第9話 シンゲン宣言

 奴隷担当大臣のスレーブスは、優秀な奴隷剣闘士を多く育成しており、王国内の闘技大会で常にトップランカーを輩出していることで名を馳せていた。


 スレーブスを大臣に起用した理由はその手腕だけではなく、奴隷に対し、この時代にしては公平な視点を彼が持っていたからだ。


 奴隷を家畜やモノのように扱うのが当たり前の価値観が支配する中、彼は奴隷の一人ひとりに目を向け、その才能を引き出すことに長けていた。


「スレーブス、奴隷制度改革、かなり実績を上げているようじゃないか」

「ええ。陛下の提唱された『奴隷は城、奴隷は石垣、奴隷は堀、情けは味方、仇は敵なり』。本当に素晴らしいお考えです。今では私だけでなく、貴族の中でも賛同する者が多くなってきていますよ」


 ……はい。武田信玄公の名言を使わせていただきました! パクリ? いやいやこの世界で最初に言ったのは俺だからね。


「ふむ。ではこれを『シンゲン宣言』と名付けて、王国中に広めていこうじゃないか」


 転生というものが存在する以上、もしかすると万が一にも武田信玄の転生体と出会うことがあるかもしれない。やはり配慮はしておこう。うん。


 この名言のポイントは、奴隷をモノとしてみている価値観を完全には否定していないことだ。


 歴史に詳しくなかった俺でも、元の世界で奴隷解放が大規模な戦争を引き起こし、解放者の父と呼ばれた大国の元首が暗殺されたことくらいは知っている。


「奴隷は城であり石垣。自分達の命を守る城や石垣を粗雑に扱って良いわけがない。奴隷を大事に扱えば、より効率的に富を生み出すようになり、主人への忠誠心も持つようになるんだ」


 前世の奴隷少年時代の辛い記憶を思い出しながら、俺は大臣に奴隷を大切にすることの重要性を説いた。


「俺の考えが間違っていなかったことを、奴隷大臣が実際に王都でやってみせてくれた。お前には感謝してるよ、スレーブス」

「陛下……」


 スレーブスは深く頭を下げる。再び顔を上げたときには、その目にうっすらと涙を浮かべていた。


「陰で『奴隷王』と揶揄されて蔑まれるばかりだった私への評価も、陛下のおかげで大きく変わりました。陛下からは返しようのない大恩をいただいております」


 剣闘士として奴隷を戦わせるというのは酷い話ではあるが、この世界では娯楽として普通に存在している。スレーブスは奴隷の中でも戦う才能と意志を持ったものだけを採用し、彼らを育ててきた。


「ただ流血を見たいというだけで奴隷を闘わせていた貴族と違って、お前は戦う意志がある者だけを優れた闘士として育ててきた。お前は実力で今の結果を掴んだんだよ。俺は背中をちょっと押しただけだ」


 スレーブスが涙をこぼすまいと顔を上に向ける。別に彼を持ち上げたわけではない。臣下を集めて自分の考えを伝えたら、最も共感を示したのがスレーブスだったので彼に任せただけのこと。


 実のところ、ここまでの改革を成し遂げたのはスレーブスだ。


「陛下がラローリー事件の全容を公にされる英断をなされたことも、改革を進める大きな後押しとなりました」


 多数の奴隷を猟奇的な方法で殺害していたラローリー侯爵夫人を告発し、終生幽閉に追い込んむことができたのは一年前のこと。ずっと以前からラローリー夫人の名は奴隷たちの間では恐怖を持って語られていた。


「あのような事は二度と起こさせないようにしないとな」

「現在も邸宅の調査を行っていますが、いまだに遺体が発見されているようです」

「あの悪魔……いったいどれだけの奴隷を殺していたんだ」


 奴隷の遺体は裏庭や井戸の中で発見された。他にも壁の中に塗り固められていた遺体まであった。


 遺体の損壊状況や使用人たちの告白で、奴隷たちは殺されるまでに虐待や拷問を日常的に受けていたことが既に明らかとなっている。


「被害者の中にサマワールの貴族があったので告発することができましたが、もしそれがなかったかと思うと……」


 もしラローリー婦人が奴隷だけを殺害していたのであれば、彼女に罪を問うことはできなかった。ただの悪趣味な貴族で終わったかもしれない――というのがこの王国に限らない、この世界の闇の部分だ。


「いくら身分を隠していたとはいえ隣国の貴族を殺害してしまっていたとはな。おかげで告発することはできたが、やっかいな外交問題を引き起こしてくれたものだ」


 詳しい経緯はわからないが、冒険者として王国を訪れていた隣国サマワールの貴族がラローリー婦人の犠牲者になっていることが発覚し、それを機に婦人の所業が次々と明らかにされていったのだ。


 また犠牲者の中に領民がいたことも判明している。当然、領民は王国の民でもあるのだから、正当な理由もなくその生命を奪うことは許されていない。


「事件が発覚してからは、奴隷たちは自分たちも同じような目に遭わされるのではと怯えるようになる一方、貴族や商人たちは奴隷の反乱に怯えるようになりました」


 実際、疑心暗鬼に捉われた奴隷が暴動を起こす事件が何度か起こっていた。


「そのようなタイミングで陛下はシンゲン宣言を布告され、貴族と奴隷の双方から恐怖を取り除くことに成功されました。その見事な手腕には感服せざるを得ません」

「俺を褒めても何もないぞ。だが奴隷制度改革を受け入れる土壌が一気に醸成されたのは確かだな」


 これは偶然に成し得たことではない。前世で奴隷だった俺は「ブラッディー・ラローリー」の噂を幾度となく聞いていた。


 実際にラローリー家に買われていく奴隷を見たことが何度もある。毎回、沢山の数が連れて行かれるのを見る度に、彼らの身に降りかかる運命を思っては身を震わせていたものだ。


 そういうこともあって奴隷制度の改革を行うにあたっては、真っ先にラローリー婦人と周辺についての調査を始めさせていた。


 一刻も早くラローリーの所業を暴くことで犠牲者を減らしたい。その一心から始めた告発だったのだが、結果的に奴隷制度改革を強く後押しすることができた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る