第二百二話 乾杯
「いやあ、ありがとうねー! 輝星君のおかげで話が簡単に進んだよぉー」
その日の夕方。輝星とフレアは例のホテルに併設されたレストランの個室に居た。狭くはあるが圧迫感はないそのお洒落な部屋の中には、二人以外の人間の姿はない。ディアローズは嫌がるノラを強引に引き摺ってほかの個室に入って行ってしまった。フレアに気を使ったのだろう。
「いや、ははは……うまくいって良かった」
今回の件に関しては、輝星は釣り針にくっついた餌以外の役割はなかった。交渉に関しても、ただ顔を見せるために席に座っていただけだ。それを考えると、喜ぶより先に苦笑が出t毛しまう。そんな彼の様子を見て、フレアは頬を掻いた。
「いや、本当にごめんねえ? 輝星君に負担をかけているのはわかってるんだけどさー……」
「いや、もう身内みたいなものだからそれはいいんだけどさ……」
これ以上こんなことが続けば身が持たないが、しかし過ぎてしまった事でもある。輝星としては、エレノール調略の件で文句を言うつもりはなかった。今気になっているのは、別のことについてである。
「本当に結婚するの? フレアも……」
「う、うん……」
フレアは頬を赤くして、テーブルの上で自分の指を弄んだ。視線は、明後日の方向へそれている。
「輝星君はさ、たくさんの人と婚約状態にあるけど……そのほとんどが元帝国の人じゃない? 政治的なバランスを考えると、皇国人が二人だけっていうのはちょっと不味いよねー……」
目をそらしたまま、フレアは言い訳じみた声音で言う。そしてクスリと笑って、視線を輝星に戻した。
「というのが、建前」
「た、建前……」
「本当はね、私……初めて会った時から狙ってたんだよ、君のこと。いわゆる、ひとめぼれってやつでさー……」
「そ、そうなんだ……」
シュレーアにも同じようなことを言われたことを思い出して、輝星は赤面した。双子だけあって、やはりその辺りは似ているのかもしれない。
「とはいっても、最初から連婚狙いだったから……ちょっと情けないねー。実は、シュレーアちゃんを焚きつけたりしてたんだよー? 効果があったかどうかは、ちょっと怪しいけどさー」
そう語って、フレアはまた目をそらした。頬をやや膨らませ、恥ずかしそうな表情をしている。
「お義姉さんと結婚するの、嫌? 北斗君は……そうじゃないなら、私とも結婚しちゃおうよー。今私のことが好きじゃなくても、好きになって貰えるように努力するからさー……」
この手の質問をされて、嫌と言えたためしがないと輝星はため息を吐いた。もちろん、今回の答えも決まり切っている。
「嫌じゃないよ。あのシュレーアのお姉ちゃんなんだし」
「んふ、今はまだそれでいいよー。すぐに、シュレーアちゃんとは関係なく好きになって貰うからさー」
案外、フレアはなかなかの自信家らしい。彼女の笑みにつられるようにして、輝星も薄く笑った。そこへ、ノックの音が聞こえてくる。個室に入ってきたのは、シルバーのトレイを持ったウェイトレスだ。ウェイトレスは上品な所作で、二人の前にカクテルグラスを置く。食前酒のようだ。
「ああ、ごめん。俺はまだ未成年で……」
グラスに注がれた白ワインのような色合いの液体を見つつ、輝星が手を左右に振る。
「いや、それはシュレーアちゃんから聞いてるけどねー? 北斗君って十九歳でしょー?」
「そうだけど……」
「うちの国では、成人は十八からなんだよねー。だから大丈夫だよー」
ニヤリと笑って、フレアはそう言い切った。輝星は若干、困ってしまう。法律上問題なくても、男を泥酔させて云々、という事件はヴルド人社会ではままあることだからだ。
「初めてでも飲みやすいカクテルをチョイスしたからさー? ねっ?」
「……じゃあ、頂きます」
まあ、一応結婚を約束した相手である。そのような狼藉を働くことはないだろうと判断し、輝星はグラスを手に取った。
「良かった。それじゃあ、乾杯しようねー」
嬉しそうにフレアが言い、グラス同士をこつんとぶつけあった。輝星が恐る恐る口を付けてみると、案外美味しい。ジュースのような爽やかな甘みがあり、飲みやすかった。
「ああ、いいかも」
今度は気持ち多めに、もう一口飲む。ふわりと、胃の奥が暖かくなるような感覚があった。
「気を付けなよー? こういうお酒は飲みやすいけど、だからこそ飲み過ぎてあっというまに酔っぱらっちゃうんだよー」
グラスをテーブルに置きつつ、フレアは悪戯っぽい表情で指摘した。これでも彼女は結構な酒好きなので、アルコールとの付き合い方はそれなりに心得ている。せっかくの機会なので、輝星には楽しく飲んでもらいたいと考えていた。
「うん、気を付けるよ」
そう言いつつも、輝星はさらに一口飲んだ。二人っきりということで、やや緊張してのどが渇いていたのかもしれない。さっそくアルコールが効いてきたのか、頬が若干赤くなっていた。フレアは内心に湧き上がる不埒な感情を押さえつつ、冷水の入ったグラスを輝星に差し出すのだった。
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