第百七十九話 皇帝

 同じころ。ノレド帝国の宮廷では、尋常ではないほどの緊迫感が漂っていた。


「……」


 ノレド帝国皇帝、ウィレンジア・レンダ・アーガレインは、不機嫌さを隠しもしない表情で臣下たちを睥睨へいげいしていた。諸侯、官僚、大臣……並み居る臣下たちはことごとく、落ち着きのない様子で周囲をうかがっている。


「……」


 皇帝ウィレンシアは無言のまま、豪華絢爛な玉座のアームレストを指で叩く。そして、冷たい目つきで自らの眼前で平伏している若い軍務官僚を睨みつけた。


「つまり……カレンシア皇国に派遣した艦隊のうち、半数が余に反旗を翻したと。それはもう、確定なのだな」


「はい」


 震える声で、官僚は皇帝の言葉を肯定した。


「突如蜂起したヴァレンティナ殿下……いえ、ヴァレンティナは艦隊の半数を掌握し、カレンシア皇国軍と共謀してディアローズ殿下を排除いたしました。皇国軍と反乱軍はその後も協調関係を維持しているようでして……」


「敗者に殿下なぞつける必要はない。呼び捨てにせよ」


 自らのウェーブのかかった長い金髪をひと房つまみ、手の中でもてあそびつつ皇帝は言い捨てる。その声に、敗北を喫したディアローズ実の娘に対する心配の気持ちなど一ミリも含まれてはいない。帝国軍が敗れたという報告があったその日以降、皇帝は一度たりともディアローズの安否を確認しようとはしなかった。


「ヴァレンティナ風情が、この余にたてつくとはな。ずいぶんとナメられたものだ……!」


 憎々しげに、皇帝が吐き捨てる。その怒気に当てられ、若い官僚はぶるりと体を震わせた。


「一刻も早く、あの思いあがった愚図グズをギロチンにかけねばならん」


「そ、その……恐れながら、陛下。発言をお許しいただけますか?」


 軍人の一人が、青ざめた顔で挙手した。皇帝は鋭い目で彼女を見据えたが、無言で小さく頷く。


「諜報部の働きにより、ディアローズで……ディアローズの無事が確認されています。どうやら、皇国の捕虜になっているようです。救出のための特殊部隊の編制は完了しており、ご下命があり次第出撃させますが……」


 少数精鋭の特殊部隊を高速艇に乗せて皇国に派遣すれば、艦隊を派遣するよりもかなり早くディアローズを助け出せるはずだ。戦闘が本格的に再開する前に、ディアローズは助け出すべきだと軍部は考えていたのだが……。


「必要ない。このような簡単な任務にすら失敗する娘は必要ないからな。ヴァレンティナを捕縛するときについでに捕まえて、二人まとめて処刑してしまえば余計な手間がかからなくて良いだろう」


 皇帝の中では、すでにディアローズは亡き者として扱われていた。自らの命令を達成できない駒など捨ててしまうに限るというのが、彼女の哲学だった。死んでいるならそれはそれでいいし、生きているなら殺す。それだけだ。


「は……承知いたしました」


 不満の色がにじんだ声で、軍人は引き下がる。その様子をガラス玉のような瞳で眺めていた皇帝だったが、ふいにその視線を軍務大臣に向けた。


「軍の編成はまだ終わらぬのか。」


 いつもの流れだ。ディアローズ敗北の報が本国にもたらされて、すでにそれなりの日数が経過しているのだ。にもかかわらず皇帝は、飽きもせずにまったく同じ話題で官僚や軍人たちをいびり、軍務大臣をせっついている。


「諸侯軍の編成は完了しています。ただ……」


「傭兵か」


「はい。残念ながら、いまだ募集予定数に遠く及ばんでおらず……」


 傭兵など、普通は募集をかけた瞬間殺到するものだ。当然十分な報酬は用意しているし、いくつかのルートを通じてちゃんとした募集も出している。しかしなぜか、傭兵はまったく集まらない。これは相当に不可思議な現象だった。


「陛下、諸侯軍と皇帝軍だけでも敵軍を壊滅させるには十分な戦力です。あえて傭兵を雇用する必要などないのでは」


 諸侯の一人が、おそるおそる進言した。実際、皇国軍はしょせん小国の軍隊だし、反乱に参加した部隊も帝国軍全体から見れば大した数ではない。わざわざ傭兵で戦力をかさ増しする意味は、本来全くないのである。


「ならん。ただ勝つだけなど、敗北と同じと知れ。全力をもって、反乱軍を殲滅する。圧勝、完勝をもってこれを見せしめとせねばならんのだ。ヴァレンティナのような愚か者が、二度と現れぬようにな」


 余裕の表情でそう語る皇帝だが、これはあくまで建前だった。彼女は、皇国軍の隠し玉を恐れているのだ。確実に勝てるだけの戦力を、皇国には送っている。それが負けているのだから、なんらかの理由があるはずだ。

 もちろん、有名な傭兵である"凶星"が皇国に渡っているという情報は帝国もつかんでいた。しかし、たった一人の傭兵が戦況をひっくり返すなど、普通に考えればあり得ない。どこかの国が義勇軍でも出しているのではないかというのが皇帝の予測だった。どこの国がちょっかいをだしてくるのか分からない以上、少しでも戦力は増やしておきたい。


「これ以上募集が遅れるようなら、担当者をギロチンにかける。よいな?」


「は……はっ!」


 軍務大臣が冷や汗をかきながら敬礼した。この皇帝は、やると言ったら必ずやるのだ。大切な部下を、こんなくだらない事で失うわけにはいかない。彼女は慌てて部下に指示を出し始めた……。


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