第百六十九話 チェックメイト

「腹は決まったか?」


 部屋に戻ってきた輝星を、サキがやや強張った表情で迎えた。輝星は静かに頷き、座卓に置かれたままになっていた婚姻届に自分の名前をサインする。


「戦場に出るのは、次で最後にする。でも、ストライカーはずっと乗り続けるよ。これは認めてほしい」


「もちろん」


 シュレーアが深く頷き、『妻になる人』欄の一番上にサインをした。ちなみに、ここに名前を記入した者が正妻として扱われるのが通例だった。サキが一番上に記入しなかったのは、腐っても一応主君なので正妻を譲らなくてはならないだろうと考えてのことだ。


「少し貸してくれ。拙者も書く」


「えっ、貴女も!?」


 輝星と一緒に入ってきていたテルシスが、横から婚姻届を奪った。困惑の表情で、シュレーアは彼女の顔をまじまじと見る。


「子種を頂く約束をしたのだ。ああ、心配することはない。そちらの結婚生活を乱すつもりはないからな。あくまで、書類上の体裁を整えるためだ」


「ええ……」


 すこし引いた様子でシュレーアはうめき、輝星の方を見る。しかし、彼はしなびた野菜のような顔でしなしなになっていた。旅館に来た時点では、まさか自分が結婚を……それも複数の相手とするなど、まったく予測もしていなかったのだ。それが急転直下でこんな状況になってしまい、さしもの彼も疲れ果てていた。

 流石に可哀想にも思えるのだが、シュレーア自身もほとんど強制といっていい力業で婚姻までたどり着いたのだ。自分だけいい思いをしておいて、他人を跳ねのけるというのも道理が通らない。不承不承、ペンをテルシスに譲る。彼女はさらさらと自分の名前をかき込んだ。


「うむ、よろしい。では最後はわらわだ」


 そう言ってディアローズが、テルシスからペンを奪った。サキがげんなりとした表情で彼女を見る。


「お前もかよ」


「ふん、誰のおかげでここまでこぎつけられたと思っておるのだ。奴隷身分にも結婚する権利はあるのだから、存分に行使させてもらうぞ」


 そう言われてしまえば、サキも文句は言えない。確かに、彼女の策がなければ自分たちは輝星を手に入れられなかったであろうというのは、簡単に予想できたからだ。

 

「では、これでチェックメイトだ。くふふ、今回はわらわの完全勝利のようだな」


 サインを終え、ディアローズは輝星をツンツンと突っつきつつ言った。彼は「ウーン」呻きながら畳に倒れ込む。それを見たディアローズはケラケラと笑い、輝星の背中にのしかかって胸を押し付ける。


「どうだ、人生の墓場に入った気分は」


「悪かないよ、悪か。でも疲れた……」


「くふふふふっ!」


 ディアローズ、大喜びである。そんな彼女を、あきれた様子のテルシスが引きはがして畳に転がした。その尻を、ぶぜんとした表情のサキが蹴る。


「いてっ! やめんか、女に蹴られても嬉しくないぞ! わらわは!」


 文句を言うディアローズに、輝星が苦笑する。すると、いつの間にか寄ってきていたノラがスススと一枚の書類を差し出してきた。


「ついでにこっちの記入もお願いするデス」


「なにこれ」


 先ほどの婚姻届と似た様式だが、また別の書類のようだ。半目でノラを睨みつける輝星に、彼女は至極楽しそうな様子で答えた。


「婚約届デス。これを使えばワタシが十六歳になると同時に自動的にアナタと入籍されるのデス」


 姉妹間の連婚で、結婚予定の妹がまだ十六歳に達していないときに使われる制度が、これだった。婚姻届けと同時に提出すれば、後々の手続きを省略できる優れモノだ。


「貴様、妙に協力的だなと思えばそんなものを用意していたのか……」


「ええ、そりゃあもちろんワタシもこの男は狙っていましたから。でも、報酬はちゃんと別に貰うデスよ」


「うむ、うむ、わかっておる。ちゃんと用意しておるから、安心せよ」


 通じ合っている様子のディアローズとノラに、サキとシュレーアがあきれた目を向けた。どうやらこの二人、結託していたらしい。


「……たしか今、十四歳だったよね?」


「ええ」


「十四歳の婚約者が出来たなんて言ったら、姉さんにシバかれそうだな……」


 ため息を吐いた輝星だったが、もうヤケクソである。婚約届にも、結局サインしてしまった。ノラがとても嬉しそうな顔で、それを奪い取る。


「むふふ、童貞をクソ女どもに譲った甲斐がありました。こうも簡単に上手くいくとは」


「くそぉ……」


 ディアローズの言った通り、今回の件では輝星が完全敗北したのは間違いない。ハーレムといえば人からうらやましがられそうだが、妙な敗北感を覚えずにはいられなかった。


「……そういえばさ、なんか結婚関係が凄いことになってるけど……苗字とかどうなるの?」


 ふと気になった様子で、輝星は聞いた。まさか自分がヴルド人と結婚する羽目になるとは思っても居なかったため、そのあたりの知識は全くないのである。


「この場合、他家間の連婚になりますから……輝星さん、いえ、輝星」


 伴侶の名前にさんをつけるのも親密さが足りないだろうと、シュレーアは名前を言いなおした。


「貴方の名前は北斗・ハインレッタ・牧島・メルエムハイム・アーガレイン・輝星になります」


「長いよ!?」


 要するに、シュレーア、サキ、テルシス、そしてディアローズの名字がそれぞれ結婚届の記入順に追加されるらしい。同一の姓を持つ姉妹間連婚ならば、こんなことにはならないのだろうが……。


「さらにワタシが十六歳になったら、そこにアルケイドが追加されるわけデス。ははは、クソ長い名前デスね!」


「うぉん……」


 再び、輝星は畳に突っ伏した。にやにやと笑いつつ、ディアローズがそんな彼の背中を叩く。


「しかしだ、ご主人様よ。肝心のことを忘れておるぞ」


「肝心なこと……?」


 これ以上、何があるというのだ。輝星は半目で彼女を見た。


「この場におらぬ者、つまりは我が愚妹のことだ。ヤツめ、自分だけ仲間外れにされたことを知れば、いったいどんな顔をするかな?」 


 その言葉に、輝星の顔が再び真っ青になった。

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