突撃! 隣の夜御飯!
常世田健人
突撃! 隣の夜御飯!
「突撃! 隣の夜御飯ー!」
とある日の午後九時に、突然、その女性はやってきた。
今の発言内容と同じ文字がでかでかと書かれたプラカードを両手で持っており、何かが入ったビニール袋を右手で挟んでいる。
その女性は長めの髪をポニーテールにまとめ、何故かパジャマ姿だった。
「……お隣さん、ですよね」
そう、この人は今日挨拶したお隣さんだ。
都内に位置するにも関わらず、六畳一間で家賃ひと月一万円という破格のオンボロアパートに、俺は今日引っ越してきた。
昼間に引っ越しが完了し、荷解きの前に二階に住む両隣の方々には挨拶をした。
左隣に住んでいるこの女性は、俺が挨拶をする時にはやけに反応が薄く、これからあまり関わり合いになることはなさそうだなと思った矢先の出来事だった。
「そうです! 覚えていてくれたんですね」
「覚えていなかったらドアを開けませんよ」
覚えていなかったら良かったと、これほどまでに後悔したことは無い。
そんな俺の気持ちはつゆ知らず、「無事に扉を開けてもらえてよかったです」と楽しそうに笑う彼女だった。
「こんな時間に何の御用ですか」
「だから、プラカードで出してるじゃないですか」
何度見返しても昔放送されていたテレビ番組名に似た単語の羅列しか見えなかった。
まさかと思いつつ辺りを見渡してもカメラマンらしき集団は見当たらなかった。
「動画でも撮られているんですかこれ」
「いやいやいや~動画投稿を副職にはしていませんよ~寧ろ本職すらないですから~」
ということは無職じゃないか。
そんなセリフが口から出そうになるのを何とか抑えた。
何にしろ、この女性と関わっていたらやばいと自分の本能が告げている。こんな夜更けにこんな世迷言をさも平然と言ってのける女性だ。ばかでかいプレートとパジャマ姿のかけ合わせも心底恐怖を抱かざるを得ない。関わっては駄目だと自分の中のアラートが大音量で鳴り響いている。
一刻も早くこの女性をこの場から追い出そう。
大きく頷いてそう決心した俺は、意を決して発言した。
「晩御飯ですよね。ちょうど作ってはいましたが、一人分しか用意していないので今日のところはお引き取りください」
「え! 貴方、料理する方なんですか!」
「どこに驚いているんですか!」
「ガタイが良くて強面だったのでプロテインしか摂取していないんじゃないかと思っていました」
「あれ、意外と失礼ですね」
「えへへ~よく言われます~」
「褒めてないんですけど……」
取り付く島もないとはまさにこのことだろう。
何を言っても良い様に解釈されてしまうことがわかってしまったためこれ以上何を言えば良いのかわからなくなる。
それでも何かを言わなければと考えたところ――ふと気になる点が出来てしまったのでそこだけ聞こうと腹をくくった。
「俺の家の晩御飯を食べようとしていないってことは、結局何をしに来たんですか」
「ああ、それは、これです」
そう言うと彼女はプラカードを地面に下ろし、ビニール袋をこちらに向けてきた。
「夜御飯です。もしよければ、どうぞ」
「……貴女が夜御飯を持ってくるんですか!」
「だからこその『突撃! 隣の夜御飯!』じゃないですか」
「そういう番組じゃない!」
叫んだところで突き出されたビニール袋と夜御飯は無くならない。
彼女はにこやかに笑いながら、俺がビニール袋を受け取ることを待っている。
ここで拒否するのは簡単だが、正直なところ何をされるかわかったもんじゃなかった。目の前で奇行に走る女性がお隣さんというのが怖い。真っ先に引っ越しをしたい気持ちでやまやまだが今日引っ越したばかりでそれは難しい。
「ありがとう、ございます」
ある程度の期間お付き合いをしなければならないのであれば、ここは受け取った方が吉だろう。
それに、何かとんでもないものが入っていた場合は、少し心苦しいが捨ててしまえば良い話だった。
「やった。ありがとうございます!」
彼女は無邪気に微笑んでいた。
「一人暮らしの料理って若干虚しいところがあるんですよね。美味しく出来たとしても誰にもその味を共有できないというのが何とも」
「そうですね。その気持ちは、少し、わかります」
「やっぱりそうですよね。彼女絶対いないなって思いましたもん」
「もう単純に失礼ですね」
「よく言われます~」
尚も無邪気に笑う彼女に対して俺はため息をついていた。
この人は特に何も考えていないのかもしれない。
ビニール袋の中を見ると美味しそうな肉じゃががタッパーの中に入っていた。これだけの量があればあとはご飯さえ炊いてしまえば事足りる。
「少し待っていてください」
彼女にそう告げると俺は部屋の中へと戻った。
先ほど作った夜御飯を彼女に渡そうと思ったのだ。
引越しをして一日目ということで手軽にさっと作ったオムライスではあるものの、肉じゃがのお返しにはちょうど良い出来ではないだろうか。先ほど味見をしてなかなか良い感じになっていたということもあった。この味を共有できるのであれば夜九時に突然夜御飯を持ってくるとんでもない女性でも良いのではと思い始めていた。
少し気分が高まりながらオムライスをタッパーに詰め込み、ビニール袋に入れて玄関へと戻ると――
彼女は、何故か、姿を消していた。
「……あれ?」
辺りを見渡しても彼女の姿どころかバカでかいプラカードすらも無い。
何事かと思い左隣の玄関の呼び鈴を鳴らし、扉を叩いても一向に反応がなかった。
家に戻ると、タッパーに詰められた肉じゃがは残っている。
「何だ、これ」
訳が分からず呼び鈴を鳴らし続けていると、「うるさいよ」と左から唐突に声が聞こえた。
声が聞こえた方向を見ると、俺の家の右隣に住んでいるおじさんが居た。
「あの、こんな時間にすみません。ここに住んでいる人って見かけましたか? 小柄な女性なのですが」
「……ああ、またか」
おじさんは頭を抱えながら――こう言った。
「そこにはね、誰も住んでないんだよ」
「は?」
「見たことが無いからわからんが、どうせまた晩御飯を持ってきたんだろ? 前回はポトフだったが、今回は何だったんだ?」
「いやいやいやいや。どういう意味ですかそれ」
おじさんはうんざりと言わんばかりに言葉を紡ぐ。「いくらオンボロアパートと言えど、都心でひと月一万円は異常だろう」
「でも、俺の部屋には過去に事件は何もなかったって」
「あんたの部屋じゃなくて、今あんたの目の前にある部屋で殺人事件が起こったんだ」
そこまで言うと、おじさんは「あまり気にしない方が良い」と一言付け加えて部屋へと戻っていった。
隣に住んでいた彼女がどんな人だったのかはわからない。
ただ、彼女はもしかしたら成仏できていないのかもしれない。
成仏できていない理由は――彼女の料理をこれまで誰も食べてこなかったからなのかもしれない。
オムライスを入れているビニール袋を眼前の部屋のドアノブにかけた後、とぼとぼと俺の部屋に戻り、肉じゃがを食べた。
冷たくなっているけれど、それでも、充分美味しかった。
ご飯を炊きつつ電子レンジで肉じゃがを温め、幸せな時間を過ごすことが出来た。
幸福感に包まれたからだろうか――そのまま寝てしまい、朝になった。
ふと左隣の部屋が気になり扉を開けると、自分の部屋のドアノブにビニール袋がかかっていることに気が付いた。
中を見ると、空になったタッパーと、「ケチャップに頼りすぎです」と一言書かれたメモが入っていた。
最初から最後まで失礼だなと思いながら、左隣の部屋へ向かってこう言った。
「ごちそうさまでした」
突撃! 隣の夜御飯! 常世田健人 @urikado
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