第百七十一話 無謀な夢

 ディアローズの掲げる、ノレド帝国の皇帝になるという夢。これ単体であれば、シュレーアは勝手にしてくれと切り捨てていた。しかし、それと輝星との結婚がセットになっているとなれば、彼女としては否と言う他はない。


「だいいち、あの女に皇帝の器はありませんよ。そんな無謀な夢に、私の愛しい夫をつき合わせるわけにはいきません」


 シュレーアが肩をすくめ、大きく息を吐いた。ヴァレンティナはそれなりに有能な人間だが、ディアローズによく似てツメが甘い。その上、ディアローズのような智謀も持ち合わせていないのだ。大国を束ねる度量があるとは、流石に思えなかった。


わらわもそう思う。帝国がこのいくさに敗れれば、おそらく皇帝への信頼が揺らぎ諸侯が反旗を翻すはず。予想される壮絶な内戦の中で、あの間抜けが勝ちぬいていけるとはとても……」


 ヴルド人は簡単に反乱を起こす。国家が一つにまとまっていられるのは、そのトップに対する信頼と畏怖があってこそだ。小国相手に敗北する皇帝など、諸侯が認めるはずもない。


「なんにせよ、アイツは最終的に輝星を帝国本国に連れ帰る腹積もりなんだろ? あたしにしろ姫さんにしろ、輝星にゃ皇国に居てもらわなきゃ困る理由がある。アイツとあたしらの目的は、最初から相いれないんじゃねーか?」


 サキの指摘に、ディアローズは大きく頷いた。


「だろうな。|愚妹が帝位を目指すのであれば、本国からは離れられぬであろう。それにご主人様を同行させるのは、わらわとて勘弁願いたい。余計な政争に巻き込まれるのは目に見えておるからな」


「では、どうするのだ? お互いの要求が衝突している以上、妥協する余地はないと思うが」


 自分も帝国貴族だろうに、テルシスは自分は皇国側ですと言わんばかりの表情で言った。自分の家の領地は帝国内の混乱に乗じ、皇国に鞍替えでもするつもりなのだろうか? 彼女は帝国でも有数の大貴族の出なので、まあそれも不可能ではないだろう。今は単身皇国に出向しているものの、領地に帰れば皇国並みかそれ以上の艦隊戦力を指揮する立場にあるのだ。


「無論、そのような無謀な夢は諦めてもらう。そもそもわらわは、あの愚妹に政治の毒を飲ませたくはないのだ。責任のない立場で好き勝手やるのが一番楽しいと、ヤツには教えてやらねばならぬ」


「それって、もしかして今のあなたの奴隷としての日々のことです?」


「無論だ。今のわらわは、今までの人生の中で一番楽しい生活を送っている」


「それでいいのか奴隷生活……」


 呆れた様子でシュレーアは首を左右に振った。


「まあ、作戦としては簡単だ。とりあえず利害が一致しているうちは、協調して良いだろう。帝国軍の本隊に関しては、我々共通の敵だからな。皇帝を排除せぬ限り、現状の低い帝位継承権で皇帝の座を射止めるすべはない。まあ、要するに力による簒奪さんだつだな」


「逆に言えば皇帝を排除した瞬間から、我々と彼女の利害は衝突すると」


 利害とはもちろん、輝星の身柄のことだ。


「そうだ。そこでヤツはこちらに牙を剥いてくるハズ。そこを逆襲するのが、一番良いだろう。奇襲の最適のタイミングとは、敵側が奇襲を仕掛けようとした直前直後だからな」


「カウンターと同じ要領か。なるほど、悪辣じゃねーか」


「賢明と言え、賢明と」


 茶化したように言うサキに、ディアローズは肩をすくめた。


「最適のタイミングでカウンター攻撃を仕掛けるためにも、ヤツが余計なタイミングで暴発することは防がねばならぬ。我々の結婚の件は、それまで漏らさぬほうが良いだろう」


「ワタシたちに最愛の男が奪われたなんて知ったら、なりふり構わず強硬手段をとってきそうデスね……勝てないとは言わないデスが、決戦を控えた状況で内輪もめというのはよろしくない」


「あの女には一応、反乱に参加した帝国将兵がついているわけですしね。その戦力を失えば、我々に勝ち目はありませんよ」


 もっとも、そのヴァレンティナ派将兵たちも彼女のカリスマによって反乱に参加したわけではない。だから、ヴァレンティナが改めて皇国に矛を向けたところで、それに呼応するかはわからないが……。


「とはいえ、多少の危機感は与えておいても良いだろう。愚妹が楽観主義に陥り、なあなあになって我々を攻撃しなかった場合が一番困る」


「……んー、じゃあ、機会を見てなんか言っておくよ。戦争が終わったら、しばらく皇国でゆっくりするつもりだ……とかね」


 畳の上に伸びたまま、輝星が言う。そんな彼の背中に、ノラが乗馬の要領でまたがった。うへへと優越感にまみれた笑みを浮かべる彼女を、テルシスがむんずとつかんで放り投げる。


「暗に貴様にはついて行かぬと表明するのは良いな。それで行こう」


 ディアローズはパチンと指を鳴らした。


「暴発せぬ程度に焦らして、最適のタイミングでカウンターを決める。集団で叩きのめし、屈服させる! 作戦としてはこのような感じで良かろう」


「そこまでやって結婚させてやる義理、あるか?」


 半目になりながら、サキが聞いた。どう考えても、敵に対する対処法だ。剣を交える以上、危険も大きい。彼女としては、そこまでヴァレンティナに骨を折ってやる理由はないのだ。


「そうなのだがなあ……わらわとしては、妹を見捨てるのは嫌というか……。だいたい、わらわは実の母親と戦うことになるのだぞ! 妹の一人くらい、幸せにしてやっても良いではないか」


「……はあ」


 家族のことを出されると、サキもあまり強くは言えない。ため息を吐いて、輝星の方を見た。彼は小さく笑い、「まあいいでしょ」と頷く。


「俺の最後の戦場だ。ちょっとくらい難易度が上がったところで、ブチ抜いて見せるさ。なにしろ俺は"凶星"だからな」


「まったく、頼もしいことだ」


 皮肉ではなく、本音でディアローズは言った。戦場であれほど苦労させられた"凶星"が味方になるというのなら、こんなにありがたいことはなかった。


「今日のところは、これだけ決めておけば良いだろう。あまり遅くまで話し合っていると、愚妹が起きてくるやもしれぬ」


「そうですね。それに、今日で休暇も最後なわけですから……面白くない話を長々続けたくはありませんし」


「……えっ!?」


 シュレーアの言葉に、ディアローズが目を剥いた。


「言ってませんでしたか?」


「聞いてないぞ!」


「俺も…」


「あたしもだ」


「ワタシもデス」


「……すいません」


 どうやら、連絡不行き届きのようだ。シュレーアは両手を合わせ、申し訳なさそうに頭を下げた。


「明日の朝、軍から迎えが来る手はずになってます。朝食後すぐ出立でしょうから……遊べるのは今日までですね」


「こうしてはおられぬ! 風呂だ!」


 慌ててディアローズが立ち上がり、着替えをまとめ始めた。どうやら彼女は、ここの温泉をいたく気に入っていたようだ。休暇がこれで終わりというのなら、出来るだけ長く楽しんでやろうというつもりらしい。


「あ、待ってくださいよ!」


 昨夜さんざんに楽しんだため、シュレーアも今すぐ体を洗いたいような状況だった。急いで自分も風呂の用意をはじめるシュレーアに、昨日は女同士寂しくすごしたサキたちが何とも言えない冷たい目を向けるのだった……。




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