第二百六十一話 持久戦
精神を沸騰させていた皇帝だったが、さすがにこれには肝が冷えた。今この場で強引に峡谷からの脱出を図ったところで、余計な被害を受けるだけだ。皇帝は首を何度も左右に振り、それから従者が床から拾ってきた扇子を乱暴に奪い取る。
「……"ヴァライザー"の攻撃を受けなかったのは僥倖だった。余の降下の判断が早くて命拾いしたな? 貴様ら」
「は、はあ……」
曖昧にうなづく幕僚たち。そもそも上昇を命じたのは皇帝である。それに、確かに"ヴァラいザー"からの致命的な砲撃は飛んでこなかったが、敵戦艦による攻撃で"オーデルクロイス"は少なくないダメージを受けている。
むろん重装甲で知られる"オーデルクロイス"だから、少々被弾しても航行に問題はない。とはいえ至近距離から徹甲弾を被弾したのだから、少なからず戦死者も出ていた。にもかかわらずこの態度というのは、神経が太いとしか言いようがない。
「今はとにかく、この穴倉から安全に脱出する方法を探さねば」
戦艦や巡洋艦の装甲と推力ならば、谷が崩れて生き埋めになってもなんとか自力で脱出できるだろう。とはいえ、もちろんできれば崩落など巻き込まれたいものではないのは確かだ。
「やはり、厄介なのは"ヴァライザー"だ。他の敵は、現有戦力でなんとでも対処ができる……」
"ヴァライザー"の砲撃は、戦艦であれ一撃で撃沈する威力だ。敵側にこれがある限り、皇帝艦隊は穴倉から出られない。
「巡洋艦を盾にして強引に押し上げ、肉薄射撃を仕掛ければ潰せるか?」
「さ、流石にそれは……」
あまりにもひどすぎる案に、さしものイエスマン(ウーマン)揃いの幕僚陣も難色を示した。敵は"ヴァライザー"だけではないのだ。歩行要塞一つ撃破するために一個艦隊が潰されるのは、流石に容認できる被害の範疇を超えている。
「わかっておる! 敵はあくまで、ディアローズと皇国の薄汚い貧乏人どもだ。金食い虫の文鎮ごときと我が艦隊を交換したのでは、割に合わぬ」
もともと、"ヴァライザー"は強力ではあってもひどく扱いにくい兵器ということで帝国軍でも持て余した状態だった。ディアローズが増援を求めた際に在庫処分として送り付けたのだが、それがこうも自らに牙を剥くとは思っていなかったのである。
これが、戦艦の一隻や二隻なら、いくらでも対処のしようがあった。歩行要塞など送るんじゃなかったと悔いる皇帝だが、後悔先に立たない。
「ストライカーで白兵攻撃を仕掛けるほかないな。あまり使いたい手段ではないが……」
もともと歩行要塞は対艦隊・対要塞を志向した兵器だ。もちろん十分な対空火力は持っているが、艦隊で力攻めするよりはまだ勝ち目がある。
とはいえ、少なくない犠牲はやはり覚悟しなければならないだろう。皇帝は部下が死んだところで何の痛痒も感じないタイプの人間ではあったが、高いコストと長い時間をかけて育成した精鋭を無為に消耗させるのはさすがに拒否感があった。
「しかし、致し方あるまいか。近衛ストライカー隊をいったん収容せよ。補給の後、半数を"ヴァライザー"攻撃部隊として再編成し出撃させるのだ」
「おそれながら……陛下、近衛隊はすでに対艦装備で出撃しています。いまだ皇国艦隊に対しては一発の対艦ミサイルも撃っていないのですから、そのまま攻撃に向かわせた方が良いのではないでしょうか?」
そう提案したのは、主席参謀だった。その顔色はひどく悪い。いまだに皇国の大規模砲撃が続いているのだ。艦橋には、砲弾やミサイルの炸裂する音がうるさいくらいに響き続けている。
にもかかわらず、一発も打ち返せないというのは精神的に非常に堪えるらしい。補給をしている時間があったら、さっさと"ヴァライザー"を撃破して反撃に転じたいというのが彼女の本音だろう。同じ意見らしい幕僚が数名、同調の声を上げた。
「対艦装備は使っていないと言っても、ほんの先ほどまでは敵のストライカーと交戦していたのですぞ! ここは、予備の部隊に爆装させて出撃させるべきです」
反論の声を上げたのは航空参謀だ。実際、輝星らと戦ったことで近衛隊は少なくないダメージを受けている。これをそのまま前線に出すというのは、あまりにも危険だろう。
「予備部隊の機数は、せいぜい全体の三割程度ではないですか! その程度の数では、"ヴァライザー"は撃破できません。数的に有利で、なおかつ即動ける現在の部隊にやらせるべきです!」
「しかし……!」
「ええい、うるさい! 今は議論などしている暇はない! 主席参謀の意見を採用する、展開中の近衛隊に命令を出せ!」
苛立った声で皇帝が叫ぶ。一秒でも早くこの状況から脱したいのは、皇帝も同じなのだ。手早く攻撃が出来るというのなら、それに越したことはないだろう。
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