第二百三話 伏兵

 結局その後、輝星が巡洋戦艦"レイディアント"に帰ってきたのは夜もかなり更けてからだった。付き添ってくれたディアローズとノラとは自室の前で別れ、酒の入ったふわふわした心地のままドアを開ける。


「うわっ!?」


 自動で照明が点灯すると同時に、輝星は悲鳴じみた声を上げた。部屋の床の上に、テルシスが正座していたからである。彼女は見たことがないような思いつめた表情で、輝星を見つめる。


「わ、我が主……」


 かすれた声でそう言いつつ、テルシスはふらふらと立ち上がる。輝星はなぜテルシスがここにいるのか理解できず、固まったままだ。いざという時の護衛のためにと彼女に強弁され、合鍵自体は渡していたのだが……今の今まで、テルシスが輝星の部屋に勝手に入り込むことはなかったのだ。


「こ、これを……」


 そんな輝星に、テルシスは腰に下げていた長剣を鞘ごと手渡した。思わず受け取ったそれは、ズッシリと重い。何しろ真剣だ。


「これで拙者を斬ってください……拙者はもはやあなた様の騎士にふさわしくありませぬ……!」


「なんで!?」


 あまりに突然すぎる主張に、輝星の頭が真っ白になった。たしかに彼女は昨日キスしてから挙動不審な様子だったが、いくらなんでも殺してくれというのが物騒に過ぎる。


「うう、拙者は、拙者はぁ……! 昨夜……ううっ……!」


 そこまで言ったところで、テルシスの緋色の瞳からぼろぼろと涙がこぼれた。明らかに尋常な様子ではない。輝星は慌てて、彼女の手を引きベッドに座らせた。とりあえず落ち着かせなければ、まともに話もできそうにない。ハンカチで涙をぬぐってやりつつ、優しい声で語り掛ける。


「まあ、ちょっと待ってくださいよ。俺も帰って来たばかりだから、何がなんやら……」


 肩を優しく叩いてから、輝星は彼女から離れて部屋の隅の冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出した。コップ二つにそれを注ぎ、一つをテルシスに手渡す。本当はお茶かコーヒーでも出したかったのだが、輝星は不器用なのでそのどちらも上手く淹れられないのだ。


「申し訳ありませぬ……」


 それを受け取ったテルシスはコップを両手で持ち、ごくごくと飲み干した。のどが渇いているときの飲み方だ。かなり長い間、この部屋で輝星の帰りを待っていたのかもしれない。


「ええと、それで何があったんです? 昨日どうとか言っていたけど」


「そ、それは……」


 ひどく言いにくそうに、テルシスは視線を逸らした。そして少しして、意を決した様子で輝星に向き直る。


「せ、拙者は昨夜……我が主との口づけを思い出して……自分を慰めてしまったのです……」


「……自分を慰めた?」


 一瞬何を言っているのかわからなかった輝星だったが、すぐにソレに思い至って顔を引きつらせた。


「それって、その……そのままの意味のアレ?」


「…………はい」


 しばらく躊躇してから、テルシスは神妙に頷いた。そして、ふたたび涙をあふれさせながら、立ち上がる。


「あ、あの口づけを思い出すたび、腹の底がジンジンして……ガマンができなかったのです……! しかし、主に劣情を抱くなど、騎士の行いではない! もはや、死んで詫びるしかないのです! どうか拙者を斬ってください!」


「マジかよ……」


 女性にこんな告白を受けるのは、輝星としても生まれて初めてである。相手が生真面目なテルシスだから、その衝撃はすさまじいものがある。ある意味、ディアローズのマゾ性癖カミングアウトより驚いたかもしれない。

 とはいえ、輝星としてもこんなくだらないことでテルシスが死んでしまうのは困る。酒のせいで判断力が鈍っていることもあり、輝星は即座に決断した。


「まあ、座ってください」


「し、しかし」


「座って」


「はい……」


 不承不承、再びベッドに腰を下ろすテルシス。輝星は無言で彼女の前に立つと、おもむろにその唇を奪った。


「んっ……!?」


 突然のことに、テルシスは対応しきれない。一瞬彼の身体を引き離そうとしたものの、すぐに目をトロンと蕩けさせる。やがて、彼女はそっと彼の身体に手を伸ばし、キスをしたままぎゅーと強く抱きしめてしまった。


「……」


 キスは数分間続いた。もちろん、唾液を交換すると大変なことになってしまうため、舌を入れたりはしない。それでも、輝星が唇を離した時にテルシスは露骨に残念そうな顔をしていた。


「……俺たちは主従かもしれないけど、それと同時に夫婦にもなる身じゃないですか。だったら、相手に劣情を抱いたって何の問題もないですよ」


「それは……」


 何か言い訳しようとしたテルシスだったが、即座に輝星がその口を唇でふさいだ。こうなればもう、テルシスは黙るしかない。口を離すと、彼女はごくりとつばを飲み込んだ。


「俺だって、実は……テルシスさんの身体で興奮してるんですよ。お互い様じゃないですか」


「えっ」


 普段の彼ならこんなことは言わないのだろうが、初めての酒のせいで輝星は随分と酔っていた。おかげで、とんでもないことでもそのまま口に出してしまう。

予想だにしないその言葉に、テルシスは驚いた声を上げた。しかし、嫌悪感を覚えている様子ではない。むしろ嬉しそうな、ひどく興奮したような、そんな表情を浮かべていた。


「いいんですよ、キスだってなんだって、好きなだけすれば。それにその……俺で興奮してくれてるというのは、ちょっと嬉しいし」


「嬉しい……?」


「恥ずかしいは恥ずかしいんだけど……うん。少なくとも、ほかの男を想ってするよりは、よほどいいというか。むしろ、する・・なら俺のこと考えてほしいというか……」


 重婚しておいて独占欲など出すべきではないのだろうが、それは輝星の偽らざる本音だった。


「しょ、承知いたしました! 誓って他の男のことなど考えません!」


 が、テルシスはとても嬉しそうに何度も頷いた。そしてそれ以上に、興奮しているようでもある。発情したヴルド人特有の甘い体臭が、彼女の身体からふわりと立ち上がっている。


「で、ではその……大変差し出がましいお願いなのですが……」


 そしてその興奮と、主に受け入れられた喜びが、彼女にとんでもないことを口走らせた。


「しゃ、写真を……撮らせていただいてもよろしいでしょうか?」


「写真?」


「わ、我が主の……きわどい写真を……く、口づけも良いのですが、その他も気になってしまって」


 ちらちらと輝星の身体を見つつ、テルシスは言う。今の彼は、酒が入って体温が上昇した結果、ヴルド人女性から見ればかなり煽情的な服の着くずし方をしていた。


「……それを見て、その……するの?」


 が、輝星の方もアルコールと彼女のフェロモンのせいで大概興奮していた。色っぽい流し目と共に投げつけられたその疑問に、テルシスは顔を真っ赤にしてコクンと頷く。


「じゃ、しょうがないな……」


 笑って頷く輝星だったが、その後素面に戻った彼はしばらくこの発言を後悔する羽目になった。

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