第二百四十四話 皇帝、進撃開始

「アンヘル公爵がやられただとぉ!?」


 ノレド帝国皇帝、ウィレンジア・レンダ・アーガレインはベッドから飛び起きつつ叫ぶ。部下からもたらされた報告は、仮眠の真っ最中に聞くにはあまりにも刺激的なものだった。


「は……」


 報告を持ってきた幕僚が、悄然とした様子で頷く。


「一騎討ちに敗れ、皇国軍の捕虜として連行されてしまった……とのことです」


「百万歩譲って一騎討ちに敗れるのはわかる。だが捕虜にされるとはどういう料簡だ!!」


 優勢な状況に油断し、人気取りのために指揮官が前線に出て討たれてしまう。度し難いほどの馬鹿だとは思うが、そこまではまだギリギリ理解できるのだ。しかし、本人が敵軍に回収されてしまうというのは、あまりにもひどすぎる。周囲の兵士たちは、一体何をしていたのか。皇帝は憤慨した。


「わが軍には無能しかいないのか? 新鋭戦艦が三十隻だぞ! 半分寝ていても勝てるようないくさではないか!」


 お前は半分どころか全部寝ていただろと幕僚は内心つっこんだが、命が惜しいので口は出さなかった。まあ、長期間にわたる作戦だ。皇帝ならずとも、休憩は必要である。


「まったく、どいつもこいつも!」


 怒り狂いながら、皇帝はベッドから立ち上がった。艦隊司令を失った現場は、さぞ混乱しているだろう。流石に放置するわけにはいかない。

 皇帝付きの侍従が無言で、皇帝の肩に軍服の上着を羽織らせてやった。優勢とはいえ実戦下なので、さしもの皇帝も寝間着はきていない。上着さえ着れば、すぐにでも艦橋に出られる服装で休んでいた。


「で……前線はどのような状況なのか」


「アンヘル艦隊の主力艦に撃沈・撃破された艦はありませんが、ストライカーによる攻撃で少なからず被害を受けているようです。敵の主力艦隊とは、いまだ接触していないようですが……」


「そんな状況で負けたのか、あの青二才は。取り戻したら、ギロチンにかけてやりたいところだ」


 相手は大貴族である。皇帝とはいえ、気軽に処刑することはできない。皇帝は懐から出した扇子を手元で弄りつつ、いらだたしげに吐き捨てた。


「しかし、いまだに敵の主力と交戦していないのであれば、逆に助かった。戦力的に勝るとはいえ、指揮官を失って腑抜けた連中に大一番を任せるのはよろしくない」


 トップが討たれると大幅に弱体化してしまうのが、ヴルド人の軍隊の弱点だ。特にアンヘル公爵の艦隊は諸侯の寄せ集めでしかないため、トップに立つ権威者が消えればまともに連携もとれない烏合の衆になってしまう。


はなはだ遺憾だが、余が前に出るしかあるまい……」


 皇帝直属の艦隊は諸侯軍に比べて数こそすくないものの、兵器・人員ともに最高級のものを揃えている。封建制の制度上、上司の上司には従わない諸侯たちと違って指揮系統も煩雑ではないから、統率もとれている。

 だから皇帝には、直属の艦隊だけでも皇国軍を打ち破る自信は十分あった。後ろに引きこもっているのは、あくまで万一を防ぐためでしかない。


「しかし、アンヘル艦隊のいる宙域は我々のいる宙域からはかなりの距離があります。到着するまでに、アンヘル艦隊は攻撃を受けてしまうのでは?」


 指揮官を倒したこのタイミングで、皇国軍が仕掛けてこないはずがない。混乱中のアンヘル艦隊は、少なからず被害を受けるだろう。幕僚は厳しい表情で聞いた。


「なに、ちょうど良いではないか。皇国軍の使える戦力は限られている。これまでの戦いで、随分と消耗しているだろう。それに加えてアンヘル艦隊と正面から交戦すれば、弾薬を使い果たしてもおかしくはない」


 ニヤニヤと笑いながら、皇帝は語った。流石に大国を率いているだけあって、その予想は正確なものだった。現在の皇国主力艦隊には、アンヘル艦隊と皇帝艦隊の二連戦に耐えられるだけの物資はない。


「それに、諸侯どもの軍であれば、少々被害を受けたところで余の懐は痛まぬ。木っ端貴族どもが少々ほろんだところで、その領地は召し上げるなりなんなり、いくらでも有効活用ができるからな」


 むしろ、口減らしになって都合がいいくらいだ。そう言いたげな口調で語りつつ、皇帝は陰惨な笑みを浮かべた。幕僚も侍従もその身勝手な言い草に顔色を失ったが、正面から抗弁することはなかった。部下を簡単にギロチンかけるような残忍な皇帝に文句を言うほどの勇気は、とても持てない。下手をすれば一族郎党皆殺しだ。


「それより、艦隊と近衛の準備はできているのか? 戦場には、できれば最良のタイミングで突入したい。今すぐ進発せねばならんのだ」


 最適のタイミングというのはすなわち、アンヘル艦隊が敗走しそうになった瞬間だ。皇国軍が追撃に転じようとした瞬間に横合いからカウンターを仕掛ければ、安全かつ確実に仕留めることが出来るだろう。

 もっとも、統率を失っているとはいえ総戦力に勝るアンヘル艦隊が敵を押し返す可能性も十分にある。その場合は皇国軍が壊滅する前に介入し、皇帝自ら敵の指揮官を討ち取るというのもアリだろう。なんにせよ、モタモタして機を逸するわけにはいかない。


「旗艦"オーデルクロイス"以下、いつでも進撃可能です、皇帝陛下」


「よろしい」


 皇帝は満足げに頷いた。

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