第百九十九話 会談

 その後、輝星は幸いにもノラを呼ばなくてはならない事態だけは避けられた。もっとも、手をニギニギされる等のセクハラなのか判別しづらいボディタッチにより彼の精神力は随分と削られたが……。


「……」


 そういうわけで、午後になってから始まったファフリータ家の家宰との会談に出席した輝星は、ひどく憔悴した表情をしていた。会場としてセッティングされた大部屋の席に着きつつ、やっと解放されたと言わんばかりの大きなため息を吐く。


「いやー残念デスね。手を出してくれりゃ楽だったのに」


 輝星の隣の席に座ったノラが、不満げな表情で囁いた。冗談じゃないと、輝星は肩をすくめる。彼女の言葉には答えず、視線を前に向けた。対面では、エレノールが何とも言えない表情で輝星たちの方を見ている。彼女の視線は、隅の方の席に座るディアローズへ固定されていた。


「あ、あの、どうしてディアローズ様がいらっしゃいますの?」


 気になるなという方が無理がある。なぜか自軍の元トップが、敵に混ざって自分との交渉に参加しているのだ。


「まあ、後々説明する。今は気にするな」


 腕組みをしたディアローズは、その豊満な胸を張りつつ偉そうに応えた。


「それよりほれ、そちらの家宰が来たようだぞ」


 ディアローズがちらりと視線を向けた先には、大部屋の出入り口からこちらに歩いてくる礼服姿の老女の姿があった。傍らには、彼女を案内してきた皇国軍の情報部員の姿がある。


「フェルミ!」


 満面の笑みを浮かべて、エレノールが立ち上がった。その喜びに満ちた声を受け、老女が立ち止まる。


「ああ、お嬢様! よくぞご無事で!」


「もうっ! お嬢様呼ばわりはやめてほしいとなんども言っていますのに!」


 文句を言いつつもエレノールは老女に駆け寄り、優しく抱き着いた。老女の方も、拒むことなくそれを受け入れる。その目の端には、涙が浮かんでいた。


「お怪我はございませんか? きちんと食事は……」


「婆や、こんなところで……恥ずかしいですわ!」


 苦笑したエレノールに肩を叩かれた老女は、慌てて顔を上げる。そこには、薄く微笑んだフレアの姿があった。


「ああ、これはとんだご失礼を。私はファフリータ家の家宰を任じられております、フェルミ・レゲールと申します」


「カレンシア皇国第五皇女のフレア・ハインレッタです。今日はどうぞよろしくお願いします」


 フレアはニコリと笑いかけ、家宰・フェルミと握手をした。流石に真面目な場なので、普段の間延びした口調ではない。こうして普通の敬語を話されると、流石に双子だけあってシュレーアと区別をするのが難しいくらいだ。


「さあさあ、どうぞお座りください」


 そのまま彼女は穏やかな声で帝国の二人を対面の席に座らせ、自らも着座した。スーツ姿の皇国官僚がやってきて、フレアにいくつかの書類を手渡す。それを一瞥してから、フレアは再び視線をエレノールたちに戻した。形式的な挨拶をいくつか交わした後、早速本題に入る。


「それでは、予定通りエレノールさんの解放交渉を行うことにしましょう」


「ええ」


 捕虜にされたエレノールをさっさと返してもらうために家宰はわざわざこんな辺境の田舎までやってきたのだ。彼女に否はない。


「身代金に関しましては、相場より増額しても構わないと当主より言付かっております。ですから、出来るだけ早期の解放をお願いしたく……」


「その件なのですが」


 フレアはちらりとエレノールの方を見た。彼女は仕方なさそうに小さく頷く。輝星との縁談を断らなかった時点で、彼女も共犯関係だ。やるべきことは理解している。


「身代金は請求いたしません」


「……ほう」


 家宰の眉間に皺が寄った。余計な金を使わなくて済んだと喜んだりは当然しない。彼女も百戦錬磨の貴族だ。皇国が金では済まない用事をファフリータ家に頼もうとしていることは、すでに察していた。


「その代わり、我々をご支援いただきたいのです」


「……それは、情報や物資を横流しせよ、ということでしょうか?」


「いいえ、それ以上です。ファフリータ家には、我々の陣営に加わっていただきたい」


 そんなことできるか。表情こそ変わらなかったが、フレアには家宰の内心は手に取るように理解できた。わざわざ負け戦に付き合うようなもの好きはそうそう居ない。


「フェルミ、わたくしはこの地で帝国軍の暴虐を目にしました」


 しかし、ここで仕込みが効いてくる。ちらと輝星の方を見てから、エレノールが家宰に語り掛けた。女優のような、大げさな口調だった。

 最初こそ忠誠がどうのと言って寝返るのを拒否していた彼女だったが、結局腹を決めることにしたらしい。もともと、アホだが精神は高潔なのがエレノールという女性である。部屋に二人きりで放置された輝星が帝国軍の傍若無人ぶりを語ると、あっという間に憤慨して手のひらを返してしまった。


「罪もない民衆に対して砲を向けるなど、貴族の行いではありませんわ。わたくし、あの皇帝陛下にはほとほと愛想が尽きましたの」


「なんと……」


 面倒なことをしてくれたなと、フレアを睨みつける家宰。しかし、この策を打ったのは彼女ではない、ディアローズだ。フレアに促され、ディアローズがにやりと笑う。


「ところでフェルミ殿、突然だがわらわの顔に見覚えはないか?」


 ずいと身を乗り出して聞くディアローズに、家宰は何だこいつはと疑問の目を向けた。そして、表情を凍り付かせる。帝国の貴族であれば、彼女の顔に見覚えがないなどということはあり得ない。何しろ次期皇帝だ。


「あ、貴女様はディアローズ殿下……! なぜこのような所に……!」

 

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