第百九十八話 篭絡(2)
「え、ええと、その……」
突如湧いた自分の婚姻話に、エレノールの興味はしんしんだった。その真っすぐな視線を受けて輝星は冷や汗を垂らしつつ頭を下げる。
「あらためて申しますと。俺は北斗輝星、傭兵です。どうぞよろしくお願いいたします」
「ああ、わたくしったらはしたない。こちら側の自己紹介がまだでしたわね」
ノラの結婚宣言が衝撃的過ぎて、それどころではなかったのである。エレノールは照れたように一瞬目をそらした。
「わたくしはエレノール・アル・ファフリータ。栄光あるファフリータ家の五女にして四天が一人、"天雷"ですわ。こちらこそよろしく」
戦場では何度か顔を合わせているとはいえ、生身では初対面である。両者とも、緊張したような面持ちだった。この面会が実質的にお見合いのようなものであることは、エレノールもすでに察していた。
「しかし、まさか"凶星"がこのような可憐な方だったとは。男性とは聞いていましたが、さすがに驚きましたわ」
「ははは……」
よく言われるが、可憐呼ばわりされても輝星としてはあまり嬉しくない。笑って誤魔化した。
「しかし、輝星さんとしてはよろしいのですか? わたくしと連婚するというのは。ほんの先日までは、砲火を交える間柄でしたのよ?」
「それは……ノラとも同じことでしたし。それに、貴女の話はノラからよく聞いていました。信頼できる、貴族の鑑のような方だと。だから、そんなあなたと結婚できるのでしたら、光栄な話ではないかと……」
無論、嘘八百である。ノラはエレノールのことなど完全に頭から抜け落ちた様子で遊び惚けていた。それでもこう言ったのは、ディアローズの入れ知恵だった。
「へえ、ふーん。ふううううん?」
そしてそのディアローズの戦術は、エレノールに対しててきめん有効だった。彼女はおどろくほど嬉しそうに、ノラのほうをチラチラとみる、ノラは照れたように目をそらす。やはり演技がうまい。
「しかしわたくしも貴族の身。そう簡単に結婚を決めることはできませんわ。少し、お手を貸していただけます?」
「手を?」
何のことかわからないが、輝星はおとなしく右手をエレノールに差し出した。その白く細い手を見て彼女は小さく息を漏らし、両手でそれを包む。そのまま、彼の指を握ってみたり、手の甲を擦ったりした。さすがにくすぐったさを覚えて、彼は頬をぴくりとさせた。
「……」
何これ、と聞きたげな様子で輝星はノラの方を見る。ノラは無言で首を左右に振った。彼女にもいまいちわからないらしい。
「へえ、ほう」
そんな彼らを無視して、エレノールは輝星の手のひらと自分の手のひらどうしをくっつけて大きさを比べてみた。身長はほとんど変わらない両者だったが、手の大きさはややエレノールのほうが大きい。
輝星はそれにややショックを受けたが、エレノールは満足そうな顔で輝星の手を握ってみる。指と指を絡め合う、いわゆる恋人つなぎというやつだ。
「いいですわね?」
何が、と聞く暇もなくエレノールは手を離して立ち上がった。そのまま、彼の横へと歩み寄って席を立つよう促す。
「失礼しますわ」
立ち上がった輝星を、エレノールはぎゅーっと抱きしめた。彼女の豊満な胸が輝星の薄い胸板に当たってむにゅりと潰れる。驚くべきことに、感触からしてディアローズより大きい。かなりの巨乳だ。輝星の心拍数が跳ね上がったが、エレノールは気にする様子もなく彼を抱きしめ続けた。
「……」
しばらく、輝星はエレノールに抱き着かれていた。しかしノラのじとーっとした視線に気づき、彼女はこほんと咳払いしつつ体を離す、いつの間にかエレノールの顔は赤く、息は荒くなっていた。いささか性的に興奮しているようにも見える。
「ぐっどぐっど、合格ですわ。このお話、お受けいたしましょう」
「ええ……」
輝星は困惑した。お見合いと言えば普通、お互いにいろいろな話をしてから決めるのが普通ではないだろうか。
「あの、俺の家柄とか経済状況とか性格とか、そういうのは聞かないんですか?」
「あなたの家柄やら経済状況やらには興味がありませんわ。わたくし、家柄は最高だしお金もたっぷり持っていますので、男性にそんなことは求めませんもの。それに、性格の方もノラちゃんに好かれているのだから、大丈夫でしょう」
エレノールはどや顔でふふんと豊満な胸を張った。
「じゃあ、さっきのは?」
「手の握り心地と身体抱き心地を確かめていましたの。男女の関係になれば、毎日手は握るだろうしハグもするでしょう? ここが気に入らない相手なら、一生を添い遂げることなどできませんわ」
「そ、そうなんですか……」
どうもエレノールは、スキンシップを重視するタイプらしい。しかし、ヴルド人はやたらと結婚を即決する者が多いなと輝星は困惑した。
「好みの獲物を見つけたら、即座に飛び掛かるのがヴルド式なのデス。躊躇してたら、逃げられて一生未婚デスよ」
「刹那的な生き方だなあ……」
昨日のシュレーアの言葉にしろそうだが、文化のまったく異なる
「これでワタシたちは姉妹デスね!」
「そうですわね、ノラちゃん。ふふ、まさかあなたとこんな関係になるとは、思いませんでしたわ」
ご満悦の様子のエレノールに、ノラはさらに笑みを深くした。
「じゃあ、これでエレノールお姉ちゃんも味方デスね! ワタシたち、これから帝国との決戦が控えてるんデスけど……まさか妹に銃を向けたりしないでしょうし」
「ん? ……あっ!」
ヴルド人的価値観で言えば、重視すべきなのは国家への忠誠ではなく義理であれ家族に対する情である。ノラと夫を共有する以上、エレノールは皇国側に付くほかない。そのことに初めて気づき、エレノールは茫然とした表情を浮かべた。
「それと、午後からファフリータ家の家宰さんがくるらしいので、そっちの説得もヨロシク!」
「え、ええっ!?」
思わずノラに手を伸ばすエレノールだったが、彼女はそれをひょいと避けた。そして輝星のフライトジャケットのポケットに何かをこっそり突っ込みつつ、言う。
「じゃ、ワタシはこの辺で。輝星サンは残していくので、あとはご自由に親睦でも深めておくデス!」
そう言って、ノラはあっという間に部屋から出て行ってしまった。残された輝星は、エレノールをちらりと見て冷や汗を垂らした。これは、台本にはない行為だった。
「……えっ!? マジですの」
エレノールもエレノールで、ノラが去っていった方向と輝星を交互に見る。そして深い深いため息をついてから、ちらりとベッドの方を見る。
「ま、まあ言っちゃったものは仕方ありませんわね。ここはノラちゃんの言う通り、親睦でも深めるとしましょうか。……ベッドで」
「で、出会って数分でそれはちょっと……」
「だ、大丈夫ですわ! 優しくするので!」
「いや、その理屈はおかしい」
明らかに発情した様子でハァハァと荒い息を吐くエレノールを見て、輝星は身を固くする。なんて女と二人っきりにしてくれたんだと思いつつも、ノラが自分のポケットに突っ込んできた者をそっと出してみた。メモ帳の切れ端だ。
そこに書かれていた文章は、ごくシンプルなものだった。『襲われたら大声で悲鳴を上げること。すぐ助けに行く』……どうも、盗聴器かなにかを仕掛けているらしい。確かにノラは最初、エレノールに輝星を襲わせて弱みを握る作戦を押していた。その作戦は、まだ生きているらしい。その汚いやり口に、輝星は小さくため息を吐いた。
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