第百六十八話 コンプレックス
それから十分ほど後、輝星は旅館の談話室でひとり黄昏ていた。頭の中では、答えの出ない問題がグルグルしている。はっきり言えば、彼女らと結婚するのはやぶさかではない。シュレーアらと一夜を過ごしたことで、彼にもやや自信ができていた。ディアローズが手伝ってくれるなら、ヴルド人との性生活で死ぬこともまあないだろう。
「でも、傭兵をやめるってのはなあ……」
輝星は唸った。無職になるのは嫌だし、戦場から離れるのも嫌なのである。腕を組み考え込むが、やはり決断はできなかった。
「おや、我が主ではありませんか。おはようございます」
そこへ、声をかける者がいた。テルシスだ。彼女は木刀を携え、身体には汗が浮かんでいる。おそらく、外で素振りかなにかをした帰りなのだろう。
「あ、うん……おはようごうざいます」
元気のなさそうな彼の声に、彼女は片方の眉を上げた。廊下から談話室に上がり込み、輝星の隣に腰を下ろす。
「こんなところで、何をされてるのです?」
そう聞いてくる彼女からは、健康的な汗の香りがした。普通なら不快に思うかもしれないが、相手が異性というだけで妙に色っぽく感じるから不思議なものだ。輝星は煩悩を払うべく、頭を振った。おとといからの誘惑ラッシュで、まだ感覚がおかしくなったままなのかもしれない。
「いや」
反射的に誤魔化そうとした輝星だったが、すぐに思い返してテルシスに向き直る。
「ちょっと、相談したいことがあるんです。構いませんか?」
「ええ、もちろん」
最初からそのつもりだったため、テルシスは笑顔で頷く。彼女は戦闘バカだが、頭が悪いわけではない。察しは良い方なのだ。
「実はその……結婚を申し込まれたんです。しかも、複数人に」
「おめでたいことではありませんか」
これがヴァレンティナなら大慌てなのだろうが、テルシスは落ち着いた様子で答えた。複数人にプロポーズされることもヴルド人社会では珍しい事でもないので、違和感も覚えない。結婚を申し込んだ当人同士が納得していれば、そのまま連婚すればいいだけなのだ。
「ええ、有難いことですよ。俺ってば、わりとヘンな奴ですから……好いてくれるのはとても嬉しい。でも、結婚するなら傭兵は辞めてくれと、そう言われまして」
「なんと……」
これにはテルシスも驚いた。彼女の場合、輝星と同じ戦闘狂タイプなので彼の悩みは理解できる。
「なぜまた、そのような無体なことを」
「俺が危ない目に合うのは許容できないと」
「なるほど。拙者も全力を尽くして我が主を護衛するつもりですが、戦場に絶対はない……確かに、万が一ということもありましょう」
難しい顔をして、テルシスは唸った。
「我が主としては、戦場から離れたくはないわけですね?」
「ええ」
「ふむ……」
テルシスは腕を組んで考え込んだ。彼女としては、輝星と組んで戦うというのは楽しそうなのでぜひお願いしたいところだ。しかしそれはあくまで私情であり、輝星が傭兵を辞めるという決断をしたのならば、彼の騎士としてそれに従うつもりだった。
「……一つお聞きしますが、我が主はなぜストライカーに乗っているのですか?」
「ん? ……んー、それは楽しいから、かな」
「では、なぜストライカーに乗ると楽しいのでしょう?」
「……」
黙り込む輝星に、テルシスは続けて言う。
「拙者で言えば、戦場に出るのは己の力量を高めるため。そして、己より強い相手と戦い、自分の実力を試す。これが楽しくて仕方がないのです。我が主の場合は、どういう理由なのですか?」
「……俺は」
輝星は、意を決した様子でテルシスの目を真っすぐ見据えた。
「俺は、ストライカーに乗る以外は何もできない人間です。手先は不器用だし、頭も良くないし、体力もない。でも、ストライカーに乗りさえすれば……」
「誰よりも強い」
ニヤリと笑って、テルシスは言う。
「……俺が誰かに必要とされるのも、全力で誰かとぶつかり合うのも、ストライカーに乗っている間だけです」
輝星は、自分の長所がストライカーでの戦闘能力だけだと考えているのだ。戦うことには自信があるが、それ以外はない。パイロットであること、それ以外のアイデンティティを持ち合わせていないのだ。ストライカーから降りることは、自分の存在意義を捨てることになる。そう、無意識に思ってしまっていたのだ。
「だから……」
「二つ、我が主は勘違いしています」
そんな彼を、テルシスは優しい声で諭した。
「ひとつ。ストライカーに乗っていない今だって、あなたは誰かに必要とされています。なにしろ、求婚されているわけですからね。我が主の人生そのものが欲しいと、そう求婚者は言っているわけです。そこに、ストライカー云々は関係ありません」
「……」
「ふたつ。戦場を離れても、ストライカーには乗れます。テストパイロットや、
テルシスの言葉に、輝星は驚いたような表情で彼女を見据えた。その発想は、思いつきもしなかったものだった。
「……なるほど、確かに」
言われてみれば、簡単なことだった。腹を決め、輝星は立ち上がる。
「ありがとうございます。迷いが晴れました」
「では?」
「ええ。どうも、俺も年貢の納め時のようです」
その古めかしい言い方に、テルシスは笑った。そして、ふと思い出したように手を打つ。
「ああ、そういえば……ご結婚されるというのなら、拙者も一つお願いがあるのです」
「なんでしょう?」
気分が晴れた輝星は、笑顔で聞いた。
「身辺が落ち着いてからでいいので、拙者にも子種を分けていただきたいのです」
「……は?」
表情を凍らせ、輝星は聞き返した。テルシスは恥ずかしがりもせず、言葉を続ける。
「拙者も貴族ですから、世継ぎが必要です。そこで、我が主にお相手をお願いしたく」
「いや、だからってなんで俺なんです?」
これまで誘惑もセクハラもしてこなかったテルシスを、輝星はそれなりに信用していたのである。その信頼が完全に崩れかねない提案に、彼はややショックを受けている様子だった。
「拙者は恋だの愛だのはサッパリわからない粗忽ものですが、だからといって相手は誰でもよいというワケではありませぬ。孕むならば、貴方の子供が良い。拙者を完敗させた、貴方の子供が」
「……」
壮絶に微妙な表情になって、輝星はテルシスを見た。プロポーズじみた言葉であるが、当のテルシスは照れも恥ずかしがりもしていない。
「無論、拙者も籍に入れてくれとは申しませぬ。我が主の結婚生活をお邪魔する気はありませぬゆえ」
「俺に、未婚の母を作れと?」
勘弁してくれ、とでも言いたそうな様子で輝星は呻いた。
「むう……しかし、世継ぎはやはり必要なのです。姉や妹の子に家督を奪われるのは、拙者を推してくれた家臣たちに申し訳が立ちませぬ」
なんだかんだと言って、テルシスも根っからの貴族である。家のことに関しては、それなりの思いがあった。彼女が諦める様子がないので、輝星は深いため息を吐く。
「じゃ、一緒に来てください。もう、嫁が一人増えたくらいじゃ大して変わりませんから……」
「おお、かたじけない!」
歓喜の表情を浮かべるテルシスにもう一度ため息をつく輝星。しかし、増える嫁の数が一人では済まないことを、今の彼は知る由もなかった。
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