第11話 遺言

 まさか、こんなことになろうとは……。


 俺は腹に突き刺さった短剣を茫然と見つめていた。


「あなた!!」

「陛下! しっかりしてください!」

「扉を閉じよ! 何人たりともここから出すな!」

「殿下! なんということを!」


 突然の流血劇に王の間は騒然となった。腹の傷口からは次々と血が溢れ出してくる。この短剣には魔法が掛けられているらしく、触れようとすると見えない風の刃によって手を切りつけられてしまう。


 さらにエルヴァスが【ポーション】を使っても、マリーネが【治癒】を掛けても短剣はその効果を打ち消してしまう。


「短剣に呪いが掛かっています! 術者が近くにいるはず! 絶対に逃すな!」


 マリーネが叫ぶと、その場にいた宮廷魔術師たちが【魔力探知】で術者の捜索を始める。氷のマリーネがあんなに焦る顔を見るのは久方振りだ。


 【魔力探知】に反応して体に淡い光を帯びた人間が王の間に二人いた。一人は恐らく術者だろう。その男は一瞬にして懐から取り出した短剣で自らの喉を裂き自害したが、もう一人は……


「ワ、ワシが……父上を……」


 第二王子のホノイスがその場に膝を付き、震える自分の両手を見つめていた。呪われた短剣を包む淡い光がホノイスと呼吸を合わせるようにして明滅する。その場にいる全員の視線がホノイスに集中した。


 この状況を外から見れば、有能な第三王子に王位継承権が渡るのを恐れた凡庸な第二王子がクーデターを起こしたという筋書きにでもなるのだろうか。


 だがそれはありえない。亡くなった長子を含め、三人の兄弟は仲が良かったし、長子の死は残された二人の絆をより一層強いものとしていた。


 そもそも第二王子には王位への執着が全く無い。普段からさっさと王位を第三王子のヴァルクに譲れと口うるさいほどだった。


「兄上! しっかりしてください! どうしてこのようなことになったのです!? あの短剣は誰に持たされたのですか!」


 ヴァルクは次兄が王位を狙って俺を暗殺したなどとは露とも疑っていないのだろう。俺だってそうだ。


 もし第二王子に野望があるのだとすれば、第三王子に王位を継がせた後、俺を護衛に立てて大陸全土のグルメ旅を本気で画策していたことくらいだろう。


 ホノイスは陰に日向にヴァルクが王となれるよう支えていたし、ヴァルクもそんな兄に苦笑いしながらも、王たるに相応しい者となれるよう精進を続けていた。


 俺はそんな二人の関係をずっと見ていた。すくなくとも俺と二人との間では王位をどちらに譲るかは既に決まっていたことであり、二人ともそのことに納得していた。


 もちろん王妃や俺と付き合いが長い連中も薄々は察していたはずだった。


「誰の陰謀か……」


 俺の言葉にその場にいた全員がハッとして凍り付いた。エルヴァスとマリーネだけが、俺の血を止めようとなりふり構わず必死で手を尽くしている。


 おそらく術者によって短剣の魔力はホノイスとリンクさせられているのだろう。ホノイスが死ねば呪いを回避することができるのかもしれないが、そんな選択肢はこの場にいる誰もが選ばないし、俺も選ばせない。


「誰の陰謀かわからぬが、こうなってはホノイス、お前が王位を継ぐのだ」


 俺自身の推測と過去のウルス王の記憶から、この暗殺を実行したのが第三王子擁立派だろうと推測していた。


 大人しくしていれば自然とヴァルクが王位を継承していたものを――何か急ぐ事情でもあったのだろうか。あったのかもしれない。


 いずれにせよこのままではホノイスは王殺し・親殺しの汚名を着せられて誅殺されてしまうだろう。もしくは傀儡として生かされていいように使われてしまうかもしれない。


 第二王子はポカンとした表情で俺の顔を見つめる。第三王子は静かに俺の言葉に耳を傾けていた。


 俺の単なる思い込みかもしれないが、ヴァルクの眼に王位に対する執着はなく、ただ自分の成すべきことを果たそうとする強い意志だけが見てとれる。


「エルヴァス……もうよい。時間が惜しい。我が遺言を聞き届けよ」

 

 俺の言葉が届いていないのか、短剣の魔力で自らの手を切り裂かれながらエルヴァスはなおも俺の止血を試み続ける。


 俺がマリーネに眼をやると、彼女はエルヴァスの両手を取って俺の言葉を聞くように説き伏せた。


 間もなく俺は死ぬだろう。何せ二回も経験しているので、その辺の感覚がよくわかる。時間がない、話せるうちに必要なことは全て伝えておかなくては。


「ヴァルク、お前の兄はグルメ旅行のことばかり考えて、こうも簡単に暗殺者に利用されてしまう。お前が新しい王を支え、連合王国の基盤を盤石なものとせよ」

「はい。必ず兄を支え、王国をより栄えさせてみせます」


「ホノイス……」

 第二王子はまだ動揺から抜け出せておらず、俺の言葉がまったく届いてないようだった。


「兄上! 父上の最後の言葉です! しっかりしてください!」

 第三王子が兄の肩を強く揺さぶる。その声はしゃがれ、両目からはとめどなく涙が溢れ始めた。


「ちち……うえ……」

  

 ヴァルクに支えられ、うなだれたままホノイスは俺の傍らで跪く。 


「馬鹿息子よ。お前は優し過ぎるから、どうせうじうじと悩み続けるのだろう。言っておくがお前に罪はない。これは俺の失態だ」

「父上……」

「この失態の返上はお前にまかせる。お前を罠にハメた連中に見せてやれ、この王国がより一層栄えていく様を」

「ワシにはできません。きっとまた失敗してしまう……」


 俺はホノイスの手を取る。ヴァルクに眼を向けると、その上に自らの手を重ねてきた。俺はその上にもう片方の手を重ねる。


「大丈夫だ。迷ったときにはヴァルクに相談するといい。俺もそうしてきたからな……」


 冗談めかして笑おうとしたら、血で喉が詰まりそうになったので途中で辞めた。今はなるべく多くの言葉を残したい。


「王妃よ。お前にまた辛い思いをさせてしまってすまぬ。これが最後のワガママだ。二人の行く末をしっかり見届けてから来るのだぞ」

「あなた……」


 青ざめた王妃の姿を見ると、俺が死んだら後を追いかねないかと心配でならなかった。


「必ずアルテシアの花嫁姿をその目に焼き付けて俺に報告せよ。先祖たちに自慢してやりたいのだ」

 王妃は俺の額に口づけをした後、俺と息子たちの手を両手で包み込む。

「必ず。必ずそうするわ」


 これで王妃は大丈夫だろう。俺はエルヴァスとマリーネに最後の命令を伝える。その場にいる全員が俺の一言一句も聞き逃すまいと耳を傾けていた。


「マリーネ、俺が死んで呪いが解けたら傷を塞ぎ、俺が老衰で死んだものとせよ。ここにいる皆もそのように心得よ」


「御心のままに……」


 マリーネが頭を垂れると、その場にいた全員が同じように頭を下げた。

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