第二百十五話 おまじない

「戦闘開始早々俺たちの出番か、なかなかハードな戦いになりそうだ」


 "エクス=カリバーン"のコックピットで、輝星が楽しげな声を上げた。コンソールのタッチパネルを叩きつつ、出撃前の最終チェックを行う。この機体で演習は何度も行ったが、それでも実戦は初めてだ。どんな不具合が出るかわからないため、チェックは何重に行ってもし過ぎということはない。


「この手の任務であればご主人様が最善なのは確かだ。敵中突破など、本来は下策なのだがな……」


 後部座席で点検を手伝いつつ、ディアローズが答える。先ほどまで艦橋にいた彼女だが、輝星が出撃する以上ついて行かない訳にはいかない。彼と離れすぎると、首輪が自動で起爆してしまうからだ。


「とはいえ、成功すればメリットは極めて多大だ。この不利な状況で、出し惜しみなどしている余裕はない。ある程度のリスクは飲まねばならぬ……」


 深く息を吐いてから、ディアローズは輝星の頭を優しく撫でた。その表情は、なんとも苦々しいものだ。自分の献策で輝星を危険な作戦に投入せねばならなくなったことを、少し後悔しているのかもしれない。


「無茶はいつものことじゃない。大丈夫、何とかして見せるさ」


「ふっ、流石はわらわを唯一敗北させた男だ。なんとも頼もしい」


 ディアローズの言いたいことはそうではないのだが、しかしこれまで幾度となく奇跡を起こしてきた輝星が言うのだから説得力は無駄にある。その被害者たるディアローズには、苦笑することしかできなかった。


「我が主」


 そこへ、突然声がかけられた。二人の視線が、解放されっぱなしのコックピット・ハッチの方へ向かう。そこにいたのは、皇国軍制式のパイロット・スーツを着用したテルシスだった。エナメル質の光沢のある生地がぴっちりと体を締め付ける、どこか煽情的にも見えるデザインが特徴的なスーツだ。


「忙しい所を、申し訳ない」


 彼女はそう言って、すまなさそうに頭を下げた。そしてその真紅の長髪を片手で弄りつつ、若干顔を赤くする。


「いいけど……どういう要件?」


 こうした状況で、ほかのパイロットが直接声をかけてくることなど普通はない。話がしたいだけなら無線の個人回線を繋げばいいだけだからだ。


「もうすぐ出撃ですので……なんといいますか、おまじないをお願いしたく」


「おまじない?」


「ええ、その……勇気の湧いてくるような、といいますか」


 この戦闘狂に、勇気の出るおまじないなど不要だろう。危険な状況だろうが、嬉々として飛び出していくのがテルシスという女だ。思わず、輝星とディアローズは目を見合わせる。


「……というか、おまじないって何さ? 具体的に言うと」


「く、口づけです。唇への……」


「……」


 "エクス=カリバーン"のコックピット内に、何とも言えない沈黙が満ちた。テルシスは、さらに顔を赤くしつつもじもじとする。それを見たディアローズが、深い深いため息を吐いた。


「ずいぶんと調教がうまくいっているようだな。この調子でわらわも調教してもらえぬか?」


「嫌だよ……」


 ディアローズに関しては、むしろ自分が調教されている気がしてならない輝星は顔をしかめつつ呻いた。何しろ、この頃鞭の振り方まで(ほぼ無理やり)彼女に教え込まれているのだ。


「ま、まあいいや」


 なんにせよ、ここでテルシスをコックピットから蹴りだすような真似などできるはずもない。それに幸い、周囲のクルーたちは出撃準備のために非常に忙しく働きまわっている。こちらに注目する余裕などないだろう。輝星は立ち上がって、テルシスに手招きした。


「か、感謝いたします!」


 小躍りしそうなほど弾んだ声でテルシスは答え、小柄な輝星を押しつぶすように抱き着いた。そのままの勢いで、彼の唇を奪う。


「……」


 もちろん、こんな場所・タイミングで唾液を注入するわけにもいかないので、舌は入れてこない。しかしテルシスはすでにだいぶ興奮しているようで、荒い鼻息が輝星の顔にかかった。一分ほどなされるがままになった輝星だが、さすがに恥ずかしくなってきて彼女の肩を押した。

 無視して輝星の唇を堪能し続けるテルシスだったが、後部座席から放たれたディアローズのチョップが頭に叩きつけられ、凄まじく不満そうな様子で口を離した。


「まったく、盛りのついた犬だな。これは躾が大変そうだ」


 嫌味を飛ばすディアローズを睨みつけるテルシスだったが、すぐにはっとなって輝星の方に視線をずらした。


「も、申し訳ありませぬ。つい……」


 恐縮しきりのテルシスに、輝星は思わず噴き出した。


「俺もテルシスとキスをするのは好きだよ、気にしないで」


 その言葉に、テルシスはぞくぞくと背筋を震わせた。口からは、厚い息が漏れる。その様子を見て、ディアローズはニィと笑った。


「キスごときで何を欲情しておるか。まったく……この戦いが終われば、キスなぞ児戯に思えるような凄いこともできるのだぞ?」


「も、もっとすごい事……!」


 その発想はなかったと言わんばかりの様子で、テルシスは輝星をまじまじと見た。普段の彼女からは考えられないような、じっとりとした性的な視線だった。背筋がぞわぞわしてしまった輝星は半目になって、ディアローズを睨みつける。


「ふ、夫婦めおとになるとはそういうことだからな」


 そう言ってから、ディアローズはコックピットハッチの方を指さす。 


「わかったら、さっさと出ていくのだ。"凄いこと"をしたくば、せいぜい頑張ってこの男を守ることだな」


「言われなくとも!」


 背筋をまっすぐにして、テルシスはキリリと表情を引き締めた。そこだけ見れば凛々しい麗人だが、すでにひどく情けない所を見ているので手遅れである。


「お手数をお掛けして申し訳ありません! それでは!」


 そのまま彼女は、コックピットから飛び出していった。残された輝星は、ぽかんとしつつシートに再び腰を下ろした。嵐のような女だと、顔を引きつらせる。無言のまま、ディアローズがコックピットハッチを閉鎖した。


「ご主人様」


「何?」


 振り向いた輝星を見て、ディアローズはにこりと笑った。そのまま、額に優しくキスする。


「"凄いこと"に関しては、わらわも期待しておるからな」


「……善処するよ」


 輝星は眉根に皺を寄せながら、神妙な声で答える。戦いに生き残ることが出来ても今度はベッドの上で死にそうだと、彼は半ば本気で思ってしまった。

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