第二百九十四話 仲間外れ

「むろん、わが夫になって貰う。帝国の新たな皇配だ……我が愛にとっても、悪い話じゃないと思うけどね?」


 ヴァレンティナの放ったその言葉に、輝星は神妙な表情で一歩下がった。彼女が裏切る可能性については、ディアローズが以前から指摘していた。とはいえ、やはりこうしてその懸念が現実になると、やはり少なからずショックは受けた。


「その話はすでに断ってるはずだけどね」


「あの時のわたしは、帝位継承者の末席に居るだけの人間だった。だが、今は違う。そこの女を利用すれば、ノレド帝国の帝冠を手にすることは十分に可能だ」


 親に向けるものとは思えない目つきで気絶したままの皇帝を一瞥してから、ヴァレンティナは視線を輝星に戻す。その目には一転して、熱く粘ついた感情が浮かんでいる


「我が愛、わたしと共に来てくれ! 二人で理想の国を作るんだ!」


「だめ」


 輝星の答えは端的だった。ヴァレンティナが頭から冷水を被ったような表情を浮かべる。


「政治は俺の領分じゃない。お荷物にしかならないよ」


「それは……そうかもしれないが……」


 だまし合い化かし合いが常の政界に向いているタイプの人材ではないのは確かだ。海千山千の政治屋からすれば、輝星などカモネギ以外の何物でもない。そのことは、ヴァレンティナにもよく理解できる。


「いや、しかし……なにも、政治家になってくれと言っているわけではないんだよ、わたしは。強く美しいキミならば、指揮官なども向いているはずだ……」


 輝星に指揮能力など皆無だが、そんなものがなくともカリスマさえあればなんとかなるのがヴルド人の指揮官だ。実務的な判断は、優秀な幕僚陣に任せればよい。そういう意味では、確かに輝星が指揮官になるのも不可能という訳ではないのは事実だった。


「……なんともじれったいものだな。ご主人様、ハッキリ言ってやったらどうだ」


 冷や汗を浮かべるヴァレンティナに向かって、ディアローズがひどく意地の悪そうな笑みを浮かべて言った。


「自分はもう他の女の夫になることになっているから、お前の所にはいけぬ……とな!」


「なんの……」


 心底馬鹿にした様子で肩をすくめたヴァレンティナだったが、彼女が言葉を紡ぎ終えるまえにディアローズが行動を起こした。輝星の傍に歩み寄り、少ししゃがむと彼の額にキスしたのだ。

 輝星は一瞬、表情を引きつらせた。キスは嫌ではないが、このタイミングで挑発するのはさすがにどうなのかと思ったのだ。しかし、ディアローズは視線でキスを返すように促してくる。もうどうにでもなれという気分で、彼はかがんだままの彼女の額に自らの唇を付けた。


「な、なにを……」


 さしもの、ヴァレンティナも、これには表情を青ざめさせた。しかし、ディアローズの猛攻は止まらない。


「知っているか? 地球人テランは唇同士のキスで愛を確かめ合うのだ」


 言うなり彼女は輝星の唇を自らの唇でふさいだ。こんなところで発情するわけにはいかないため舌こそ入れてこないが、随分と情熱的な唇の貪り方だった。


「あわ、あわわ……」


 あまりのことに、ヴァレンティナの顔色は赤と青を往復した。生娘には辛い光景である。しかし、それにしても、彼女の表情は興奮の色が強かった。目の前で想い人が姉に蹂躙されているのだから、いきなり殴り掛かってもおかしくないレベルである。

 その様子を見て、ディアローズは小さく笑った。唇をはなし、輝星の肩を抱く。


「と……いう訳でな。貴様が妙なことを企んでいる間に、事態はすでに手遅れな領域まで進んでしまった」


「んっ、ん゛ん゛ッ!」


 顔を引きつらせつつ、ヴァレンティナが後ずさる。ディアローズからの一方的なキスならともかく、輝星の方もキスを返しているのだからもう言い訳のしようがない。


「ほ、本気なのかい……? 我が愛……?」


 それでも、すぐには認められないのが人情というものだ。震える声で、ヴァレンティナは輝星に聞いた。その瞳は、涙で潤んでいる。


「……うん」


「なぜ、どうして、いつの間に!」


 普段の彼女からは想像もつかないような余裕のない声で、ヴァレンティナが叫ぶ。実際、ほんの少し前までは彼らは不倶戴天の敵同士だったのだ。それがこれほど早くくっつくなど、尋常なことではない。


「ええ!? 答えにくい質問だな……」


 ディアローズとこんな関係を結んだのは、もとはといえば彼女の強引な夜這いが原因だ。しかしそれをハッキリと口に出すのは、自分が流されやすい男だと公言するようなもので憚られる。たとえそれが事実だとしても、できれば隠しておきたいと思う程度の見栄は輝星にもある。


「敵同士とはいえ、通じ合うものがあったという訳だ。偉大な敵に尊敬の念を向けるのは、なにもわらわだけの専売特許ではないのだぞ?」


「何が尊敬だ!! 自分が負けた事実に興奮していただけだろうが!! 都合よく取り繕うんじゃない!!」


 正論である。若干バツの悪そうな表情になったディアローズに、輝星はあきれた様子で口元をゆがめた。


「ま、まあでも実際その通りだから。極めて高い作戦立案能力に、勝つためには何でもするバイタリティ! おまけに最高の美人と来てるわけだから、好きにならない方が嘘だって。……たぶん?」


「うへ、うへへ……そこまで褒めずともよいぞ! ……いや、見栄を張った。もっともっと褒めても良いが!」


「この女……百年の恋も冷めそうな顔をしているように見えるが、そこはどうなんだ我が愛!」


「蓼食う虫も好き好きって言うでしょ……」


 もごもごと言い訳してから、輝星はディアローズの耳元に口を寄せた。普段ならとても届かない身長差だが、彼女はまだ輝星の肩を抱いたままだから、なんとかなる。


「無意味にのろけてるだけのように見えるけど、なにか策があるの?」


 今はまともに話を聞いてくれているヴァレンティナだが、激高すれば襲い掛かってくる可能性は十分ある。その場合、撃退は極めて難しいだろう。

 輝星は徒手空拳かつ肉弾戦では全く役に立たない貧弱ボディだし、ディアローズにしても武器は電磁鞭のみだ。体格に優れ、なおかつ拳銃まで持っているヴァレンティナに勝てる道理はない。


「問題ない」


 しかしディアローズは、自信ありげに笑った。そして、視線をヴァレンティナに向ける。


「奴はわらわの実の妹だぞ? 血は争えぬ……この意味が解るか?」


「まさか……ヴァレンティナもド変態……ってこと?」


「その通りだ」


 その通りだ、じゃないが……輝星は心の中でそう突っ込んだ。

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