第百八十五話 おねだり
「あー、ダレた……」
演習を終え、自室に戻った輝星は大きく伸びをした。シャワーを浴びたばかりのようで、彼の漆黒の髪はしっとりと濡れていた。
「ううーん、しかし久しぶりにストライカーを乗り回したなあ」
長期休暇のせいで、ずいぶんと長い間ストライカーから離れていた。休暇もいいが、やはりストライカーを乗り回すのが一番楽しいなと再確認する。
しかし、シュレーアらと結婚すれば否応なしに、コックピットに乗り込む機会は減るだろう。少しばかり、彼は寂しい気分になった。
「……」
無言で天井を見上げる輝星だったが、突然ノックの音が聞こえてきた。慌てて出入り口に向かい、来客者を確認する。ドア横のモニターに映し出されたのは、ノラとテルシスだった。
「はいはい」
すっかり"レイディアント"の住人と化しているテルシスはともかく、ノラの方はヴァレンティナの乗艦である"プロシア"に住んでいるはずだ。いぶかしみつつ、ドアを開ける。
「お、やっぱり部屋にいたデスね」
挨拶もせず、ノラは堂々と輝星の部屋に入り込む。その様子を見て苦笑しつつ、テルシスが一礼した。
「突然申し訳ありませぬ、我が主」
「暇してたからいいけどね、どういう要件?」
「いや、それが……」
困ったように、テルシスは首を左右に振る。
「拙者はノラ卿が我が主に用事があると聞いたので、ただ付いてきただけなのです。ノラ卿のことですから、二人きりにするとどんな狼藉を働くかわかりませぬゆえ」
「そこまでヘンなことはしないと思うけどねえ……」
スキンシップこそ多いノラだが、無理やり何かを迫ってくるというのはあまりない。少し笑ってから、輝星は来客用の椅子を指さした。
「まあいいや。とにかく、ゆっくりしてって」
頷いたテルシスは、おとなしく椅子へと腰を下ろした。輝星の視線が、ノラの方に向けられる。
「へへへ……」
彼の視線を真っすぐに受け止めたノラが、奇妙に笑った。なんだこいつと、輝星の額に冷や汗が浮かぶ。
「いやね、ワタシたちって婚約者になったわけじゃないデスか」
「……まあね」
書類はまだ提出していないものの、両者同意のうえで婚約届にサインしてしまった以上そういうことになる。しかし、いったいそれがなんだというのだろうか。輝星は静かに先を促した。
「でもね、ワタシってばキスするばっかりでキスされたことないなと、さっき気がつきまして。キスを貰いに来たのデス」
「あ、ああー……」
確かにノラからは何度かキスをされたが、こちらからは一度もしてない。ヴルド人のキスは額にするものだから、キスを交わすときはお互いの額に口づけするのが普通なのである。
「ノラ卿、そんなくだらない理由で我が主のお時間を……」
「くだらないってなんデスかー! スキンシップは大事なんデスよ! 身体が離れたら心も離れちゃう!」
呆れたような声のテルシスに、ノラは憤慨した。そして、ジロリと輝星を睨みつける。
「皇女やら、奴隷やら、サムライやらとはズッコンバッコンやってるんでしょ! それを禁止されてるんだから、キスくらいは連中の何倍もしてもらわなきゃ割に合わないデスよ!」
「艦に戻ってからは一回もしてないよ……」
一般兵に事が露見すれば大事になる。結婚の発表は、戦争が終結した後にするということになっていた。もちろん、艦内でのセックスなどできるはずもない。部屋は密室とはいえ、ベッドメイクなどは一般兵が行っているのである。
とはいえ、ノラの言葉にも一理ある。それに、額へのキスなら心理的な抵抗も薄い。なにしろノラは十四歳、しかも小柄で童顔と来ているので、それ以上のことをするのはさすがに辛いが。
「わかったわかった。そんな顔しないで」
ほっぺたを膨らませるノラに小さくため息をつき、輝星は優しく彼女の赤いメッシュの入ったグレイの前髪をかき上げた。露になった白い額に、そっと唇をつける。ノラが表情をふやけさせ、小さく息を吐いた。
「こんな感じ?」
十秒ほどして唇を離し、輝星は聞いた。対するノラは無言のまま、彼にしゃがむよう促した。彼女が何を求めているのは簡単に察せたので、輝星はおとなしくそれに従う。
「……」
輝星の額にキスを返したノラは、たっぷり三十秒以上唇をくっつけ続けた。やっとのことで解放された輝星の肩を、彼女はバンバンと叩く。それを見ていたテルシスが、少し不機嫌な顔になった。
「これこれ! これデスよ! 毎日やるデス!」
「ま、毎日かあ……」
「毎日デス!」
興奮気味に語るノラだったが、ちらりと椅子に座るテルシスの方をうかがった。彼女は嫉妬も覚えていない様子で、興味深そうに二人の様子を見ていた。婚約者同士のキスならば"狼藉"には当たらないらしく、止めにかかってくる様子はない。
「ああ、そうだ。ヴルド式もいいデスが、せっかく輝星サンは
「……えっ!?」
「サキサンから聞いたデス。
「ま、まじかあ……というかサキと普通にそういうセンシティブな話もしてるのね……」
十九歳と十四歳のキス。輝星の感覚からすれば、犯罪的だ。しかしここはヴルド人の国。この程度の年齢差なら、何の問題もない。キラキラしたノラの目に射貫かれ、輝星は口をへの字にした。しばし躊躇した後、彼女の頬を両手で包み、そっとその唇を奪った。
「~~ッ!」
大興奮の様子で、ノラが輝星の顔を両腕でガッチリとホールドし返した。荒いふんすふんすという鼻息が、輝星の顔に当たる。これでは、唇を離せない。端正で幼いノラの顔が鼻同士が触れ合うような距離にあるものだから、輝星の方までドキドキしてしまう。
唇をくっつけたまま、ノラが若干恨めしそうにテルシスの方をうかがう。彼女が居なければ、ノラはそのまま輝星の口に舌を突っ込んできたかもしれない。流石にそれは困るので、輝星は静かに安堵する。
「っはー! 凄い! これは凄い!」
三分以上たって、ようやくノラは輝星を解放した。唇をぺろぺろと舐めつつ、顔を真っ赤にしたノラがジタバタと暴れる。
「
「え、エロいんだ……」
「もっかい! もっかいしよ!」
普段の妙な敬語を投げ捨てたノラは、それはもう驚くほど大喜びをしていた。ここまで歓喜されると、輝星としても悪い気はしない。彼女の言葉に従い、もう一度唇にキスした。
「うへへへへ」
表情を蕩けさせるノラだったが、ふとテルシスがごく冷静な様子で自分を見ていることに気付いた。流石に、これは恥ずかしい。先ほどとは別の意味で頬を赤くするノラだったが、ふと思いつく。
「そうだ! テルシスサンも輝星サンと結婚するわけだから、同じようにキスしましょうよ。ワタシ一人じゃ悪いデスから!」
ニンマリと笑うノラの表情は、言葉とは裏腹に底意地の悪そうなものだった。自分と同じ興奮をテルシスに味合わせ、醜態を見せてもらおうという魂胆である。
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