第百七十五話 誘い出す
男とまともに手をつないだこともないサキにとって、男に抱かせてくれと頼むというのは極めて高いハードルだった。風呂から出た後即座に輝星のもとに向かったサキたちであったが、本題を切り出せないまま無駄な時間をしばし過ごすことになっていた。
「……」
パチンパチンと、宴会場に将棋の駒が盤を叩く音が響く。ディアローズとヴァレンティナが、飽きもせずに対戦しているのである。その小気味の良い音を聞きつつ、サキはちらりと輝星の方を伺った。
彼は畳の上にごろんと転がり、たたんだ座布団を枕にして眠っている。昨日一昨日と夜襲を受けた彼は随分と寝不足になっているようで、食事以外の時間はずっとうとうとしている。
「夜だけじゃなくて昼間も独占するなんて、少しゼイタクなんじゃないデスか?」
「しかし、貴女のその貧相な足では輝星さんも寝心地がわるいでしょう。ここは私の出番です」
そんな彼を挟んで、シュレーアとノラがバチバチと火花を飛ばしている。何をしているのかというと、輝星を膝枕する権利を争っているのだ。ヴァレンティナに余計なことが聞こえないよう小声で話しているが、両者とも目つきがかなり鋭くなっている。
「どうすっかな……」
誰にも聞こえないような声で小さくつぶやき、眉間に皺を寄せるサキ。こんな状況では、とても輝星に話を切り出すことなどできない。もっとも、二人きりの状況であってもまともに口説けるような自信はサキにはなかったが……。
「どうしかしたのか、そのような顔をして」
渋い顔でうなるサキに、テルシスが話しかける。彼女は中身の入った酒杯を片手に持ち、やや寄っているような様子だった。彼女も普段は昼間から飲酒するようなマネをする人間ではないのだが、結婚が決まったことで独り祝杯をあげているのかもしれない。
「いや、ちょっとな……」
ちらりと輝星の方を見て、サキは難しい表情で答えた。テルシスはそれで多少なりとも察したようで、酒臭い息を吐きながら頷く。
「なるほど、我が主のことか」
「まあな」
「あの二人が邪魔か」
上機嫌な様子で、テルシスはシュレーアとノラを指さす。
「……よくわかったな」
「ま、拙者とて木の股から生まれて来た訳ではないからな。多少はわかる」
にやと笑って、テルシスはサキの肩を叩いた。彼女自身、あまり惚れた腫れたを気にするタイプではないのだが……そんなテルシスでも察せるほど、今のサキはわかりやすい。
「ふむ、なるほど。……どれ、同じ剣の道をゆく者のよしみだ。少し手伝ってやろう」
そう言うなり、酒杯の中身をぐいとあおってテルシスは立ち上がった。そのままシュレーアら二人の元に歩み寄り、輝星を起こさないよう抑えた声で言う。
「二人とも、少し良いか」
「……なんデス? まさか、アナタまで輝星サンを膝枕したいなんて言うつもりじゃないでしょうね?」
不信感に満ちた目でノラがテルシスを睨みつける。彼女ほどあからさまではないが、シュレーアの方もあまり歓迎的ではない様子で目を向けた。
「いや、違う。少し頼みがあってな」
「……一応、聞きましょうか」
シュレーアが腕を組みつつ答えた。テルシスは朗らかに笑い、腰に佩いた剣をちらりと見せる。
「休みが続いたせいで、身体がなまっていないか心配になって来たのだ。練習試合に付き合ってもらいたくてな」
「エッ、な、なぜ私たちがそんなことを」
もちろんシュレーアも貴族であるから、剣術は修めている。しかし、何が悲しくてこんな時に練習試合などしなくてはならないのか。
「ほう、ほーう! いいじゃないデスか」
が、そうは思わない女がいた。ノラである。彼女は立ち上がり、無い胸を張りながら挑戦的な笑みを浮かべる。
「あ、ちょうどいいですね。じゃ、私は輝星さんを膝枕するので、貴女はテルシスさんと遊んできなさい」
そう言って手をひらひら振るシュレーアだったが、ノラは鼻を鳴らして彼女を手招きした。どうやら、内緒話がしたいらしい。仕方なく、シュレーアは軽くしゃがんだ。
「このエラソーな女を叩きのめすいいチャンスじゃないデスか! せっかく酔っぱらってるんだから、二人で囲んじゃえばよゆーデスよ!」
「……なるほど」
思い出したのは、覗きの罰として行われた正座地獄である。テルシスのせいで輝星の裸は拝めないわ、足の感覚がなくなるまで正座させられるわと酷い目に遭ったのは事実だ。確かに、少しばかりやり返してもバチは当たらないだろう。
「よし、相手になりましょう」
底意地の悪い笑みと共にシュレーアは立ち上がり、宴会場の出口に向かって歩き始めた。それについて行きながら、テルシスはサキの方へ顔を向けウィンクする。
「……チッ、借りが出来ちまったな」
なんにせよ、これで邪魔者は随分と減った。ヴァレンティナは居るが、将棋に熱中しているようなので隙はいくらでもある。サキはごくりと生唾を飲み込んでから、眠ったままの輝星の肩を叩いた。
「……ん、なに?」
目を覚ました輝星は、寝ぼけ眼をこすりつつサキの方を見る。その表情は疲れの色が濃く、サキの両親がチクリと痛む。しかし、ヤるなら今しかないのだ。勇気を振り絞り、宴会場の出口の方を指さす。
「ちょっと、内緒で相談したいことがあるんだ。ついて来てくれないか……?」
「……内緒、内緒ねえ。わかった」
明らかに挙動不審なサキの様子に嫌な予感を覚えた輝星だったが、結局少し考えてから頷いた。身体を軽く伸ばし、立ち上がる。
「た、助かる……」
顔を真っ赤にしつつ、サキは愛想笑いを浮かべた……。
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