ。


「あら、何も無礼なことは働かれてないわよ。何を気にしているのかわからないけれど、許せというなら許すわ。どうぞ頭をお上げになって」


 レイチェル嬢がホッと安心のため息をつく。アルテシア姫は、今度はシーアの方を向いてその両手を握る。


「そして、あなたがヴィルフェリーシアね。あなたのことは覚えてる。ロイドご夫妻と一緒にいたわよね。わたしのこと覚えてる?」


「覚えております、アルテシア殿下。あのときは、とても美しいお姫様がロイド領に来られると街中がお祭り騒ぎでした」

 

 なぬ? シーアはアルテシア姫と会ったことがあるのか。それは初耳だ。


――――――

―――


「これがレイチェルが持っていたピュリフィンシートね。色々と種類があるのね」


 アルテシア姫の目の前には、開発中のものを含む様々な種類のピュリフィンシートが並んでいる。


「花のエッセンスオイルを加えた女性の普段使い用、医療用、薬草を使った治癒用など、ハーブ種類と薬液の濃度を用途に合わせて変えています」


 ぼくがシーアに合図すると、シーアはカバンから数本のボトルを取り出してテーブルに並べる。


「筒の中の薬液がなくなれば、こちらのボトルから足してまた使い続けることができます。薬液は最初のものと別のものに変えていただいても構いません」


「ふんふん」とアルテシア姫はぼくの説明を熱心に聞いていた。


「中のシートは薄手のハンカチを使用していただいても構いません。ただ使用頻度が高い場合、シートやハンカチを都度詰めなおすのは手間になります。そこで……」


 ぼくは一旦言葉を切ってアルテシア姫が注意をこちらに向けるのを待った。アルテシア姫と目が合うと「なに?なに?早く教えて」と視線で急かしてくる。


 アルテシア姫の興味津々の視線を受け、ぼくは無意識にウィンクして、大げさかつ勿体ぶった表情で視線に応える。


「そこで! この使い捨て連装ピュリフィンシートです!」


 シーアがカバンから6本の細い筒が連なった連装ピュリフィンシートを取り出してぼくに渡す。


 6本の筒のひとつを適当に選んで、その上端を掴んで引っ張るとポンッと音がして蓋が取れる。蓋には薬液で湿った植物の繊維がくっついており、それがもっこりと膨らんでいた。


「この繊維を使って、汚れを拭った後はそのまま捨ててしまって構いません。そもそも筒に戻すこともできませんが」

「「おぉ」」


 アルテシア姫だけでなくレイチェル嬢も今日初めてみる新製品に驚きの声を挙げる。


「シーア、姫さまとレイチェル嬢に連装ピュリフィンシートを」

「かしこまりました」


 シーアがカバンから連装ピュリフィンシートを取り出して二人にわたす。受け取った二人は興味深そうにあちこち弄り回していた。


「ちょっと待って!」


 突然、何かに気が付いたのかアルテシア姫が声を挙げる。


「何でしょうか?」

「ヴィルフェリーシアって目が見えないのではなくって?」


 そっちかーい! ぼくは思わずズッコケてしまった。


「ええ、その通りです。うちのヴィルフェリーシアは目が見えません。レイチェル嬢から聞かれていたのでは?」


「ええ、そうよ。そうなんだけど。だって、ほら、今だって、えっと、ちゃんとテーブルにボトルを置いてたし、ピュリフィンシートをわたしは彼女から自然に受け取ったわ」


 違う。驚いて欲しいのはそこじゃない!


 そこからしばらくの間、ぼくは連装ピュリフィンシートを手で弄びながら、アルテシア姫の興味を満足させるまでシーアの話をすることになったのだった。

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