第72話 公衆衛生
「ウルス王の公衆衛生改善令こそが、連合王国の基盤を盤石にした最大の成果なんです!」
ぼくはアルテシア姫に熱く語っていた。アルテシア姫のヴィルフェリーシアへの興味が満たされる頃には、逆にぼくの中にマグマが溜まっていてそれが噴き出してしまったのだ。
「市井との接点が多いアルテシア姫ならご存じかもしれませんが、例えば産褥熱による死亡率は改善令の前後では目に見えて違ってきています。少なくと王都においては出産が死と必ず背中合わせのものなんてことはなくなっていますよね?」
「えっ、ええ、確かにそうですね」
「言われてみればそうだったかも」
アルテシア姫とレイチェル嬢はぼくの気勢に呑まれ、目を丸くして聞いている。
「それだけではありません。上下水道事業の強化、公衆トイレの改善、ウルス王はその武を持って連合王国を統合した英雄としてのみ知られていますが、ぼくはウルス王の真実の実績は公衆衛生と街道整備にあると考えています!」
アルテシア姫が突然プッと噴き出してクスクスと笑い出した。
「キース、あなたおじいさまとまったく同じことを言うのね! 言い方までそっくり! おじいさまったら小さいわたくしを捕まえては衛生と街道の話を延々と聞かせるの! その頃のわたくしは、話の後でおじいさまが下さるブルーベリーのタルトが欲しくてずっと我慢して聞いていたものよ!」
アルテシアの笑顔の端から花が舞うのが見える。こんな美しいレディになると知っていたら、前世でもっと長生きしてこの孫娘と結婚すれば良かったと心から思った。
シーアがスっとぼくの横に移動する。んっ? そうだ! いまはプレゼンに集中しなきゃいけないんだった。
「そ、そうですか。先王の孫娘でいらっしゃるアルテシア殿下にそうおっしゃっていただけるのであれば、とてつもない我が誉に存じます」
「キースは、普段はボーッとしていることが多いのですが、公衆衛生について語るときはいつもこうなんですよ。姫様、どうか彼の無礼をお許しくださいませ」
レイチェル嬢……俺のことをそんな風に思っていたのか。ショックでもないな、そんなところだろうと思ってた。
「わたくしもおじいさまから公衆衛生の大切さについては常々聞かされていたし、王都の人々と接している今では実感してるの。レイチェルはどう?」
「王都を離れると王都の清潔を実感することが多いです。お恥ずかしい話ですがリンド領に帰省した際には愕然とすることが沢山ありました。実家ではわたしが今のキースの様になって、家人に徹底的に衛生教育を致しましたわ」
「はい。公衆衛生の概念を連合王国にもたらしたウルス王は超偉大でした」
「超?」
「超偉大って何それ」
二人の女性が鈴の音のような笑い声をあげる。間違いなく二人のウルス王に対する評価は高まったことだろう。マッチポンプと言われたとしても気にしない。ウルス王はとっくに亡くなってるんだし。
話を戻そう。
「この連装ピュリフィンシートですが、一度使ったものは蓋を補充することで続けて利用することができます」
そう言ってぼくは新しい蓋を二人に見せる。蓋には植物繊維を捩じって乾燥させた長い芯がくっついている。
「これを薬液を入れた連装ピュリフィンシートに差します。30分もすれば芯に薬液がしみ込んでまた使えるようになります」
レイチェル嬢が蓋をひとつ取って、薬液に浸かった食物繊維で手を拭いてみる。アルテシア姫も蓋を取ってレイチェルと同じように確かめた。
「さすがにこれだと、広げてもハンカチーフと同じようにはならないわね」
「そうですよね」
「消毒に必要なのはあくまで薬液なので、薬液を塗り広げることができれば効能は変わりません」
ふーむ。アルテシア姫は口元に手を当てて何か考え込む。
「まだ改善の余地はあるにしても、これはとてもいいものだわ。キース、これの販売価格はどの程度にしようと思ってるの?」
「今のところ特注で作ってもらってるので、ピュリフィンシートと薬液ボトルのセットで小金貨1枚、連装だと2枚は欲しいですね」
「小金貨1枚!?」
「へぇ、そんなものなのね」
アルテシア姫が驚いた声を挙げる。さすが市井の中に飛び込んで活動されているだけに、アルテシア姫には王都民の金銭感覚が多少なりとも身に付いていた。
レイチェル嬢の反応の方が貴族としては普通だ。
「量産できるようになれば、もっと価格を下げられるはずですが現状ではこれがギリギリです」
「なるほどね。なら、最初は王族や貴族を相手にしてぼろ儲けするところから始めましょう」
今度はぼくが目を丸くした。アルテシア姫の口からぼろ儲けなんて言葉が出るなんて。
「そうして沢山稼いだらそのお金で量産して価格を下げればいいわ。貴族たちは良い買い物ができて、お金が入れば量産体制が作れる。国民の仕事だって増えるし、みんなの給料が増えたらピュリフィンシートを買えるようになるじゃない!」
「それは良いお考えだと思います!」
「ぼくもそう思います」
「なら! 決まりね!」
こうしてアルテシア姫をリーダーとするピュリフィンプロジェクトが始動したのであった。
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