第百八十九話 貴族の結婚事情(2)
「まあ、そもそもその皇子とやらが政略結婚できるような状況だったとしてもデスよ? まず第一にエレノールサンをたぶらかす必要があるわけじゃないデスか」
暗くなった空気を振り払うように、ノラが軽い口調で言う。そもそも、この案はエレノールが寝返る気になってくれなければ成立しないのだ。アオ皇子との見合いをそのまま彼女に提案したところで、帝国を裏切ろうという気分にはならないだろう。
「その皇子サマに、そんなはしたない真似が出来るかというと、難しいんじゃないんデスか? その点、輝星サンは適任デス。なにしろ、すでに何人もの帝国軍人を寝返らせている実績がありますから」
「事実だけどそこはかとなく傷つくなあ!!」
輝星としては、特別誘惑しているようなつもりではない。気づいたらこんなことになっていたのだ。俺は悪くないと言わんばかりの表情で、ノラを軽く睨む。
「というかさ、そのエレノールって人がこっちについてくれなきゃ不味いってほど、戦力的には不味い状況なの? もしそうじゃないなら、そんな汚い手はあんまり使いたくないんだけどさ」
敵を誘惑して味方にするなど、はっきりって邪道の類だ。その上自分が汚れ役になるのだから、輝星が嫌悪感を覚えるのも当然だろう。しかし、シュレーアはひどく申し訳なさそうな表情で彼に頭を下げる。
「情報部からの情報が確かなら、帝国軍は動員可能なすべての戦力を動かしているようです。いくら輝星さんが大活躍したところで、その間に我々の本隊は壊滅していますよ。普通なら、即座に無条件降伏するレベルの戦力差といっていい」
「そ、そんなに……」
絶望的な戦力差の中、あきらめずにここまで戦ってきたシュレーアがそこまで言うのだから、事態は思った以上に深刻だと輝星は顔を強張らせる。口をへの字にして、彼は考え込む。
「……」
「内密ですが、幸いテルシスさんのご実家であるメルエルハイム家からの全面的な支援は取り付けています。そのほかにもいくつか有効そうな策の準備はしていますが……」
ちらりと、シュレーアはディアローズを一瞥する。彼女は軽く笑って、肩をすくめた。
「とはいえ、それでも打てる手があれば何でも使わなければ、勝ち目も見えないような状況です。こんなことは言いたくありませんが、輝星さんにも協力していただくほか……」
そう語るシュレーアの表情には、悔しさと無力感がにじんでいた。むうと、輝星が小さく唸る。そして小さくため息を吐いた。
「わかった、わかったよ。腹はくくった、勝つためならなんだってやってやる」
「本当に申し訳ありません。このご恩は、戦後に必ずお返しいたします……!」
強い口調で言い切るシュレーアの目には、確かな決意の色があった。それを見て、ディアローズが薄く笑う。
「よかろう。では、出来るだけ早くエレノールと会えるように手配してくれ。ファフリータ家の家宰の方もな」
「何か考えが?」
「うむ。ノラ、確か貴様はエレノールと仲が良かったな?」
突然話を振られたノラは、若干顔を引きつらせた。
「オトモダチだったわけじゃないデスよ。向こうが一方的に説教してきたり、よくわからないプレゼント押し付けてきたり……正直、ワタシはあの人は苦手なんデスけど」
「貴様の感情などどうでもよいのだ。
「本当、悪だくみだけは得意デスね。アナタ……」
呆れた顔をするノラだが、この手の策謀ならディアローズがピカイチであることは理解している。肩をすくめて、それ以上は言わなかった。
「エレノール氏自体は、皇都のホテルで軟禁状態であります。会いに行くだけなら、明日にでも大丈夫かと」
手元の端末で情報を確認しながら、ソラナが答えた。エレノールは現在、皇国軍の捕虜になっている。といっても、相手は高位貴族だから、普通の監獄に放り込んでおくわけにもいかない。結果、高級ホテルに閉じ込めるという穏当な措置が取られていた。
「では、午前中にエレノール、午後にファフリータ家の家宰と会えるようセッティングしておいてくれ。それから、シュレーア。この件には、出来れば貴様にも同行してもらいたいのだが……」
「無理であります! 殿下はムリ!」
シュレーアの代わりに、ソラナが叫んだ。それを聞いたシュレーアは苦虫をかみつぶしたような表情になる。連日連夜の執務漬けには、彼女も嫌気がさしているのだが……。
「皇族の同行が必要だというのなら、確かフレア殿下が今日帰国予定のハズ。そちらにご足労願えばよろしいのでは?」
「フレア殿下というと、シュレーアのお姉さんの?」
輝星とも面識のある人物だった。皇国軍の補給を一手に取り仕切る、シュレーアとそっくりの容姿をした明るい女性である。
「その通りであります。あの方は頭も切れるでありますからな。交渉事となれば、シュレーア殿下以上に頼りになるであります」
「か、仮にも上官に対してなんてひどいことを……」
さらりと飛び出した暴言にため息を吐きつつも、シュレーアは頷いた。
「外交回りから返って来て早々面倒ごとを頼むのは気が退けますが、致し方ありませんね。連絡しておきます」
「良かろう。ではこちらは、ご主人様と
「わかりました、お願いします」
頭を下げて、シュレーアは言った。元敵の総大将にここまで頼るのはどうかと彼女とて思っているのだが、ディアローズの頭脳は皇国軍の誰よりも有能だから始末に負えない。裏切られた時が皇国の最後と腹をくくり、信用しようとシュレーアは考えていた。
「……おおっと、いけない。話し込んでいたせいで、時間が」
頭を上げ、ちらりと卓上の時計を見たシュレーアが顔を引きつらせた。
「話はこれくらいにしておいて、輝星さんとディアローズさんは移動の準備をお願いします。連絡艇はとうにスタンバイしていますからね」
「えっ、何の話!?」
いきなり連絡艇がどうのと言われても、輝星としては困ってしまう。彼は眉間に皺を寄せながら、ディアローズのほうをうかがった。ディアローズが自分の部屋を訪ねたのは、この件に関係しているのではないかと考えたからだ。
「説明していなかったのですか!?」
「する間がなかったのだ!」
慌てて椅子から立ち上がったシュレーアに、ディアローズが言い返す。シュレーアは額を手で押さえ、ため息を吐いた。
「ええい、仕方ありません。予定は詰まっていますから、詳細な説明は連絡艇の中でお願いします」
「仕方ないな……」
不承不承と言った様子で頷くディアローズ。
「え、なに? 俺、どこへ連れていかれるの!?」
困惑する輝星に、シュレーアはひどく同情したような目を向けた。猛烈な嫌な予感を覚え、彼の背筋が寒くなる。
「ええと、その……最初に謝っておきます、大変に申し訳ありません。ですが、我らの勝利には必須の作戦ですので……どうかご容赦を」
「な、なんなんだよぉ……」
物騒極まりない彼女の言葉に、輝星は泣きそうな顔になった。
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