第百六十四話 誘い

「な、なんだよ……」


 明らかに腹に一物抱えている様子のディアローズに、輝星は身を固くして一歩引いた。思い出すのは、はりつけにされて鞭で打たれた時の記憶だ。いつの間にかすっかりなじんでしまっていたため忘れていたが、彼女には前科がある。


「ご主人様、奴隷にそんな気弱な表情を向けてはならぬぞ? 今のわらわはボタン一つ押せば首が飛ぶ儚い身、恐れることなど何もないのだからな」


 腕組みをしながらそんなことを言うディアローズだったが、その態度は偉そうなものでありとても奴隷の態度には見えない。


「俺がそんなの押せないってわかって言ってるだろ!」


「くふふ、バレたか」


 なにしろ、戦場ですら不殺主義を貫く男である。それに、何よりディアローズは輝星のやさしさを心から信じていた。だからこそ、こうして甘えられるのである。


「それで、何のようだよ。こんなところに連れ込んでさ……」


 周囲を見まわす輝星。廊下の片隅にある、薄暗い小さな物置に二人は居た。周囲には人の気配が全くなく、どうも不穏な空気が漂っている。


「うむ、そろそろネタばらしをしようと思ってな」


「ネタばらし?」


 オウム返ししながら小首をかしげる輝星に、ディアローズはあくどい笑みを浮かべつつ大仰に肩をすくめた。


「不思議だとは思わぬか? 部屋から出て早々にあの野良犬に取っ捕まり、そこから解放されたと思ったら我が愚妹につかまり、そしてさらにはタイミングよく助けが現れる……」


「……ッ! まさか!?」


 ここまで言われれば、輝星とて察しが付く。確かに言われてみれば、今日起こった一連の出来事は不自然だ。


「すべて、わらわの仕組んだことだ。どうだ、楽しめたか?」


「た、楽しめたって何さ。第一、なぜそんなことを……」


 輝星が誘惑されたところで、ディアローズに何の利益があるというのか輝星には理解できなかった。以前彼をディアローズが誘拐した時は、彼女は独占欲をあらわにしていた。それが方針を真逆に転換し、積極的に他の女に触れさせるというのも腑に落ちない。


「わからぬか?」


「わからないね」


 はっきりと答える輝星に、ディアローズはそれはもう大変に妖艶な笑顔を向けた。そして彼の耳元に口を寄せ、まるで愛の言葉を囁くような声音で言った。


「お・し・お・き、だ」


 脳髄に響くようなその声に、輝星の背中にゾクゾクとした快感が走った。ディアローズは恥じらい半分、興奮半分といった表情で言葉を続ける。


「この身の程しらずの駄犬は、立場というものを理解わからせて欲しいのだ。ご主人様自らの手によってな」


「お、おま、お前ねえ!」


 ほとんど反射的に言い返した輝星だったが、ディアローズの興奮に蕩けた顔を見て言葉を失ってしまった。明らかに、誘われている。正直輝星もそろそろ理性が限界だから、いっそ本当にヤってやろうかという気分にすらなってきた。だがしかし、地球人テランの身の上でヴルド人に手を出すわけにはいかないのである。


「この際だからハッキリ言っておくけど、俺は地球人テランなんだから……」


「体力的に我らヴルド人とまぐわう・・・・のは辛い。そうであろう?」


「……うん」


 あまりにも直球の言い草に、輝星は言葉を失う。しかし、それを理解しているのならなぜディアローズは誘いをかけてきているのだろうか。疑問に思う輝星だったが、それを言葉に出すより早くディアローズは答えた。


「しかしな、それはわらわには当てはまらぬのだ」


「……どういうことだよ」


「簡単なことだ。わらわはな、自分が滅茶苦茶にされるのが好きなのであって、自らそちらに手を出そうという気はさらさらない」


 言われてみればその通りである。ディアローズの性癖は、どこまでも受け身なものなのだ。


「ご主人様は鞭で打ち、言葉で嬲り、そうしてヘトヘトになり動けなくなったわらわを美味しく食べればよいのだ。そうすれば、わらわがやりすぎてご主人様が体を壊してしまうような事態は起こらない」


 露骨すぎる言い方だった。それだけに、その言葉には説得力があった。いや、実際には無茶苦茶な言い分なのだろうが、寝不足と興奮で頭の鈍ってしまった輝星は、それに納得してしまったのである。


「いい顔だ。うむ、うむ、そうなのだ。わらわは子羊であり、狼はご主人様なのだ。狼が子羊を恐れる理由など、あるはずもないだろう? くふふふ……」


 妖しげに笑いつつ、ディアローズは懐から薄く小さい紙箱を出してちらりと輝星に見せる。輝星の顔色が変わった。


「こんなこともあろうかと、用意してある。ご主人様は安心してわらわを襲えばよいのだ。わかるな?」


 自分で仕掛けておいて、こんなこともあろうかともクソもない。だが、それにツッコム余力は今の輝星にはなかった。


「とはいえ、昼間から一戦交えるというのはよろしくない。余計な連中にバレてしまえば、元も子もないからな……」


「……」


 無言を貫く輝星の表情を見て、ディアローズは勝利を確信した声で言った。


「今日の夜、自室のドアのロックを解除しておいて欲しい。この意味、、もちろんわかるであろう?」


 強い目つきで自分を睨みつける輝星の視線にゾクゾクとしたものを感じつつ、ディアローズはそう提案する。自らを子羊と称しておきながら、その雰囲気は捕食者そのものだ。


「……ああ」


「くふふふ……」


 くぐもった笑い声を出した後、ディアローズは輝星の額と唇に軽くキスをした。そのまま彼女は踵を返し、手をひらひらと振りながら物置から出ていく。その後ろ姿を、輝星は悩ましい表情で見送った。

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