第二百十三話 来襲
「敵、まだ来ないな……」
漆黒の宇宙空間にふよふよと漂う皇国軍ストライカーのコックピットで、若いパイロットが呟いた。作戦予定宙域に到着して、すでにかなりの時間が経過している。
帝国艦隊がこの星系に突入したという報告はあったが、すでに戦場は妨害電波で満たされおり索敵装置の類はほぼ使用不能になっていた。これでは、どのタイミングで敵が仕掛けてくるのかさっぱりわからない。
「まさかとはおもうけど、私たちを無視してこの星系を素通りする気なんじゃ……」
「はっ、そんなワケあるかよ」
皇国パイロットへ言い返したのは、ヴァレンティナ派のパイロットだった。顔をしかめながら、皇国兵はちらりとすぐそばにいるその機体の方を見た。敵機として見慣れた"ジェッタ"だが、特徴的な真紅の塗装の上から一本の白いストライプが引かれている。一目で味方と見分けるための工夫だ。
「そくざにこっちが追撃をかければ、連中の背中が突かれることになる。素通りなんかするくらいなら、正面から戦闘を仕掛けた方が圧倒的にマシだ」
「そりゃあ、そうだけど……」
いつ敵が来るのかわからないような状況で待機を続けていると、かなりの重圧を感じる。黙ったままだと、プレッシャーに押しつぶされそうだったのだ。皇国兵はため息を吐き、周囲を見まわす。
漆黒の布地にビーズをばらまいたような星空と、背後に浮かぶ巨大な雪玉めいた惑星……ガレアe。神秘的な光景だが、宇宙軍の兵士にとっては見慣れたものでしかない。不安を紛らわせるには、いささか物足りない。
「なんだよ、ビビってるのか?」
ヴァレンティナ派の兵士がからかうような口調で言った。元帝国兵である彼女らは、皇国軍の兵士たちに比べて実戦経験豊富だ。そのせいか、声には余裕らしきものが伺える。
「……ビビってない」
「強がらなくていいんだぞ? 怖いなら、あたしらの後ろに隠れてりゃいい。ハハハ……」
「こ、この……!」
皇国兵は瞬時に沸騰した。が、コックピットのコンソールにテープで留めた写真が目に入り、飛ばしかけた罵声が止まる。そこに映っていたのは当の皇国兵と、はにかんだような微笑を浮かべた気弱そうな青年だった。二人は肩を組み、親密そうな様子がうかがわれる。
「……ふん!」
「なんだよ、ツマンネぇな」
舌打ち混じりに、ヴァレンティナ派兵が吐き捨てた。彼女も、プレッシャーを持て余しているのかもしれない。自軍の三倍以上の敵が接近してきているというのに、冷静沈着でいられる兵士などそうはいないだろう。
「あたしは絶対に生きて帰らなきゃいけないの! あんたなんかに構ってる暇はないっての!」
「なんだよ、男でも待ってるのか?」
「当然!」
胸を張って答える皇国兵。ヴァレンティナ派の兵士はひどくげんなりした表情になった。当然のことながら、彼女は現在(ついでに言えば過去も)フリーである。そもそも、彼氏や夫がいるような身の上ならば反乱などするはずもない。
「チッ!」
先ほどのものとは比べ物にならないほどの感情が込められた舌打ちだった。皇国兵は留飲を下げた様子で鼻から息を吐いた。
「あたし、この戦争が終わったら結婚するのよ。なんだったら、アンタも招待してあげようか?」
「こ、この、調子に乗りやがって……!」
憎々しい声を上げたヴァレンティナ派の兵士だったが、突如としてコックピットに警告音が響き渡った。一瞬にして表情を引き締め、操縦桿をきゅっと握る。
『高熱源体接近。数、多数』
「全機、
無味乾燥な声音のAI音声の報告と、隊長機から発される緊迫した命令が、ほぼ同時にパイロットたちの耳朶を揺すった。慌てて操縦桿を引き、スロットルを全開にする。
その数秒後、無数の真紅の火線が漆黒の宇宙を切り裂いた。軍艦の主砲級のブラスターカノンだ。遠距離から放たれたそれは精密な照準などされていない牽制射撃だったが……それでも数は極めて多い。一瞬遅れて、戦場でいくつもの爆発が上がる。
「うっ、くそ、やっと仕掛けてきやがったか!」
ヴァレンティナ派の兵士は複雑で巧みな回避機動を取りつつ、無作為に飛来する粒子弾を回避した。そこで、ふと見覚えのある皇国機が目の前を通り過ぎるのを見た。先ほど会話していたパイロットの機体のようだ。半ば反射的にその機体を目で追うと……。
「ッ……!」
真紅の極太ビームに機体を射貫かれ、一瞬でその装甲が蒸発した。少し遅れて、大爆発が起きる。しかし、真空の宇宙では、その爆発音も衝撃波もこちらには響いてこない。悲しいほどの、静かな死。ヴァレンティナ派の兵士は、ぎりりと音がするほどに強く歯を噛み締めた。
「艦船クラスの質量体を感知! 数、極めて大! 帝国艦隊本隊と推定される!」
「ストライカーと思わしき機影が多数接近中! 全機、迎撃を開始せよ。
にわかに騒がしくなった無線の音声が、いやおうなしに精神を戦場モードに切り替えさせた。今は死者を悼んでいる暇などない。ヴァレンティナ派の兵士は、険しい顔でフットペダルを踏み込んだ。
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