第二百九十三話 野心

 それから十分後。皇帝は全身を拘束され、身動きが取れない状態で中空に浮かんでいた。捕縛の際に大暴れした皇帝はディアローズによってボコボコにシバきまくられ、一国の元首とは思えないひどい有様になっていた。


「やめろーっ! 許してくれー! ギロチンだけはいやだーっ!」


 身体を芋虫のように揺すりながら、半泣きの皇帝が叫ぶ。そんな彼女に、床面に降り立った輝星が何とも言えない視線を向けた。


「あのさあ……」


「なんだ?」


「……なんでコックピットに荒縄なんか持ち込んでたの?」


 輝星の言うように、皇帝は荒縄で縛り上げられていた。縛り方も、なぜか卑猥な雰囲気のものだ。すべて、ディアローズの手によるものである。荒縄も、彼女が自分のシートの小物入れから出してきた物だ。


「……任務中に、ムラムラくることもあるかなと思ってな」


「……」


 手で顔を押さえ、輝星は黙り込んだ。若干赤くなりながら、ディアローズも顔を逸らす。


「ふざけるなよ! 人をこんな風にしたあげく、目の前でイチャつくなど許せるものではない!」


 無言でディアローズが皇帝の尻に鞭を見舞った。彼女は「ぎゃあ」と大げさな悲鳴を上げる。しかし、この程度のことでめげる皇帝ではない。


「そいつが貴様の情夫オトコだな! くそぉ……余は一人寝の寂しさに苦しんでいるというのに、貴様ときたら戦場にまで連れ込みおって!」


「娘はいっぱいいるのに一人寝なんだ……」


「母上と父上はここ十年ほどあまり仲が良く無くてなあ……今では半ば離婚状態なのだ……」


 輝星の疑問に、ディアローズが小声で答えてやる。皇帝が顔を真っ赤にして、激しく身をくねらせた。


「うるさいうるさいうるさい! ええい……どうせ処刑ならば、せめてそこな男と一発やらせてはくれぬか? こんなみじめな気分で死ぬのは絶対に嫌だ!」


「ええい、これ以上恥を晒すではないわっ! 効果があるかどうかは知らぬが助命嘆願くらいはしてやるから黙っておれ!」


「アバーッ!」


 スタンガンモードにした鞭を皇帝の首元に押し付けるディアローズ。バチンという音が鳴るのと同時に、彼女は白目をむいて気絶した。


「さて、あとはこやつを本隊に引き渡すだけだが……」


 深いため息を漏らしつつ、ディアローズは視線を輝星へ向けた。長時間にわたる戦闘とやっと皇帝を確保できた安堵感からか、明らかにその表情は疲れ切っている。


「さすがに、"エクス=カリバーン"のコックピットには三人も入らぬ。地上の方も、そろそろ大勢は決しているであろうから、通信が回復し次第連絡艇でも寄越してもらうことにしよう」


 帝国軍は仲間割れを起こしている一方、皇国軍は主力を温存することに成功している。電波嵐と視界不良さえ収まれば、こちらが負ける道理はない。心配なのは、クローン兵を任せたテルシスたちくらいだ。


「そうだねえ……はあ、やっと終わったのか」


 大きく息を吐いてから、輝星は完全に脱力した。半日以上にもわたるかなりの長期戦を戦ってきたのだ。彼にしても、そろそろ限界だった。


「……ふふふ」


 しかし、突然聞こえてきた笑い声に、輝星とディアローズは慌てて身構えた。皇帝の声ではない。そもそも、彼女は今度こそ完全に気絶している。


「……まったく、素晴らしい。これでわたしも、新たな章に進むことが出来る」


 続いて聞こえてきたのは、マグネット付きの靴を床面に吸着させる、無重力特有の足音だった。格納庫内の空気はとうに抜けきっているから、当然その音は無線からのものだ。音の出所は、全く分からない。


「ヴァレンティナ……!」


 唸るような声で、ディアローズが呟く。彼女の視線の先には、赤色灯の怪しい光に照らされた長身の女が居た。ヴァレンティナだ。右手には、自動拳銃を携えている。


「やはり貴様か。シュレーアはどうした?」


「置き去りにしてきた。"コールブランド"の応急修理さえ終われば、もう用済みだ。……ああ、安心したまえ。彼女には傷一つつけてはいないとも。我が愛に嫌われたくはないからね?」


 左手をひらひらと振りつつ、ヴァレンティナは艶やかな流し目を輝星に向けた。彼は口をへの字に結び、一歩下がる。


「キミの役割は終わりだ、ディアローズ。大人しく皇帝と我が愛を引き渡したまえ」


「一応聞いておくが、ご主人様とこの愚母の身柄を回収して、貴様はどうするつもりなのだ?」


 たんに皇国軍に皇帝を引き渡して自分の手柄にするつもりであるのなら、輝星を寄越せだなどと言うはずもない。ヴァレンティナが何かしらの野心を持って行動しているのは、明らかだ。


「即座に我が部隊を再編制して、本国に帰還する。皇帝を利用して、帝国の政治と軍事を同時に制圧するのさ。キミが皇帝を生け捕りにしてくれたおかげで、わたしはスムーズに新皇帝になることができそうだ。感謝するよ?」


「……で、俺は?」


「むろん、わが夫になって貰う。帝国の新たな皇配だ……我が愛にとっても、悪い話じゃないと思うけどね?」


 ニヤリと笑って、ヴァレンティナはそう言い切った。

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